ろんですうすすすすすすす
なんでろんっていうHNを使っているのかっていう質問をよくされるんですけど
ぼくはそんな彼らには
そんなもん自分で考えろや!!!
むしろ感じろ!!!!!
といっています
こんな上司の下では働きたくないですね。
さてさて
先週の土日は合宿にいってまいりましたよ!!!
それはもう怒涛の2週間でしたね。
もう密度が濃すぎて2週間とかいっちゃってるし。
合宿中の食欲が止まらな過ぎて大変でした。
頭を使いまくるとどうやらおなかが大変すくらしいです。
んなもんしるか。
いやーもうね、ごはんのおかわりの仕方がジャイアント白田でした。
ジャイアント白田

いやーもうね、はらがへりすぎて何杯カップラーメンくったかわかったもんじゃありませんよ。はい。二杯なんですけどね。
合宿の画像

ドヤ顔
コンビニまで徒歩15分っていう近さ
ほんと近かった
うちからだったら1日かかるからね
気づいたら朝だまおでした。
この合宿の時の話はいずれ記事にしたいと思います。
いろいろな思考法をかいつまんで勉強しましたし、
途中でふてくされてワークに参加しないっていう惨事を引き起こしたせいで、
全体の場で名指しで
ろん!次は頑張ろうね!と同じワークの子に言われるという。
問題児ろんはどこいっても問題児でした。
こういうことを経験するとあれだね、もっと勉強しないとねって思います。
僕はたぶん人より思考法っていうのを独学で身につけた人の部類になると思いますが、それがどうして身についたかと言われれば
日ごろからそういうことばっか考えていたから
としか言いようがないのです。おもしろいことに(笑)
もっと本で、いろいろ、自分の考えていたことはこういうことだったのか!と
知る必要がありそうです。
僕は割と勝手に自分でその思考法に名前を付けたりしていましたが、
もっと広く使われている言葉があるみたいですね。
独学のろん
最近人からはお前はそんなに頭よくねーぞっていわれることが多くて
割とショックですね。
まぁ、何を基準にするかで本当に変わってくるんですけど
少なくとも僕が所属したいと思う集団の中では
頭の悪い人なのでしょうね。
頭はどちらかというと、キレるタイプです。
THE 左利き
自分の一番ってなんのかって意外とわからないものですね。
人が思う一番と自分の思っている一番は案外違うと思うし。
思考が深いとはよくいわれる
でもそれさえも否定されるかのような人物に遭遇すると
うへぇぇぇぇぇwwwww
ってなってしまうじゃないですか
そこで思う、勉強不足だなと
もっといろんな本を読まなくては
自分の理想とする人物になるためには
教養のある、はとても大事なこと
話をより豊かにすることが可能だからね
いずれ話をしたいです。
実は合宿終わりにえらい人にあってきたのです。
僕はその人のことをすごいと思いながらも
逆に、深く知ろうとすることで、思ったよりも人間的なのだということがわかりました。
なんだろうね。
すごい、って言葉で形容するのが僕にとってはあまり好ましいものだと思えないですね。
なんだろ
そういう人という形容の仕方が適当だと思う
なにがすごいのかもよくわかってない状態でこの言葉を使う人が多いし
そういう認識の仕方をしてしまったら、その人と対等になる機会を減らしていることになってしまうと思うし。
対等っていうのはもちろん上下関係を考慮したうえで言っているのですが、
そうですね、
飽くなき向上心を保持し続けたいのなら、
その人を常に食うつもりでいなくてはならないと思います。
僕との間にある2年という年齢差は
容易に埋めることができないですね。
もしかしたら一生かかっても難しいかもしれないですね。
3年間の大学生活でここまで差をつけられるのか、あるいは2年間
僕は様々な人を見ているつもりですが、
人の成長を目の当りにすると、
すごいなぁと思う半面、悔しいなぁとも思うわけです。
僕なりの2年っていうのがあるので、その点ではひけをとるわけにはいかないのですが、
純粋に、金がないっていうデメリットは時間的制約を非常に受けやすいということですからね。
まぁ別にその人よりもすごいと言われたいとか
そういうものではないんですよね
自分の土俵っていうものがありますし
自分の土俵なのにそこで負けてしまう可能性があるのが怖いわけですね。
僕は案外感情的な人間だったりします
案外、というか、その辺は結構理解されているような気もしますが(笑)
この感情の部分の自分が嫌いだったりします。
僕を悩ます問題のひとつひとつは
ここに帰結することが多いからです。
でも僕はここを失いたくない、とも思うわけです。
それが僕という人間たらしめるものだとわかっているからで、
僕の理想の人間としてのそれは、重要に反作用するからです。
ちょっと文学的な表現が続いてしまった。
抽象的だから具体例でもいれようかな
めんどくさいからいいや(笑)
理想としている人間としてのそれがどんなものなのか、っていうのをお話する必要がありますね。
僕は1さん(仮名)という方の家に行ったわけですね
そこで僕がどういう人間であるのかということを話している中で
他者貢献っていうもののお話になりました
僕は偽善からくるこれを毛嫌いするわけですが、
しかし今自分の行おうとしているそれはエゴイスティックに他ならないわけです
1さんはそれがたまらなく嫌いだとおっしゃいました
わからないでもない。
そのような押し付けがましい成長促進などは
お前何様だよ(笑)
このように思われてしまうからです。
僕はもちろんそのことを理解していますが、僕の感情の部分ではそのことを認めようとはしないわけです。
だって、仕方がないから。
まだ自分の理想像に自分の感情がおいついていないから。
僕の嫌いなそれは、
エゴイスティックに作用する承認欲求です。
しかしながら、それこそが自分を自分たらしめる要素にもなっているわけです。現在の僕のね。
僕の好き嫌いも凌駕して自己犠牲に己れのすべてを費やすようになったとき、
それはもはや僕にとっては、超人間なんです。
人間を超越した存在になるのです。
そこに人間味を持たせることができるのかどうか。
できるのが理想です。
その自己犠牲の優れた精神状態は
本当のやさしさという人間性から滲みでるようなものであってほしいのです。
そのすべてを手に入れたとき、現在の僕を彩る向上心や野心それらのアイデンティティとなりえている類のものを失うことにつながってしまうことを意味します。
つまり、アイデンティティを喪失して新しいアイデンティティを創造する瞬間が訪れるわけです。
アイデンティティを喪失するということは、とても怖いことです
それを避けたがるのは人間的です。
そして今の僕はそれを避けようとしてしまうのです。
それでもなお、僕は僕の理想状態をそれに置きました
超人間であることです。
その超人間になった時の優れた人間性
感情が脳の機能だと思いたくないですね。
確かに揺れる胸の鼓動は脳がそうさせているのでしょうか。
こころというものを科学で証明してほしくないと願う反面
真実を知りたいと願う僕の脳の機能があります。
脳とこころの話を昔某SNSでしたことがありますね。
最近感情の話をすることが増えてきました
優れた文学者たちが悩みに悩み抜いた結果死を選んだのと同様に
僕もまた同じような選択をしてしまうのでしょうか。
こころというものはどうやら頭のよさだけでは分析することのできない本質的な人間のあるべき姿を反映させ続けるのでしょう。
さてさて、この辺でドロリッチしましょうね
あでぉー