大保木村(現西条市大保木)の大保木小学校は、明治10年(1877年)に開校しましたが、児童数の減少で1985年(昭和60年)に閉校になっています。

閉校後は校舎を集会所として利用してきましたが、長年建つために老朽し、あちこちと傷みが激しく雨漏りもだんだんと酷くなり、とうとう解体することに。

今回解体される大保木小学校の校舎は西条市の山間(旧大保木村)にあり、現在残っている建物は1964年に建設されたものだそうです。

9月24日、学校跡地に卒業生たちが集い解体前の校舎に別れを告げる「惜別の会」が催され,卒業生ではないのですが行ってみました。

 

かつて山あい経済を支えた日本の林業は、木材輸入の自由化はじまると、価格が大きく下落し衰退がはじまりました。

また、山あいの産業のひとつでもある家庭の炊飯や風呂沸かしなど、家庭のエネルギーとして重宝した焚き木

生産、また料理や暖房などの用途として生活必需品だった木炭生産は、多くを山間部で担っていましたが、焚き木や木炭はガスや電気、石油に取って代わり需要減少。

また、山で盛んだった採鉱や精錬といった鉱業も、生産量の減少とともに輸入品が幅を利かせて衰退。

そんなことで、山あいの産業を担っていた人々は職を失い、新たな職を求めて山を下り、山あいの人口は減少の途を辿っています。


大保木小学校は多い時には児童が100人以上在籍したという時代もあったものの、山あいの大保木地方も例外でなく、林業の衰退と鉱山の閉鎖などで高齢過疎化が進行。

そして過疎化の進行に伴い人口は減少し続けた。

そして、とうとう1985年に108年という長い歴史の幕を閉じました。
校舎は年内に解体されるとのことですが、学校のシンボルで、毎年美しい花を咲かし続けてきた桜の木(ソメイヨシノ)は、1970年に西条市の天然記念物に指定されていて、そのまま残るそうです。

大保木地方は西条市と合併する以前は大保木村という自治体でしたが、村の人口は多い時で3800人余りいたようです。

大保木村時代の西の川や東の川には、かつては住友系や三菱系の鉱山があり、村外から来て寄宿舎というか飯場に住む、住民登録していない労働者はかなりの数いたようで、実際はそれ以上の人が村内にいた、とも聞いたことがあります。

そんな大保木も今は100名余りの人が住む地域となっています。

大保木村にはかつて今宮分校を含めると浦山、大保木、高嶺、黒瀬、大宮、松岡(兎之山)となんと7つも小学校があったのには、驚きでした。

 

 

 

雨漏りするのでバケツなどを置いている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教室内

 

 

運動場拡張工事の施工者は建設会社ではなく

父兄が運動場拡張工事の主役を担っていた

 

記念写真

 

大保木小学校

最後の卒業者による植樹

 

 

 

 

かつての大保木古道(歩き専用)から石の階段を登りきると「西条市立大保木小学校」のプレートがはめ込まれた門柱がある。

 

 

小学校内に幼稚園もあったようだ

 

 

 

この写真の撮影は2012年春。

初めてここで写真を撮った時だ。

ここから大保木の撮影は始まった。