今日からいよいよ第4章です!
正直言って、
この第4章が、
自分にとって、
最も大大大発見だって
思ってますぅうううううううううううううう
ではでは続きをどーぞ!
【第4章 Cantareは日本語だった?】
第2章で述べたように、
2018年に大川総裁は「カンターレはラテン語である」という説明をされました。
しかし、2021年7月の御法話「エローヒムの本心」では
それをまた修正されるような説明をされています。
「エル」は、基本的に「神」あるいは「神の光」という意味であり、「カンターレ」のなかには、もちろんイタリア語とかスペイン語とか、そちらのラテン系の言葉では、歌などの意味を持つこともありますけれども、全体的には「地球の光」あるいは「地球の神」という意味になります。
(『メシアの法』2022、p.19)
これはつまり、
「カンターレ」という言葉が持つ意味の中で最も重要度が高いのは、
「呪力を持つ」「歌」ではなく、
「地球」であるということだと思います。
ではなぜ大川総裁はラテン語の話を出されたのでしょう?
また、地球を意味する「カンターレ」という言葉は実際にあるんでしょうか?
そこで、世界の言語から「カンターレ」を探してみたときに、
興味深いものが「竹内文書」の中に見つかったのです!
そして、調べていくうちに、
実は「カンターレ」という言葉は日本からラテン語へ入っていったのではないか
という仮説が浮かび上がってきました…!
以下、それについて論証していきます。
1.竹内文書
論証に先立って、「竹内文書」について説明いたします。
竹内文書とは、日本の古史古伝の一つで、
皇祖皇太神宮で代々守り継がれてきた謎の古文書や遺物の総称です。
そこには、
現代の学問で認められている日本史の始まりをはるかにさかのぼる、太古日本の始まりと、
その日本王朝を治めた代々の天皇(スメラミコト)の名前や
その治世における出来事等が記録されています。
また、竹内文書には、
世界を治めていたのは日本の天皇であり、
イエス・キリストや釈迦、モーセなどの聖人も日本を訪れた
ということが記されています。
その正当性は、現在の日本史学界においては疑問視されていますが、
近年、幸福の科学の霊査によって、
竹内文書の記述が事実を反映している部分があることが分かってきたのです。
例えば、
『イエス・キリストの宇宙人リーディング』(会内経典、2018)において
「イエスが日本に来ていた」ということが明らかにされ、
竹内文書の記述と一致しました。
実際、青森県に「十来塚」と呼ばれるキリストの墓があります。
また、幸福の科学に先立って、イエスが日本に来ていたことを主張していた山根キク氏は、
石川県羽咋郡宝達山ふもとの三ツ子塚古墳をモーゼの墓であると主張しました。
竹内文書にはモーセが宝達山(石川県と富山県の境にある山)に居住していたことが記されています。
三ツ子塚を有する町は、町興しとして三ツ子塚古墳群を「モーゼパーク」という公園に整備しました。
(ちなみに私はそこへ行ってきましたので、興味がある方はぜひ↓)
ちなみに、
その羽咋はUFO目撃情報が非常に多い地として知られており、
幸福の科学の北陸正心館が建てられています。
したがって、
非常に霊的な地と思われるので、
モーセの墓があってもおかしくはないと私は考えています。
また、近年、
大川総裁の霊言やリーディングによって、
日本の歴史は最低でも約3万年前までさかのぼり、
当時、天御祖神(アメノミオヤガミ)という神が、
20万人からなる宇宙船団を引き連れて富士山に着陸し、
現代につながる日本文化のもとを築いていったことが明らかにされつつあります。
(『天御祖神の降臨-古代文献『ホツマツタヱ』に記された創造神-』2019)
天御祖神は、
古史古伝のひとつ「ホツマツタエ」に見られる、宇宙創成の神で、
エル・カンターレと同一存在の神様です。
また、富士山に王朝があったことは、同じく古史古伝「宮下文書」に記されています。
すなわち、
現代の学問において無視されている古史古伝文献には、事実が含まれているということなのです。
さらに、
天御祖神を起源とする古代日本の文化が大陸へ伝わり、
中国地方や中東、ムー文明にも影響を及ぼし、
その文化が時を経て日本に逆輸入されたことも
幸福の科学の霊査で明らかにされました。
「竹内文書」の記述が語る「日本は昔、世界の中心だった」という主張は、
こういった幸福の科学の霊査で、
真実であることが明らかにされつつあるのです。
2.「カンタル」という言葉が付く天皇とモーセ
その竹内文書に記録されている天皇の名前を見ていくと、
なんと、
「神足(カンタル、又はカンタリ、カムタラと読む)」という言葉が出てくるのです。
「竹内文書」に記された天皇のなかで、
「神足」の付く天皇は5名おり、
いずれも鵜草葺不合(ウガヤフキアエズ)朝の天皇です。
(※鵜草葺不合朝は神武天皇以前の王朝で、鵜草葺不合朝73代天皇が神倭朝初代の神日本磐余彦天皇(神武天皇)となったという)
「神足」の付く天皇5名の名を以下に挙げます。
①鵜草葺不合朝39代 神足伊足彦身光天津日嗣天皇(カンタルイタルヒコミヒカルアマツヒツギアメノスメラミコト)
②鵜草葺不合朝48代 豊津神足別身光天津日嗣天皇(トヨツカンタルワケミヒカルアマツヒツギアメノスメラミコト)
③鵜草葺不合朝50代 神足別国押之媛身光天津日嗣天皇(カンタルワケクニオシノヒメミヒカルアマツヒツギアメノスメラミコト)
④鵜草葺不合朝51代 国押別神足日身光天津日嗣天皇(クニオシワケカンタルヒミヒカルアマツヒツギアメノスメラミコト)
⑤鵜草葺不合朝69代 神足別豊スキ身光天津日嗣天皇(カンタルワケトヨスキミヒカルアマツヒツギアメノスメラミコト) ※「スキ」に当たる漢字は「禾+助」
(『[超図解]竹内文書』『神代の万国史』『縮刷版 定本 竹内文献』参考)
ここで注目していただきたいのが、
⑤の神足別豊スキ身光天津日嗣天皇です。
「竹内文書」では、
この天皇の時代に、モーセが日本に来朝した
という記述があるのです。
即位二百年イヤヨ月円六日、ヨモツ国よりモオセロミユラス来り、十二ヶ年居る。
(竹内義宮編『神代の万国史』皇祖皇大神宮、1999、p.314)
現在、皇祖皇大神宮が発行する『神代の万国史』には、
モーゼの記述はこれだけしかありません。
しかし、本来の「竹内文書」にはもっと詳しく記述されていた(写本の多くは戦前に焼失した)ようで、
竹内文書の研究者・高坂和導氏は以下のように指摘しています。
たったの一行である。その理由は、前述したごとく『神代の万国史』は、竹内文書の焼失後、竹内巨麿氏の残した研究資料をもとに、現管長の竹内義宮氏がまとめたものであり、多少の欠落部分があるからだ。
資料焼失前のモーゼ十戒石について研究した酒井勝軍の著書『モーゼの裏十戒』を読むと、本来はもっと詳しく記述されていたことがわかる。それによると、モーゼは来日後、十戒を公布することに関して天皇の許可をもらい、それをもってユダヤに戻ったことになっている。さらには、ローマの建国者がモーゼであったことにふれ、墓所の位置や遺言まで示しているのである。そして、実際にモーゼの十戒石は、そうした竹内文書の記述を裏づけるように、日本から見つかっているのだ。
(高坂和導『[超図解]竹内文書』徳間書店、1995、p.225)
ここで注目すべきは、
「日本に来訪したモーゼが、のちにローマの建国者となった」
という点です。
高坂氏の記述を要約すると、
↓↓↓
モーゼは宝達山(富山県)に住み、
「大室姫(おおむろひめ)」を妻に娶り、三人の子供までもうけながら、
自分の捧げた十戒の許可を待った。
天皇の許可を得たモーゼは「天空浮船」でシナイ山に戻った。(高坂和導『[超図解]竹内文書』、p.226)
そして、
モーゼはカナンまで人々を導くと、最も彼の信頼の厚かったヨシュアに後のことを託し、
自らは妻と子供を連れてイタリア半島に渡った。
妻子はモーゼがイスラエルに帰国した10年後、モーゼの後を追ってきた。
その際、妻の大室姫は「羅馬姫(ローマひめ)」と名を改めた。(同書、pp.244-245)
とのことです。
高坂氏は、
「モーゼが妻の名を新たな都の名としたのではないか」という仮説を提示し、
ギリシャ・ローマ神話に「ローマという名を与えた女性が外国からやってきた」という話があることを指摘しています。
また、竹内文書に示された「モオセロミユラス」という名前ですが、
高坂氏は「これは、ローマ建国の祖ロミュラスの名前そのまま」で、
「ロミュラスは、川に流された籠から救われ、狼に育てられた双子のうちのひとりであるという伝説がある」とし、
「モーゼはローマの祖ロミュラスである」という仮説を裏付けています。
また、
ローマ神話でロミュラスと争ったとされるレムスが、
『旧約聖書』において、エジプト王妃に拾われたモーゼと共に王宮で育ったラムセス2世の名と似ていることも指摘しています。(同書、pp.244-246)
そして確かに、
ローマの建国神話にはロムルスとレムスという双子の兄弟が登場するのです。
このように、
日本の古文書に「モーセはローマの建国者である」という記述があるのです。
ローマと言えば、
ラテン語の発祥地ですよね
そして、
モーセが日本に来た時の日本の天皇の名には
「カンタル」という言葉がついていた…。
これは果たして偶然でしょうか…?
3.モーセが「カンタル」という言葉をイタリアに輸入した
すなわち、ここで提示したいのは、
「カンタルという言葉をラテン語に入れたのはモーセではないか」
という仮説です。
つまり、こうです。↓
元々、日本に「神足(カンタル)」という言葉が存在した。
それは天皇の名につけられるくらいだから、神聖で、かつ霊威のある言葉だったと考えられる。
充てられた「神」「足」という漢字から推測すれば、
「神の足場」として、大地、地球、国家などを意味した可能性は十分にある。
あるいは、「神の力が満ち足る」というような、「神の光が地上の隅々に届いている」といった意味合いもあったかもしれない。
これは、大川総裁が説明する「カンターレは地球という意味」「エル・カンターレは光満てる星、地球という意味」という話と整合性がある。
そして、モーセは来日時にその「カンタル」という言葉に触れた。
9次元霊たるモーセなのだから、当然その言葉の偉大さ、霊威を感じ取ったのかもしれない。
また、当時の世界の頂点たる天皇の名前でもあるから、生涯忘れることはなかったであろう。
そして、イスラエルの民を導いた後、
イタリア半島へ渡り、ローマを建国したモーセは、
その地でも「カンタル」の名の付く偉大なる存在を讃え、信仰したのではないだろうか。
それがなぜ「歌う」という意味のcantareとなったのかは推測するしかないが、
おそらく、「モーセがいつも「カンタル、カンタル」と繰り返し唱え、カンタルを讃えている」ということが、
「神を讃える」とか「呪力ある言葉を唱える」という意味で動詞として使われるようになっていき、
ローマの言葉=ラテン語として定着していったのではないだろうか―――。
<あくまで仮説やで
幸福の科学の霊査では、モーセが日本に来ていたという言説はまだ出ていません。
しかし、古代においてユダヤ人が日本を訪れていたのは本当だったようです。
「武内宿禰の霊言-神・信仰・国家-」で、武内宿禰霊は、
「ユダヤから、日本の天皇が替わったときに、挨拶に来ていた」とし、
「ダビデの星」なる六芒星も日本が教えた修法であり、
日本の神がイスラエルやイランで崇められていた
と述べています。
(『武内宿禰の霊言 日本超古代文明の「神・信仰・国家」とは』2021、pp.128-132)
つまり、
古代において日本は世界の中心であり、
日本から大陸に文化が流れ、
日本の神が世界で信仰されていた
という事実はあったということです。
それならば、
日本の神聖な存在を指す言葉が、
時と場所を経るうちに形を変え、意味を変えて伝わっていっても不思議ではありません。
この説の正当性を証明するには証拠はあまりにも少ないと思います。
しかし、
「ラテン語にカンターレという言葉がある」ということと、
「そのラテン語の地ローマを建国したのはモーセである」ということと、
「そのモーセが来日した時の天皇の名がカンタルだった」というのは、
あまりにも「偶然の一致」が過ぎているのではないでしょうか
皆さん、どう思う?
私は絶対に「偶然の一致」じゃないと思ってるよ
さて、次回は、天御祖神の存在にも触れつつ、
日本語の中にカンターレ=地球を意味することを証拠づける言葉を発見!!の話です~
お楽しみに!
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