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ろんの大学生日記

明大生ろんの精進日記。


おはんはんはん

ろんだよよおよよよよよよよよy



うんこ


これからの世の中、男の子が男の子を誘惑していく時代がくるんじゃないかってことを見越して、

男による男の落とし方みたいなものを考えていけば儲かるんじゃね?

なんてこを考えています。あらやだ卑猥。


一番手っ取り早いのはあれですね。成〇寛貴くんに聞くのが一番ですね。

そんなことできないお




さて。昨日は吉祥寺の古本屋にふらっとはいったんですね


フラット、50m11秒フラット(鬼速)


そしたら僕がこの前買った本でしかもかなり状態のいいやつが半額以下の値段で売ってたんですね。

こういうのはだめですね。損した気分になっちゃう

悔しいからまとめ買いしてやったぜドヤ

いつ読むんだ。



そんなわけで本の虫代表(?)の僕から、この前読んだ悩む力という本から得たものをお話したいと思います。



まず一点。

この本は普段から悩んでいる人にはそんなに効果ないですね(笑)


つうかどの本もそうなんですけど、自分が既に持っている知識をそこで書かれていることってままある。



その点で言えば、自分の知識の確認になるし、まあ悪くはないのかね



この本は夏目漱石とマックスウェーバーという、二人の悩める乙男代表をうまく引用して書かれています。

そのため漱石やウェーバーという二大乙男の経歴や思考に触れることが可能です。

ウェーバーの著作で有名なのは、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神っていう本ですね、

僕はまだ読んだことないのですが、いずれ読んでみたいと思っています。

4年生で僕の尊敬(?)する先輩から勧められた本でもあるのですね。


まぁタイムリーってやつです。



正直なんでこんな売れたの?

って内容だったので、興味のある方は読んでみるとおもしろいですよ←


そのなかでも特に

僕が興味をひいたところを僕の言葉で引用したいと思います。



いや、ここは僕の敬愛する彼の言葉を引用しよう。

著作権問題を考えると、彼にはお願い金太守って!といえばいいのですからね!

“恋愛において正しいも正しくないもない。そこには選ばれるか選ばれないのか、変われるか変われないか、受け入れられるか受け入れられないか、だけ。

お互い成長して新しい人と出会って、環境が変わって、考え方が変わっていく。

そうした中でもお互いがお互いを選び続ければ付き合っていくことができる。

それができなければ別れるだけ。”



姜尚中は絶えざるパフォーマンスの所産と呼んでいました。

それにこたえる意欲があれば愛は存続して、意欲がなくなれば愛は終焉する。



そのことが一番この本で言われての収穫だったかなぁ



悩むと早死にするとかかな(笑)



どう老いていくかっていうのもおもしろいなぁとおもったけど(笑)


自我っていうのはどうやって認識するかって話をしよう!!



アイデンティティの形成っていうのがこの人のなかですごい重要なように思えたr

この人は在日2世だから、自分というものはどのような存在なのかってことで死ぬほど悩んでたみたい。



アイデンティティっていつ形成されるんだろうね。

個人的にそうだっていえるタイミングの一つは高校のときだったかなぁ


中学にはその萌芽が見えていたようにも思うけど。




自分っていうものの存在は、あくまで社会的なものであることが前提なんだよね。

で、属しているコミュニティによってそれは変化するものでもある。

これを心理学者のユングはペルソナ(仮面)って呼んだわけだけど

誰しもがこの仮面をかぶって人と接しているんだよね。

この評論いつやったのかな、早大模試かな


人っていうのはその属しているコミュニティは学校、家庭、バイト先、仕事先など、

さまざまなところで自分の立ち位置や見られ方が変わるわけだ


例えば会社では部長をやっていて、部下からの信頼と尊敬を得ている2児のパパも

家に帰ればママから罵られ、娘にはパパくさいといわれることがある。



そういうコミュニティに応じた変化も考慮して初めて自分とはなにかってことが見えてくるわけだよね。



だから僕は学校ではキャラをつくってて、本当の自分は自分にしかわからないんだぜ、

みたいなことをSNSでつぶやいてるやつってのは、勉強不足だし、単純に痛い奴ってわけ。




だからそのコミュニティの中の自分という存在を考えて初めて、自分という存在がどのようなものなのかがわかる。


コギト エルゴ ズム 

われ思う、ゆえにわれありはそうしたところにもつながってくる。

自分の存在を疑うことで疑う自分というものの存在は否定できないわけだよね



方法序説も読んでみたいけど、難しそうだなぁ




でだ。

そこでだいじなのは、相互承認ってこと


相手の存在を認識すること。

相手は相手

自分は自分


この差異化を考えていくこと

これらのことを考えるのは早ければ中学のころにはもう考えているよね。

とくに、人間関係こじらせたことのある人っていうのは

小学生っていうのは、他者の存在は認知できるけど、その人が自分とは違う思考をもっているってことが認識できない

だから自分と違う考え方の子を排斥しようとしたりする

中学でも同じことが行われるわけ

そうすることで被害者は自分とはなんなのかってことを考えていくわけだよね。



高校になるといよいよ考える力がついていく

その中で他者の考えを認めていこうとする力がついてくる。

中にはその力がない人もいるけど(笑)



俺は少なくとも自分とはなにかってことを考えてはいたけど、

他者とはなにかっていうことに関しては

正直、そのコミュニティにも問題があったのだろうけど、

納得のいくものではなかったから

うまくいかなかったね。



正直自分とはなにかって問題は今でも付きまとう問題ではあるよね


でも少なくともそのことを思考し続けるのは、大事なことだと思う。

自己分析ってところかな

自分はどういう人なのかっていうのは案外永遠に完璧に知りえることができないのかもしれないね。



他人とは何かっていう相互承認によって自己を認識する

そこが出発点

で、その自己っていうのはコミュニティによって変わりうるもの



自分がなにをもって長所短所とするかどうかってのは、相対的なものではかるしかないわけだから

自分の性格も結局、相対的なものなのかもしれないね。


そんなところで、まぁこれは別にこの本を読んだから知ったってわけじゃないけど


こんなかんじでおわりですー

今は思考の浅さに対して問題意識をもつようになりました。

くっそーぜったいぎゃふんといわせてやりますお


ではでは

あでゅんんん