教師 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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何処かの小学校教師が、教え子の親を提訴したそうだ。
訴えられた親の方も負けてはいない。
テレビ等のメディアに登場し、反撃する。

いずれにしろ、不毛な光景だ。

親が、学校や教師に対して信頼も尊敬も持たず、教師は、子供を教育することに、情熱と誇りを持って取り組めない。

学校と云うフィールドを背景に構築されてきた子供と教師と親の信頼のトライアングルは破壊されて久しい。

モンスターペアレンツの影に怯える教育の現場。
まったくの私感であるが、モンスターペアレンツのリードを掴んでいるのは、その彼等の子供達の様な気がする。

ベー独楽に興じ、空地で陽の暮れるまで、チャンバラごっこや、戦争ごっこに夢中になっていた私達の少年時代。

どの家にもテレビが有った訳ではない。

そして大人と子供の境界線がハッキリとしていた時代。

現在は、どうだろう。

ランドセルを背に子供達が校門をくぐる風景は、今も昔も変わらない。

明るく、あどけない。

その反面、彼等の携帯の機能の掌握力は私などの
比ではない。
パソコン操作も、ネット社会の適応力も、太刀打ち出来ない。
子供の中に共存している大人。
モンスターペアレンツが生み出したモンスターチルドレン。
彼等が暴走し始めたように思える。

教師が教育の育を忘れ、親達も教師の真似をしたがり、教に走り、育を無視する。

溢れんばかりの情報と知識を提供する環境に囲まれ、育てられることのない子供達。

教師は、その名の通り、教の師である。

親は育を担う可きだろう。

20年程前、教職一筋に生き、退職して悠々自適の老後を送っている方と話す機会が在った。

その方の曰く、『たとえば、花を見た子供に、これが花弁で、これが雌蕊でこっちが雄蕊、そんな事を教えるのは教師や学校の仕事、親御さんの手伝いは、必要無いんです。親は教師の真似はしなくていいんです。そのかわり、花を愛でる心、美しい花を見て感動出来る心を子供の中に育ててあげて欲しいんです。それが親の務めじゃないでしょうか。親は、その責任をいつの間にか放棄してしまい、それをごまかすかのように、教師の審判員になって親の責任をまっとうしているつもりでいる。』

—それから20年。

教育の現場は一層混迷を深め、育と云う言葉は、消え去った。

あの日の縁側の語らいが、私の胸の奥で蘇る。