龍翁余話(895)「行合の空」
翁、月が替わるたびに「もう〇月か」と溜息を付くことが多くなった。「もう8月か」――8月と言えば6日「広島原爆記念日」、7日「立秋」、9日「長崎原爆忌」、11日「山の日」、そして13日からは(15日「終戦記念日」を挟んで)16日まで「お盆」――全国的に有名な祭りでは「青森ねぶた祭り」(2日~7日)、「秋田芋燈祭り」(3日~6日)、「山形花笠祭り」(5日~7日)、「仙台七夕祭り」(6日~8日)などあるが、翁は、若い時から「8月は、大東亜戦争」(1937年7月7日から1845年8月15日にかけて行なわれた日本対中華民国・アメリカ・イギリス・フランス・オランダなどの全ての戦争=GHQの指示による「太平洋戦争」との別称もある)の戦禍の犠牲となられた軍人・軍属・民間人に対する“慰霊と感謝の月”と決め、独自の過ごし方(当日、黙祷したり、国旗を掲げたり・君が代を歌ったり)をしている。特に今年は“戦後80年”、感慨もひとしお。
昭和天皇自らのお言葉による「大東亜戦争終結の詔書」のラジオ放送(通称「玉音放送」)が行なわれたのは1945年(昭和20年)8月15日の正午。その日も猛暑、耳をつんざくようなミンミンゼミの鳴き声、青空に浮かぶ入道雲。翁が「終戦の日」の自然を思い出すのは、このミンミンゼミの鳴き声と入道雲の2つだ。15年前の話になるが、翁がK大学病院で2度目の癌手術を受けたのが2010年、その退院祝いに友人から1枚のCDをプレゼントされた。そのタイトルが『夏なんです』(松本隆作詞、細野晴臣作曲)。聴いたこともない楽曲、「つまらない歌だ」と思ったのだが、せっかくの友人の好意なので視聴することにした。ロック調の曲、旋律も伴奏(演奏)も翁の好みではないが「玉音放送」の日の状況を思い浮かばせる歌詞が気に入った。気に入った歌詞の部分をピックアップすると、♪田舎の白い畦道で、埃っぽい風が立ち止まる・・・ギンギラギンの夏なんです・・・(ミンミンゼミではなく)ホーシーツクツク(ツクツクボウシ)の蝉の声・・・モンモンモクモクの入道雲・・・夏なんです。
さて『行合の空』(ゆきあいのそら)――簡単に言うと夏の入道雲(写真左)のそばに少しモヤっとした秋のウロコ雲やスジ雲が混在する様子(写真右)を『行合の空』と言う。
1つの季節と次の季節が行き交う空――つまり、夏が去り、秋に移り変わろうとする頃の空。
【夏と秋と 行き交ふ空の 通ひ路は かたへ涼しき 風や吹くらむ】
調べによると、この歌は「古今和歌集」(平安時代前期の歌集)の“夏歌”の最後に位置付けられている歌で、作者は凡河内躬恒(おおしこうちのみつね=平安時代前期の歌人)だそうだ。平安時代の夏の暑さは、現在の日本列島の酷暑と比較することは出来ないが、当時もかなり暑く、歌人たちも夏の暑さに閉口してか、夏歌の数はかなり少なく、春歌や秋歌に比べ3分の1程度だとのこと。なお、『行合の空』はこの凡河内の歌から生まれたもの、と伝えられている。
陽射しの強い時の上昇気流によって生じる積乱雲(入道雲)を昔の人は“立てる白雲”と称し、詩歌で詠っていたそうだ。平安(800年~1185年)の前の奈良時代(710年~795年)の“万葉歌人”(「万葉集」時代に活躍した歌人)は特に“立てる白雲”を愛したと言う。“万葉歌人”と言っても大友家持・大伴安麻呂・柿本人麻呂・山部赤人など名のある歌人が100人を超えるのだが、そもそも「万葉集」とは日本に現存する最古の和歌集で、歌人としては天皇、貴族、官吏、防人、大道芸人、農民、東国民謡などさまざまな身分の人が詠んだ歌が納められているので“詠み人数万人”“詠み人知らず2000人”と言われている。そんな中、翁が好きな歌人の1人・柿本人麻呂(奈良。平安時代の歌人で山部赤人と共に“三十六歌仙”の1人)が“立てる白雲”を題材とした代表作を選んでみた。
【はしたての 倉橋山に 立てる白雲 見まくほり 我がするなへに 立てる白雲】
(訳:倉橋山(万葉故地である倉橋山は、現在の奈良の音羽山のことらしい)に、むくむくと湧きたっている白雲よ、私が見たいと思っていた時にちょうど立ち登ってくれた白雲よ、懐かしいあの人を偲ばせる白雲よ)――翁、人麻呂さんには申し訳ないが、この短歌からは少しも感動が伝わって来ない。翁如き凡人には“高邁”過ぎる感性かもしれない。そこで翁だったら俗っぽく【綿菓子に 似たり白雲 食えもせず】――
近年の夏は熱中症との闘いであるが、ふと青空を見上げれば空と入道雲の境界線がくっきりとしていて存在感・立体感あり、白と青のコントラストが美しく、翁は(猛暑は御免だが)この悠然たる白雲に不思議な魅力を感じる。そして子供の頃の夜店の綿菓子を思い出す。そう言えば入道雲は夏にしか見られない希少価値のある自然の造形美である。
甚だ“こじつけ”の話になるが、翁、1945年(昭和20年)8月15日を“行合の日”と決めつけている。それまでの“軍国主義”が去り“民主主義”に移り変わった。戦争が終わり、日本は目覚ましい復興を遂げ、自由・民主主義・基本的人権の尊重という人間的価値を勝ち取り、それを我が国の基本に据え平和国家へと歩んで来た。1945年8月15日「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世の為に太平を開かんと欲す」との詔書を読み上げられた昭和天皇の“玉音放送の日”こそが“日本の行合の日”として肝に銘じておきたいと(翁は)思うのである・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。