千足山村(石鎚村)の寺小屋跡を訪ねて | ア-ルの写真記

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(日本写真家協会 会員)

西日本最高峰 石鎚山の弥山から、かつて石鎚村と呼ばれた地方を俯瞰する。

見渡す限りの山々は植林された木々などで一面覆い尽くされている。

写真の下の方に、小さいが白く光る物が見える。

かやぶき屋根を覆ったシートが光っている。

2014年まで石鎚に住んでおられた中村集落のSさん宅だ。

築170年以上も経つ歴史ある茅葺き屋根のお家。

その近くに、寺子屋が明治時代上期に一時期あり、子供たちに文字の読み書きなどを教えていたという。

どんな所なのか行ってみた。

 

                          石鎚山頂、弥山より撮影

                     (石鎚山頂より望遠レンズで撮影)

 

諏訪神社近くの駐車場に車を置いて、中村のSさん宅を目指し上がっていった。

久しぶりに訪れたが、茅葺き屋根を覆っていたシートははがれ始め、屋根の茅も朽ちて傷み穴が開いているところもあった。

 

 

 

 

軒下に鬼の面が掛けてあった。

 

 

ここは、S氏の畑だった。

近年は、猿や猪などが荒らすので囲いをしてあった。

畑に杉の木がある。

山を下りるときに植えたようだ。

 

 

寺小屋跡へと上がって行く。

途中、竹林が広がっているが、地面のいたるところが猪に掘り返されている。

 

 

谷に沿って上がって行くと、敷地跡のようなのが見えてきた。

岩の上に長くて大きな石が立っている。

S氏が立てた石碑のようだ。

どうやらここが寺小屋跡のようだ。

 

 

前方に雑木がいっぱい生えていて見通しは良くないが、比較的広い平らな敷地が見えてきだした。

                       

 

石碑を見ると、「寺子屋跡 上川 庄蔵」と刻まれている。

庄蔵さんの曾孫にあたる曽我部正喜氏が昭和の57年、ここ深山の石鎚 中村跡に寺小屋があった事を忘れないでほしい、

という願いをこめて刻んだそうだ。

 

 

屋敷など建物などはもうなかったが、発動機や五右衛門風呂の釜、電気洗濯機などがそこに棄てられたように残っていた。

 

 

 

 

 

山肌に平らな地を作るために積み上げられた大きな岩石群。

人力による手作業の時代、長い月日と労力を必要としただろう、と大きな石が積み重なる石垣を見ながら思う。

 

 

 

少し上に何か見える。

行ってみると、小高い所の石積みの上に「中村 曾我部庄蔵」と刻まれた石像がある。

寺小屋を一時期開設していた人の名前だ。

氏が安置したのだろう。

 

すぐ近くに藩政時代の四角い墓石がいくつも転がっている。

この辺りは墓地のようだ。

 

 

ここにも石積みの燈籠があった。

中村集落に来るまでにも石積みの燈籠があったが、ここのは少しそれよりも小型である。

ここもかつての遥拝所のような所だったのだろうか。

この石灯籠の横を走る道は山の方に向かって続いているようだ。

往還のようだが、、、。

かつては、ここを行き来する人も多かったのでは?そんな気がする場所だ。

しかし、今は上の方に上がって行く道は途中で消えかけているようだ。

燈籠の火袋は中村にあったもう一つと同じように鉄製で上に石が置いてあった。