ろんの大学生日記 -19ページ目

ろんの大学生日記

明大生ろんの精進日記。

ろんです。久しぶりです。
いやー最近つらいことばっかりで嫌になってしまいますよ。

最近考える時間が全然足りてなかったからいい感じにエンジョイしてます。

ええと、実はブログ書こうとして、書くのはいいんだけど、どうしても煮詰まって下書きに保存したり、これはもう公開できるレベルじゃないってやつとかがあったり
死んでます。
あと最近パソ子を修理に出していたので、ブログ更新しなかったんですね。
というわけでevernoteで書いてたやつあげときます。

長いんで最初のとこ見て興味なかったらブラウザバックすることをお勧めしますお。


優先順位の話

今自分はなにをしているのか見えなくなっている感じがする。
これは感覚的なものなので、ロジックを立てて考え、今していることは本当にすべきことなのかどうかを分析し、優先順位にズレがあるならば修正していかねばならない。


ゴールを幸せになることにした。


1 自分は将来どのような活動をすることでどのような状態となり、結果幸せになることができるか
2 その状態になるにあたって必要な活動とはなにか
3 必要な活動をするために必要な手段とはなにか
4 その手段を獲得するために今すべきことはなにか
5 今すべきことは今していることと一致しているか
6 一致していないのであれば、優先順位を見直すかあるいは、根本からすべきことを考える必要がある。
一致しているならば、それがどの程度達成されていて、何が足りないのかを分析する必要がある。

このプロセスで考えましょうか。

このプロセスはほかにも応用が利くような気がするので同様に考えてみることをお勧めしてみたい笑
フレームワークとか思考プロセスとか自分で考案しているものだから、もっと手段を勉強しないとなぁ、抜け漏れがある気がしてならない。





1 自分は他者貢献に主眼をおいた人生プランを計画したいと思っている。
他者貢献をすることで自分は幸せになれると信じている。

他者貢献とはなにか ここでいう他者貢献とは、自分の携わる人々が幸せになれるよう尽くすこととする
他者貢献とはつまり、より多くの人々を幸せにすることになる。
そうすると今度は他者貢献によってなぜ自分は幸せになれるのかという疑問が生じる
ひとつには、幼少のころの経験に起因するのではないか(割愛)
ひとつには、自分の欲求として、他者貢献することで人々から感謝され、名誉を得ることができると考えている可能性がある
感謝、名声、名誉の獲得は自己の欲求を満たすためのものではないのか?
→それらによる他者貢献を他者は必要とするのだろうか?

→自己顕示欲を限りなく減らさねばならない

そうした時に自分が他者に対して貢献したいという欲求はどこから生まれてくると考えるか?
あるいは、自己の欲求を満たすために行っているものとして認識し、そのうえでまた別のアプローチを考えるべきか?





2 他者貢献という目標を設定するうえで重要なのは、その方法である

たとえば芸術方面で活躍している人々がいる。彼らはその芸術でもって人々に夢を与えたり、希望を与えたり、癒しを与えることができる。
本人らが意図していない可能性もある。


たとえば運送業がある。彼らがいなければ私たちはなにも買うことができないかもしれない。ものを運送することで私たちは自ら物資を取りにいく必要がなくなった。これは他者貢献には含まれないのか。
たとえばコンビニ店員がいる。彼らは深夜遅くまで働き、私たちの生活をより便利にすることに成功しているのかもしれない。


といったように、目的に対する手段は自分が思っている以上にありふれているのかもしれない。

その中で私はどのようなアプローチの方法を考えるだろうか。



私の考える方法は、社会問題に対するアプローチだった

ここで具体例を挙げることは避けるとして、なぜそのアプローチ方法に目を付けたかといえば、

それがより多くの人の幸せにつながる可能性がたかと考えたからだ。


もし、仮に、自分が生活していて、その社会問題を一つ一つ解決することよりも最短で効率的に解決できる方法があるとするならば、私はその方法でもって世の中にコミットしていきたいと思う。


究極、社会をよりよくしていきたいと思うモチベーションは他者貢献にいきつくはずだと信じている。





3 社会問題を解決するという手段は決まった。 とするならば、私はどのような活動で社会問題を解決させていくべきなのか。


前提として、ひとりでは解決できないという問題がある。
ひとりで解決できない問題であるならば、協力を仰がねばならないだろう
どう協力を仰ぐか


どう活動していくか
簡単に言えば
社会問題に一番注力できる職業とはなにか

究極は政治のような気がする

政治と社会は密接に結びついている。

政治を動かす人間としての地位を得ることが重要であるか。

その社会の問題とはどこを指すかで私が目指すべき職業が変わる

たとえば社会問題といっても、規模が全く違うことに気づく
世界規模で言えば、貧困や途上国問題
先進国では高齢化や経済破綻、失業など様々な問題がある。
規模が変われば日本というくくりとなり、もっと規模を小さくすれば、地方行政、学校、家庭
このうちのどれに対してアクションを起こしたいと思うか

この社会問題のうち、どのような方法でどの社会問題にアプローチをかけるかを決めなければならない。

ここは興味から示してよいと思う。

私が興味のある分野は教育である。
なぜか。
私は常々言っていたのだが、やはりこう思う。

たとえば世の中を悪くするような大人がいるとする。
たとえば世の中がよくならない原因のひとつに大人たちの活動やエゴ、その他もろもろがあるとする
たとえばニートと呼ばれる人がいる、フリーターがいる、私利私欲にまみれた大人がいる

彼らは大人であるために子供であった

そういう大人に育てたことに問題があるとするならば、改善として、
しつけや道徳を養うことは非常に重要であり、かつ深刻だ。

そういった大人たちが次世代の子供を教育などしてしまえば、より大変なことになる。
常識やマナーの欠如した大人
子供にペット感覚で名前を付ける大人
情報化社会でメディアに洗脳される大人

そういった大人を輩出しないためにも教育に与えられた重要性はものすごい価値であると私は信じている

私は共産主義者ではないが、理想状態としては美しい考え方だと思う。
その状態になるためには、共通善という認識が必要なのかもしれない。
全人類が同じベクトルで善いものの区別がついている状態
道徳心とも言い換えられると思う
同じ常識やマナーを備えた状態
すべての人間が他者のために行動することができ、私欲におぼれない状態

たしかに理想的であるが、人間的でない。

それに近い状態になることが理想なのかもしれない。


話は長くなったが、要するに、そういった常識や道徳心、自分のことをより高次に成長させるときに、子供が、だれになにをどうやっていつどこでなぜ教えてもらうのかを考えると

だれ、の時点で一番近い大人は親である。

先ほどもいったように、問題のある親を教育することは非常に難しい。方法があるならばもしかしたら最良なのかもしれないが。
とするならば、次に近い大人は、学校の先生ではないか?


学校の先生であるならば、学校教育の制度について考える必要がある。

この学校の仕組みこそ、私がコミットしたい場所ではないかと考えている。


学校制度には、教師のあるべき姿についても思考しなければならない。
既存の基盤を変えることは天変地異のように、非常に難しい。
もしかしたら私が生きているうちに解決させることができないかもしれない。
そもそも私はいまだ教育のどの問題に対し改善させていこうかもわからない状態だ。



その点はひとまず保留にし、次のステップに進むことにしたい。



4 徐々に難しくなってまいりました。

私が将来的に教育関係の諸問題にコミットできるようになるには、今どのようなことをしなければならないのか。

ここの分析を間違えると、ドミノのように5と6でミスをすることになる


私の出したアンサーは、応用の効く基礎力を身につけることだった

自己成長といわれるものだろうか。

ここはひとつの選択ミスになりやすいのだが、アプローチの方法として有効な手立てが今のところ、わからない

一番有効であるという確信が持てない。
そして自分の前提として、社会貢献や他者貢献にはさまざまな方法がある。

ならば、今とるべき選択は、いずれ来る最後の選択の時まで、自身を高めておくことではないのか。

たとえば一口に政治に携わるといっても、新卒採用のままでは被選挙権もさることながら、知識もない。

政治社会に参画するにはキャリアステップを踏むことが不可欠なのではないかと考える。

そのファーストステップに、就職というものを考えている。
この就職にももちろん、私が先に挙げた、応用の効く基礎力を身に付けることが求められているはずだ。

私が求めたい力と、企業や社会が求めている力と、その両方が備われば、私はどのような職業についたとしても成功するのではないかと思う。

そのための今すべきことではないか。

では、応用の効いた基礎力はどのようなもので、それはどのように身に付けるべきなのか。



私は入学して最初に、経産省のだした、企業の求めている人間像を知ることができた。
社会人基礎力と呼ばれるものである。

その3つとはなにか

1 前に踏み出す力
2 考え抜く力
3 チームで働く力

詳しくは経産省のホームページを参照してもらいたい。

この3つを鍛える場として最もふさわしい場はどこであるのか。

先日友人は起業すると言った
私はそれは友人の選択であり、私に口出しする権限はないと思った。
彼は彼の求めるものがあり、それを養おうと活動している。
では私が彼みたく、そういった道を選ばず、今の選択をとり続けるのか


3 チームで働く力 これが私にとって非常に重要であるように感じるからだ

私から言わせれば、前項の2つは自分ひとりでも身に付けようと思えば身に付けることができると思う。
起業という手段をとればいいし、方法なんていくらでもある。

しかし、チームで働く力というのは、チームがいなければ身に付けることが難しい。不可能とは言わない。

たとえば発信力。自分の意思をわかりやすく伝える力。
傾聴力。相手の意見を丁寧に聴く力。
柔軟性。意見の違いや立場の違いを理解する力。
状況把握力。自分と周囲の人々や物事との関係性を理解する力。
規律性。社会のルールや人との約束を守る力。
ストレスコントロール。ストレスの発生源に対応する力。


私自身足りていないと思うものばかりだ。


将来的にリーダーとして社会を変革したいという意欲がある。
その中で私がリーダーとしてふさわしいかどうか。
今の自分には足りないものだらけだ。

それを身に付けるべきと考えているからこそ、学生レベルで規模の大きい組織に所属し、多様な人材と活動することには意義がある。

今の場を選び、活動を続けているのにはそのようなわけがあるはずだ。


というわけで、4 いますべきこととは、社会人基礎力を養成し、応用力のあるリーダーになることとする。


5 今すべきことと今していることは一致しているか。

しているのではないかと思う。
しかしながら、そのほかの点において妥協は生じるべきでないのかどうかに疑問が生じる。

たとえば学業。私の優先順位のひとつに学業という面があったが、それはどうか
それはどこまで並行して進めることができるのか。
大学での講義の質はどうか
読書のほうが有意義であるか

あるいはアルバイト。意義のあるバイトをすることができるか、
意義をバイトに見出すことができるか。



6 今自分がすべきこととしていることが一致しているならば、先ほどにあげた基礎力の養成はどの程度までできているのかを考える必要がある。


つまるところ、自己分析をする必要がある。




結論を出そう。本来の主旨とずれる。

優先順位のズレはなかったらしい。
であるならば、今すべきことはほかの判断材料を探すこと。
自己分析をし、その目標までにどれをどの程度達成していて、どれが足りていないのかを考える必要がある。






huu


幸せになることをゴールにしている以上、他者貢献は結局自分のためになってしまうんだよね。



推敲した文章ではないからぐちゃぐちゃだけどね


結論は結局自己分析に陥ってしまったよ。
これを基に考え足りてないところどこか探して、そこを深めていく作業をするかな。
とりあえずは自身の現状について正確な自己分析をすることにします。

あでゅん