スウェーデンボルグに感銘を受けた話。 | 威風堂々

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幸福の科学の信者たつとらのお笑い脳が抑えきれないブログ。

皆さん、こんにちはスター

 

ボツボツ書きたいことを書いていきますたつとらです龍トラ

 

 

 

最近、ヘレン・ケラー『私の宗教』を読んでおります。

 

 

 

読んで衝撃だったのが、とにかく言葉が、表現がとても美しいこと。

 

内面の光をずっと探究してきたヘレン・ケラーだからこそ、崇高で美しい世界観の描写が本当にすごいです。

 

和訳を読んでいるので、原著の表現が正確には分かりませんが、多分よりいっそう美しくバイブレーションがすごいのではないかと推測します。

 

 

 

さて、その中で、俄然スウェーデンボルグに興味が出てきたワタクシ。

(ヘレン・ケラーの言う「私の宗教」がスウェーデンボルグです)

 

スウェーデンボルグについてはコチラ→エマヌエル・スヴェーデンボリ - Wikipedia

 

 

 

大川総裁も、スウェーデンボルグについて何度かご法話で取り上げておられますが、そこまで持ち上げられてはいない印象。

 

でも、この方は、実は、もっとすごい方ではないかと思っております。

 

こういう霊的天才を持ちあげすぎると、霊能力に傾倒する人が多くなるため、総裁先生は持ちあげすぎないようにされているのかな?なんて思っています。(ただスウェーデンボルグはこの世的にも能力高杉ですが)

 

 

 

『スウェーデンボルグの星界報告』(たま出版)を読んでいて、衝撃を受けた箇所があるのでそこだけご紹介したく思います。

 

というか、この記事はそれを紹介したいがために書いておりますので、ここから上は単なる前置きです。

 

 

 

 

それは、水星の霊たちと地球の霊たちの会話についての記述です。

 

以下、引用します。

 

 

 

今度は水星の霊たちが私たちの地球の霊たちに、何を信じているかを尋ねた。私たちの地球の霊たちは、

「私たちは主なる神を信じています」

と答えた。すると水星の霊たちは言った。

「君たちはどんな神も信じていないことがわかりました。また君たちが、信じてもいないのに信じていると口先で告白する癖を身につけてしまったこともわかりました」

 水星の霊たちは、(中略)鋭敏な認知力を有している。私たちの地球の霊たちは、在世中、教会の教理に一致する信仰告白をしたものの、信仰生活を送らなかった者たちの仲間だった。信仰生活を送らない者は、信仰がその者に内在しないから、他生でも信仰を持たない。水星の霊たちの語ることを聞いたとき、地球の霊たちは黙ってしまった。

(著:エマヌエル・スウェーデンボルグ/訳:高橋和夫『スウェーデンボルグの星界報告』たま出版 pp.61-62)

 

 

 

引用おわり。

 

 

 

 

…皆さん、聞きましたか?

 

 

 

 

信仰生活を送らない者は、信仰がその者に内在しないから、他生でも信仰を持たない。

 

 

 

信仰生活を送らない者は、信仰がその者に内在しないから、他生でも信仰を持たない。

 

 

 

信仰生活を送らない者は、信仰がその者に内在しないから、他生でも信仰を持たない。

 

 

 

 

 

 

コワス。。。チーンチーンチーン

 

 

 

 

 

 

戦慄すると同時に、「やっぱりそうやんなぁ…」とじわじわと身に沁みました驚き

 

 

 

総裁先生は優しいので、色々な方便によって優しく導いてくださるので、「名前を知っているだけでも/本を読んでるだけでも縁が付く」「幸福の科学に入会していれば地獄に堕ちても間違いなく天使の助けが来る」など言ってくださりますが、やはり大事なのは心の中身。

 

いくら「エル・カンターレを信じています」「幸福の科学の会員です」と言っても、信仰生活(信仰の実践)をしていなければ、それは魂にしみ込んでいなくて、心のみの世界である霊界に行けば、魂にしみ込んでいないものは無いのと同じ。

 

「口先だけの信仰」の恐ろしさを感じました。

 

 

 

当会でもいると思います。

 

そして、私の心にもあると思います。

 

仏法真理を「知識」として読み、知った気になっていること。

 

教団を「組織」として考え、サンガに属した気になっていること。

 

そして、主を「人間」として扱い、人間生活の些末なことに引っかかったり「神なのにおかしいではないか」といちゃもんつけること。(←幸いこれは今のところ無いですワタシ)

 

 

 

他の宗教で言えば、

 

神社仏閣や教会に行くことを以って「信仰している」と認識している方や、生まれた環境における文化に沿って生きてるだけで実際に心の世界や神仏の探究をされていない方などが挙げられると思います。

 

 

 

また、信仰生活をすると言っても、「よし、自分は教学・お祈り・反省・瞑想全部やっているぞ」と思っていても、その中身が全然違うっていうこともあると思いますし、

 

信仰生活が教学・お祈り・反省・瞑想だけだと思ったら大間違いで、やはり伝道・植福・精舎修行なども入ってくるし、

 

「信仰」というものが自分の魂にどれだけしみ込んでいるか

 

究極を言えば、魂そのものが「信仰」になっているか、ということを私たちはよくよく見なければいけないのではないかと思います。

 

 

 

そうでないと、、、

 

死んで、あの世に還って、いざどの世界に還るかの審判の時に、

 

閻魔様や裁判の天使に「私はエル・カンターレ信仰です」「主を信じています」と訴えても、

 

「はい、君はどんな神も信じていないことがわかりました。。。また君が、信じてもいないのに信じていると口先で告白する癖を身につけてしまったこともわかりました。。。」と言われてしまうかも…。節分

 

 

 

 

「あ゛ぁ゛―――――――――――――――――――――!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

こっわぁ…無気力無気力無気力

 

 

 

 

 

 

 

 

おわる。

 

 

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