こんにちわんわんわわーんわんわんわわーんなーいてばかりーいーる
たつとらです
さて、
そろそろ
ちゃんと
皆さんの
勉強の
参考になる
記事を
書かなきゃ
いけないかなって
思ってる
次第で
あります
(やっとかよ)
今までのは
序章っていうか
核心部分を思いっきり避けた
遠回り記事でしててへ
てなわけで、
京大シリーズ7個目(番外編含む)となる今回は
そのものずばり
「なぜ京大に合格できたのか」の核心部分
の
「土台」に当たるところになるかと思いまする。
(まだ核心じゃないのかよ)
では
↓↓↓
みょーん
今までの記事を読んでくださった皆さんは、
「たつとら、塾行ってたから成績良かったのね」
「たつとら、真面目だったから成績良かったのね」
「たつとら、地頭が良かったから…」
「たつとら、暗記力が…」
「たつとら、…」
とか色々ご納得されたと思うのですが、
私としては
成績が良かった理由の一番大きいのは、
ズバリ
本を読んでたから!!!
だと思っております
もちろん地頭が良いのはホントそうだと思います。
親にすげぇ感謝してます
でも
もう一つ親に感謝なのが、
「家に本がいっぱいあったこと」
なのです。。。
うちは父親が信者で、母はNOT信者なんですけど、
父親はもう経典は出たら全部買う人で、全部読む人で。
なので、
幸福の科学の本は、当時出てた分、全部ありました。
それこそ、初期の土屋書店出版のものとかも含めて。
そして父は
その他にも
松下幸之助や一倉定などなど
経営・ビジネス系の本とか
自己啓発系の本などもいっぱい読んでいました。
そして、母は母で、読書家というか、
とにかく小説がいっぱいありました。
そう、うちは
「両親が読書家」の家庭だったのです
親が子供に与える最大の宝物は
「読書の習慣」だとも言われます。
私はそれを両親に与えていただいたと思うのです
と言っても、
強制されたわけではなく、
絵本をいっぱい読ませるなどの英才教育を受けたわけでもありません。
また、私が読書にハマり出したのは
中1くらいからで、
それまではそんなにたくさん読んでいませんでした。
きっかけは、
小6の時の学芸会です。
学芸会を見に来た母が、
私のクラスではなく、隣のクラスの劇を見て、
「あの劇はたぶん、この小説を元にしてると思うよ。読んでみ」
と言って、
1冊の小説を薦めてくれたのです。
それが、
宗田理の「ぼくらの七日間戦争」だったんですけど。
↑とある世代にはドンピシャだと思いまする。。。
薦められたはいいものの、
「ふーん」と言ってしばらく読まずに放置。
そしたら兄が先にその小説を読んで、
「めっちゃおもろい」と。
それで、
中1の時に読み、
そっから一気にハマりまして。。。
宗田理先生の作品はもちろん、
家にあった赤川次郎先生の本とか
全部読みましたねぇ。。。
(中学時代)
(とりあえず好きだった作品を貼る。)
まぁこれらの作家名で分かると思うんですが、
私は大川隆法総裁先生のような
日本や世界の名著・古典を読むようなアカデミックな学生ではなく、
普通に、軽めのミステリーや冒険ものとか
年相応の、読書。
ぶっちゃけ、夏目漱石とか森鴎外とか
夏休みの読書課題で読んだけど
一向に面白さや良さは分かりませんでしたねちーん
当然
『車輪の下』とかそういう世界的古典とかは
存在すら知りませんでしたねどどーん
でも、私
赤川次郎作品だけで、
400~500冊は読んでるんですよ。
(2015年で作品数580冊突破だそうですスゴスギ次郎)
宗田理作品も100冊は読んでると思うんです知らんけど。
あとは、高校・大学と、新しい作家さんも色々読み漁り。
ハマったのは宮部みゆき先生。
この方のも学生時代は既刊本全部読みました。
あと、灰谷健次郎先生の『天の瞳』シリーズとかもハマりました。
高校時代からは歴史小説もちょこちょこ読むように。
ただ、『竜馬がゆく』は2巻で挫折し、大人になってから全8巻読破したが。
大人になってからですが、有川浩先生好きです
ま、こういう感じで、
要するに
たつとらの「読書」は
「難しいものは読めないけど、
とにかくハマったらその作家のものどんどん読む」形式で
活字はいっぱい読んでまして。
そういう点で、
読解力や文章力の基礎がついたと思いまする。
やはり、国語がすべての教科の基本というか、基礎に当たるわけで、
「何を言っているのか」が分かって初めて、すすすっと暗記できるわけで、
理解したら暗記は早いんですよ
理解しないまま言葉だけ暗記しようとしたら、
頭の中で意味が繋がらないから
暗記スピードも遅くなるし
定着もしないんですよね。
なので、
ほんま、
読書の習慣って、
大事やと思います…!
総裁先生のマネができたらいいですけど、
マネできんって人は
自分の好きな本から読めばいいんじゃないかと思いまする!
ちなみに、
小学生時代も
兄が「ズッコケ三人組」シリーズにハマってて、
それをちょこちょこ読んでた記憶が…
でもハマるほどじゃなく、
読書量が増えたのは
やはり中学入ってからですねぇ…。
そして、
何より、
他の生徒と差が付いたのは
やはり
「幸福の科学の本を読んでいた」
という点だと思うんです
小学生時代でも、
幸福の科学の本、
自分が読めそうなものは読んでいたように思います。
マンガは読んでいました
経典をマンガ化したやつ
あと、「ヘルメスエンゼルス」という小冊子、
当時もう出てたと思うんですが、
子供向けで、
巻末にマンガがあったので、
(またマンガかよ)
いつも読んでました
『太陽の法』などの、ザ・「経典」系は
多分、本格的に読み始めたのは中学からだと思うのですが。。。
覚えているのは、
中学生の時に
クラスメイトが
歴史のテストの時に
「アリストテレスとアルキメデスがごっちゃになる」って言ってて。
私はそれを聞いて
「え?なんで???全然違うやん」
ってなったんですな
『黄金の法』等ですでに
その名前にはもう親しみがあって
細かいことは分からなくとも
どういう思想の人だとか、
どういうことを発見した人だとか、
だいたいのイメージがすでについてて、
アリストテレスとアルキメデスは自分の中で全くの別人だったからです
他の生徒は
歴史の教科書で初めてその名前に出会い、
そして訳のわからぬままに暗記するわけですが、
幸福の科学の本を読んでいる人は、
その歴史上の偉人の名前にすでに出会っていて、
さらにその上
世界史に与えた影響とか
何次元の人だとか
死後天国に行ってるか地獄に行ってるかまで
知ってるわけです。
要するに、
ただ歴史の教科書で勉強する生徒と
幸福の科学の本をあらかじめ読んだうえで歴史を勉強する生徒とでは
頭の中の「歴史」のイメージが全く違うし、
先に偉人の名前だけでも知っている分、
吸収するスピードが全然違うわけですよ
坂本龍馬とか勝海舟、吉田松陰などが授業で出てきたら
他の生徒は
まず「名前覚える」からスタートするわけですが、
その前から名前を知ってるこちらは
「あ、好きな偉人が出てきた!」からスタートするわけで、
もうね、
スタートラインが違うわけですよ…
なので、
信者2世さんとか出会って
「子供のころ全然経典読まなかった」という話を聞くたび
「え、もったいな!!!」
って思うのです。
小学時代から幸福の科学の教えに触れ、中学時代以降いっぱい経典読んでたたつとらが言います。
学生時代勝ち組になるよ
いや、効果マジでヤバイよ?
そもそも総裁先生が
かなりの日本語の使い手だからさぁ
日本語の美しさ一級品だからさぁ
『仏陀再誕』とかの直インスピ系経典になると
もうあまりの言葉の美しさに
脳ミソが勝手にオキシトシンとセロトニンとドーパミンどばどば出してくるよ
確実に読むだけで言葉のセンス磨かれる。
ちなみにたつとらは中学時代、
地域の標語募集で採用されて、私の考えた標語が横断幕になってしばらく中学校の壁に飾られてたし、
作文が選ばれて市のなんちゃらに載ったことあるし、
合唱コンクールではクラスで「既成の曲にオリジナル歌詞をつける」という案が出て、たつとらが詩を書くよう頼まれたよ。
こういう「他人の琴線に引っかかる言葉を紡ぎ出す」という力は
やっぱり天上界からの言葉に触れていたから身に付いたものではないかなと思うんですな
あとね、
『正心法語』。
これ覚えてる人はヤバイよ。
漢文、めっちゃ出来るようになるよ。
マジで、違うよ。
これもまた
「他の生徒とスタートラインが違う」現象起きる。
「而して」とか
「~なり」とか
日々そういう言葉の響きに慣れている人と、
全く初めて出会う人とでは
読解力がもう全然違うのよ。。。
あと、
信者の皆さんって割と
『正心法語』って暗記してると思うんです。
諳んじて言えると思うんです。
これがねぇ、
要するに、
現代版「虚空蔵求聞持法」なんじゃないかと。
『正心法語』を覚えることで、
他の真理も覚えやすくなるし、
暗記力自体が高まるんじゃないかと思うんですよね。
「お経を諳んじることができる」というのは
一つの自信になりますよ。
般若心経でも
諳んじて言えるとやっぱ周りは「おぉーっ」ってなりますでしょ。
『正心法語』って
信者さん暗記してる人多いから
今さら「おぉーっ」ってならないかもしれませんが、
「暗記しているお経がある」というのは
スゴイことですよ。
そしてもう一回言うけど
『正心法語』を諳んじて言える人は漢文楽勝のすけ。
長くなったので、
今日はこの辺で!
続く!
「な、なるほどぉ―――!」という方はポッチリ。
「やっと参考になる記事です」という方もポッチリ。