※元々『「他人や自分の話を聞かれてもないのにペラペラ喋る人」の話』として、①~⑥を1つの記事として公開していましたが、長いので小分けにすることにしました。
パターン③可哀そうな人を救ってあげたのさタイプ
例えば、
「自分の知り合いにこういう人がいて、○○で困ってたから××してあげた」
みたいな感じです。
これも、エピソードトークとして言うならいいのです。
例えば研修で講師がいろんなケースの一つとして紹介するなら、
学びがあります。
けど、聞かれてもいないのに、
知り合いの不幸な話を勝手に他人に喋るというのはちょっと「んん???」ってなもんで。
要するに、
「そういう不幸な人を助ける自分」に存在意義を感じていて、
そこを認められたくてしょうがないんかなと思います。
今までこういうたぐいの「自慢話」で一番引いたのは、
「自分の元カノは性被害に遭った経験があって…」
みたいなことを私に話してきたヤツです。
私が女性だからセーフってか?
んなわけあるか仮にも好きだった人の性被害の話を軽々しく他人に言ってんじゃねぇこのボケナスが
となぜあのとき言えなかったんだろう今思い出しても気持ちが悪いのでタイムマシン使ってしばきたおしてきます。
てか好きでない人であってもそれは絶対に言っちゃダメな案件。
やっぱりしばく。
その人は、「自分は心に傷がある人に縁があって、それを癒すのが使命なんだ」と言っていました。
それは別にいいんです。
立派な使命です。
でもその自分に酔っちゃダメ。
もちろん人を救ったり、癒したりすることは大事です。
ただそういうことを職業にしている人って、厳しい「守秘義務」を持っていますよね。
医者やカウンセラー、弁護士などなど。
そういう人たちがクライアントのエピソードを公開するときは
必ずクライアントに許可を取りますよね。
「本に載せていいですか?」「学会で話していいですか?」「論文に症例として使っていいですか?」って。
つまり、軽々しく他人に「自分はこういう人を救った」という話をしたいがために
その人の許可なくデリケートな不幸話をペラペラ言う人は、
少なくともプロではなく、アマチュア、無免許の医者です。
守秘義務が守れない人は、自分の心にまだまだ歪みがある、傷があるということなんで、
他人を救えるところにはまだいないんじゃないかと思います。
自分が本当にその仕事に使命感と責任感を感じてやっているのなら、
どしっとしていればいいのであって、
あえてペラペラ自分の善行を吹聴する必要はないんです。
伝道もそうですね、聞いてもないのにペラペラ言う人がいます。
イイシラセとか流れてきますが、
相手の個人情報を流さないように気を付けましょう。
必要以上の情報を流している自分に気付いたら要注意です。
例えば「私の友人A(匿名)が最近失恋して落ち込んでいたので、経典○○をプレゼントした」というイイシラセがあったとします。(あくまで例であって、実際にあったというわけではない)
失恋したなんてその子にとって不名誉なことなので、あえて言う必要はなくて、
「最近哀しいことがあって落ち込んでいたので…」でいいわけです。
会内で流すにしろ、その子が入会したときになんらかのきっかけでそのイイシラセを見るかもしれない。
誰かが「ああ、この方が失恋して落ち込んでたっていう子?」って言っちゃうかもしれない。
どこで誰がその情報を知ってその子を特定するか分かったもんじゃないのです。
これも要するに「落ち込んでるその子に手を差し伸べた自分」に酔ってる可能性があるので、
自分の心は本当によくよく見つめた方がいいのです。
歪んだ心を完全に治すまでは難しくても
少なくとも自分の悪い癖を自覚していれば、「お、これはいけない」と思いとどまれるので、
できるだけ偽我を発見し、「少なくとも行動になる前にストップかけられるようにしよう」と心がけるのが良いです。
④に続く
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