龍翁余話(935)「阿蘇・仙酔峡のミヤマキリシマ」

 

深緑の5月中旬、山々の美しさに心を奪われながらのドライブ、いつも誰か(友人や親戚の者)が一緒だが、今回は弟分のS君が(翁が狭窄症で脚・足が不自由なため)運転手を務めてくれた。阿蘇の山中を快適に走らせていたS君が突然、車を停めた。10mほど先に小鹿が1頭、こちらを向いている。ドライブの途中で生きた動物に出逢うのは初めてだ。翁、急いでスマホを取り出し撮影しようとしたが、間に合わず、小鹿は山奥へ姿を消した。「可愛いい小鹿でしたね」とS君、確かに可愛かった(と思った)が、翁、写真が撮れなかったことが悔しくて「もう5秒、じっとしていてくれればよかったのに・・・今度は狸でも狐でも熊でもいいから出て来て欲しいね」と言ったらS君、笑って「九州には熊はいませんよ。いえ、かつては九州にも熊はいましたが、1957年(昭和32年)にツキノワグマが確認されて以来、姿を消して50年以上も経過したので、環境省では“絶滅”を宣言しました」いつものことながらS君の物知りには驚かされる。道(主要道路は勿論、脇道に至るまで)のこと、市町村の観光概要(歴史や文化、グルメに至るまで)のこと、そして海抜のことなど、いつ、どこで勉強したのか知らないが、実に詳しいので彼とのドライブは翁のエッセイ(龍翁余話)のネタ探がしには、大いに参考になる。今日のドライブの目的は『阿蘇・仙酔峡のミヤマキリシマ』探訪。

 

『ミヤマキリシマ』について、」事前に資料を読んでおいた。『ミヤマキリシマ』は霧島山(宮崎県と鹿児島県県境付近に広がる火山群)・えびの高原(宮崎県)・阿蘇山(熊本県)・九重山(大分県)・雲仙岳(宮崎県)・鶴見岳(大分県)など九州各地の高山(山肌)に分布する。名称の由来は1866年(慶応2年)に坂本龍馬が妻(りょう)と新婚旅行で霧島を訪れた際、姉・乙女に宛てた手紙の中に「霧島ツツジが一面に生えて実に綺麗なり」と書いている。また1909年(明治42年)に植物学者・牧野富太郎が妻・壽衛(すえ)と新婚旅行で霧島を訪問した際、山ツツジを見て「深い山に咲くツツジ」という意味で『ミヤマキリシマ』と命名した――そうこうしているうちにS君運転の車は阿蘇神社脇を通って「仙酔峡(せんすいきょう)」に入る。

     

「仙酔峡」とは、阿蘇五岳(最高峰の高岳をはじめ根子岳・中岳・杵島岳・烏帽子岳)の高岳と中岳の北麓にある標高約900mの渓谷。“仙人が酔うほど美しい渓谷である”ことから「仙酔峡」と呼ばれるようになったそうだ。駐車場に到着したところから、もう“仙人(千人)ならぬ万人が酔いしれるほど美しい『ミヤマキリシマ』”の真っ赤な絨毯の山肌が翁の目を輝かせる。初めて見る『ミヤマキリシマ』に酔う翁(S君の制止を無視して)山の中腹まで杖をつき、息を切らせながら『ミヤマキリシマ』を追った。ここには約5万株の『ミヤマキリシマ』が自生しており例年だと5月中旬頃になると(今)、一帯がピンクに染まる(写真)。ところが駐車場の売店のおばさんの話によると「今年は火山灰にやられて、例年より“鮮やかさ”が薄く、ところどころ“咲き方”が乱れている」そうだ。S君が翁の杖付き足(ビッコ)を心配して翁の近くまで迎えに来てくれていた。

ミヤマキリシマ 仙酔峡のミヤマキリシマ | 熊本県総合博物館ネットワーク ...の画像

S君と一緒に駐車場へ下って、売店そばの自動販売機で缶コーヒーを買い、未練がましくピンクの絨毯を眺めていると、横から(きちんと背広を着た、ゴットマンハンチングのよく似合う)老人が声を掛けて来た。「あんたたちは、ここへよく来るのかい?」翁「いえ、初めて・・・」老人「わしは毎年来よる。今年96歳じゃが、ご覧の通り、普通の96歳より若く見えるじゃろ?それもここの『ミヤマキリシマ』のお蔭じゃ。だから生きている間、毎年、仙酔峡詣でを続けたいと思うちょります。じゃあ、あの絨毯を歩いて来ます。あんたたちもお元気で・・・」S君「行ってらっしゃい」と言ったものの、S君「あの老人、私たちに何を言いたかったのでしょうね」翁「杖をついているオレを励ましたかったのでは?」「龍翁さんより、あの老人のほうが危ないと思いますが」・・・

 

駐車場から『ミヤマキリシマ』群生地を後にして阿蘇市街地へ降りて行く途中、サイレンを鳴らした救急車3台に出くわした。翁、ふと、さきほど自慢していた96歳の老人の顔が浮かんだ。S君も同じだったようだ「さっきのお年寄りでなければいいですがねえ」「96歳にしては若い風采だったから、大丈夫だろう、が、救急車3台とはおだやかでないね。杖つきビッコのオレが言うのもおかしいが、みんな元気でいて貰いたい」そんなおおらかな気持ちにさせられた仙酔峡の雰囲気、更には翁の腰部脊椎菅狭窄症の完全治癒を祈りたい『仙酔峡のミヤマキリシマ』だった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。(写真はインターネットより)