翁余話(952)「二科展へ行く」
2026年二科展入選・山根 望氏の鉛筆画
「ある朝のウエストミンスター寺院」
今年8月中旬、翁が故郷(大分県)に帰省中、翁のスマホに「エッセイ集・雑貨屋」(主宰・大西良衛氏=大阪)の寄稿者仲間のお一人・さくらさんから(久しぶりに)メールを頂戴した。“寄稿者仲間”と書いたが、実はさくらさんは翁を「雑貨屋」寄稿者仲間に誘ってくれた、いわば翁の雑貨屋グループの先輩(但し、さくらさんは翁よりかなり年下)。
「雑貨屋」は1990年代、米国在住の日本人同士の情報交換マガジンとして 1996年5月に米国カリフォルニア州でスタートした30年の歴史を刻むウイークリー・エッセイマガジン。当時さくらさんはアメリカ在住、五大会計士事務所の中西部マーケティングディレクターとして活躍、1998年9月20日発行の「雑貨屋」123号からの投稿者で雑貨屋創成期の投稿者の一人。「雑貨屋」には、ペンネーム「さくら」で『さくらの独り言』を執筆、2000年アメリカから日本へ帰国。そんなさくらさんとは2002年に共通の友人I.Cさんを通して出会い、翁が月に1~2度配信していた自分史『翁の独り言』を読んださくらさんから「雑貨屋」の投稿仲間に誘われたのが2006年、それから『龍翁余話』のコーナーが始まり現在に至る。
2015年頃さくらさんが「雑貨屋」投稿者の先輩や大勢の支援者に背中を押されて“出版”を思い立ち、実際にその作業に入ったのは2020年、ちょうど“コロナ禍”始まりの年、以後、『さくらの独り言』は休稿、ところが、不運にもさくらさんはその直後、冠攣縮性狭心症(かんれんしゅくきょうしんしょう)、コロナ感染やそれに伴う後遺症、癌手術の影響による腸閉塞など、入退院を余儀なくされ、一時は出版を諦めかけたいたさくらさんを励まし支え続けたのが夫・武村文雄氏(翁のゴルフフレンドでもある)だった。そして(予定より2年遅れて)コールサック社から“出版”されたのが2025年12月、ブックタイトルは『ノーサイド、そして明日へ』(著者名は「武村 櫻」)翁も発刊直後にそのご本を頂戴した。【武村櫻さんは日本とアメリカで暮らし、出会いと別れ、また新たな出会いを重ねる中で“人に対する敬愛と寛容”な心を養い、チャレンジ精神を培い、“敬虔なる祈り”の心を深め、「真実探求への道」を走り続ける櫻さんの生き様(ざま)が赤裸々に綴られている“珠玉の書”である】。心に残る1冊だ。
さて、冒頭に述べた「さくらさんからのメール」は「凄く嬉しいニュース・・・かつて私の会社(コンサルタント会社)の同胞だった鉛筆画家の山根 望(やまね のぞみ)さんが今年の二科展に入選しました。お時間があれば是非、国立新美術館(二科展)へお出かけ下さい」というもの。「山根 望?はて、どこかで聞いたことがあるようなお名前。あ、思い出した、さくらさん(武村 櫻さん)の著書『ノーサイド・、そして明日へ』の挿絵、あの鉛筆画家だ」。翁、再び『ノーサイド』のページをめくる。「やはり、そうだった」・・・
翁、「二科展」最終日の9月14日(東京は久しぶりの炎天下)、六本木の「国立新美術館」へ出かけた。広くて、展示作品が多くて、目指す「山根 望作品」が分からない。展示室の案内嬢に訊く「ああ、山根さんの作品は、初日(9月2日)〜7日の6日間の参観者投票でベスト10に入った作品ですよ」と言って、すぐに案内してくれた。それが『ある朝のウエストミンスター寺院』――「写真ではないか」と錯覚するほどの精密な鉛筆画――ギャラリーにある山根 望氏のプロフィール――金沢市出身、「美の根源は光と影にあり、それは鉛筆によって表現出来るもの」と考え、50歳から絵を描き始め以来18年間、鉛筆画一筋。主な実績は、2023年「北星鉛筆主催・鉛筆画コンテスト大賞」、同年「二科展デザイン部入選」、2025年「白日会展入選」2026年「二科展絵画部入選」。
『二科展』については今更説明するまでもないが、『二科展』を主催する「二科会」の創立は1914年(大正3年)、今年の『二科展』は第110回目の記念年。「二科美術展覧会」には絵画・彫刻・デザイン・写真の4部門があり、いずれも入選率は厳しい“狭き門”。数日間に亘って厳正な審査が行なわれ、それなりの“実力”が認められたものである、『二科展』とはそれほどに権威のある美術展であるのだ。それはともかく今回、二科展で実物を観て、その精緻な描写と、光と影が織りなす静かな美しさにすっかり魅せられてしまった。気がつけば、翁も「山根 望の鉛筆画ファン」の一人になった。さくらさん情報によると、来年10月2日〜10月10日に、山根望氏の故郷に錦を飾る個展、今や山根氏の作品に魅了されてしまった翁、金沢へ足を運んでみたい・・・っと、そこで結ぶか、『龍翁余話』。



