西条から国道11号を松山方面へ。桜三里最後のトンネルを抜けてから左に曲がり、国道494号に入って行き数分で、右前方に東谷小学校の建物が見えてくる。この道は石鎚スカイラインや面河地方へ行くときに、昔からよく利用する道で、もう半世紀ほども前からお世話になっている。今も、昔のままの狭い道路や薄暗い区間も残っているが、昔から比べると道幅も広くカーブも緩やかになって、格段に運転しやすい。
東谷小学校に、生徒や地域の大人たちがおおぜい集まって、地域の鎮守の神おわす惣河内神社に奉納する「龍のしめ縄」を12月初旬から製作にとりかかっていたようだ。昨年も、龍のしめ縄を作って奉納したが、その長さは16m。今年はさらに長いのをと、20mある「龍のしめ縄」を作るとのこと。主催者側は、出来上がったしめ縄を神社まで運ぶ、担ぎ手の不足を心配されていたようだ。
「どなたでも参加ください」と看板にあったので、ちょっとでも役にたてるかな、と息子と家を出て小学校へ。臨時駐車場となっている運動場に車を駐めて、外に出てからゆっくりとあたりを見回しながら後ろをふり向くと、後方の景色がほとんど見えないくらいのでかい大木が、目の前に立ちはだかっている。よく見ると4本の大木が、横並びで寄り添うようにして立ち、枝は競り合うように伸びていて1本の巨樹のように見えた。聞くと楠の木ということです。
体育館では、主催者の挨拶と説明などがあった後、担ぎ手は靴を履いてから再び館内にはいり、しめ縄を皆で担ぎ出した。
私が想像していた以上に参加者は多かった。長さ20mもあるしめ縄を持ち上げ、校庭から国道494号に出て、皆でゆっくりと緩やかな道を上って行った。学校から神社までの距離は1kmくらいはあっただろうか。
途中、「雨滝音田の棚田」と書いた看板が掛かっていたので、看板の矢印が示す方向へと、ちょっとだけ下りて行ってみた。
整備されきれいな状態で棚田は護られている。
河之内地域を案内する看板が、まだ新しいのか輝いて見えた。
神社の階段を上がっていき、祭壇の奥にしめ縄をおろすようす。
おおぜいの人たちが担いで来たのがよくわかる。
奉納にさいして神事の始まり。
朝方に降った雨で濡れた黄や赤に色づいた落ち葉が一面に。モミジたちもしっかりと紅葉している。しかも雨あとで、しっとりと落ち着いた感じが、森内には漂よっていた。頬に柔らかくあたる風はちょっと冷たかったが、境内での「龍の注連縄」奉納の儀式は、いつもより少し遅れた紅葉の時期と重なってか、いい分意気を醸しだした中で執り行われたと思う。
惣河内神社のすぐ橫に「金比羅さん」と呼ぶ、古くから地域で親しまれてきたお寺がある。金比羅さんといえば神社、と閃くが、お寺だ。その金比羅寺の山門は実に素晴らしいと思う。神社と隣接する寺をあわせると、東温市内では最大規模の鎮守の森となっているとのこと。
人や荷物の移動手段は、歩行や牛馬が主だった時代から、だんだんと車輪がついた荷馬車へと変化をしていった。エンジン搭載の車が急速に普及して行くに従って、道路の整備や道幅の拡張工事も急速に進んだ。交通網が整備され道路事情がよくなった現在、松山と旧面河村との往来は久万の三坂峠あたりを通る道が主流となっているが、かつては、松山と杣野村や大味川村とい呼ばれた地域(旧面河村)とを結ぶ幹線道は、この惣河内神社や金比羅寺がある地域を通って往来していたという。そして、おおぜいの人たちや山海の産物などが行き交い地域は栄え、潤った人たちは多くいただろう。東温市内最大規模という鎮守の森や山腹に立つ大きな屋敷を見ると、当時を窺い知ることが出来る。




















