じゅりれなよ永遠に -6ページ目

じゅりれなよ永遠に

じゅりれな・坂道小説書いてます。

数日後、麻衣は重い足取りで、

路地裏に佇む喫茶「L」の扉を開けた。

 

カラン、と軽やかなドアベルの音が鳴る。

 

 店内は、カウンター5席のみの

小さな空間。

 

奥の席で、平手友梨奈が静かに

コーヒーカップを傾けていた。

 

いつもの黒いジャケット姿で、

窓の外をぼんやりと眺めている。

 

カウンターの中では、

店主の松井玲奈が一人、

黙々と器具を磨いていた。

 

その所作には無駄がなく、

静謐な店の空気に溶け込んでいる。

 

「いらっしゃい、白石さん」

 

 玲奈が麻衣に気づき、顔を上げた。

 

その声には、

普段通りの落ち着きがある。

 

「こんにちは、玲奈さん。

…あら、友梨奈もいたのね」

 

 麻衣は友梨奈の隣のスツールに腰掛け、

ハンドバッグを膝に置いた。

 

友梨奈はゆっくりと麻衣の方を向き、

無表情のまま小さく頷いた。

 

「麻衣さん、どうしたの。

顔色、あんまり良くないけど」

 

「…友梨奈、ちょっと聞いてもらってもいい?」

 

 麻衣は深いため息をついた。

 

友梨奈はコーヒーカップをソーサーに戻し、

麻衣の顔をじっと見つめた。

 

「何? もめ事?」

 

「そういうわけじゃないんだけど…少し、ね」

 

 麻衣は言葉を選びながら、

美波からの告白と、

それに対する自分の複雑な心境を

ぽつりぽつりと語り始めた。

 

カウンターの中で作業をしていた玲奈も、

手を止めることなく、

しかしその会話に静かに

耳を傾けているのが分かった。

 

「へえ、後輩の子か。いいじゃん、

麻衣さんなら上手くやっていけるよ」

 

友梨奈はあっけらかんと言った。

 

その言葉には、

悪気もなければ、深い思慮もない。

 

ただ、思ったことをそのまま口にしただけだ。

 

「…そんな単純な話じゃないのよ、友梨奈」

 

 麻衣は困ったように微笑む。

 

 「そうなの? 私、そういう男女の機微とか、

全然分かんないからさ。

苦手なんだよね、その手の話」

 

 友梨奈は肩をすくめ、

再び窓の外に視線を移そうとした。

 

その時、玲奈が磨いていたカップを置き、

静かな声で割って入った。

 

「白石さん、悩んでるみたいだね」

 

その声に、

麻衣は救いを求めるように玲奈を見た。

 

「玲奈さん…」

 

友梨奈にした説明を、

麻衣は玲奈にも繰り返した。

玲奈は黙って麻衣の話に耳を傾け、

時折、ゆっくりと瞬きをする。

 

その深い瞳は、麻衣の心の奥底まで

見透かしているかのようだ。

 

全てを聞き終えた玲奈は、

カウンターに肘をつき、静かに口を開いた。

 

「白石さん、

その子の気持ちは、きっと本物なんだろうね」

 

「…はい。とても純粋で、まっすぐな子なんです」

 

 麻衣の声がわずかに震える。

 

「誰かと深く関わるってことはさ、

いつか必ず別れが

来るかもしれないってこと、

受け入れるってことだよ。

どんな関係でも、それは同じ」

 

玲奈の言葉は、

静かだが有無を言わせぬ響きがあった。

 

「ましてや、あたしたちみたいな生き方してると、

その『いつか』がとんでもない形で、

あっという間に来ることだってある。

その覚悟、白石さんにはある?」

 

麻衣は息を詰めて玲奈の言葉を聞いていた。

 

覚悟。その一言が、鉛のように重くのしかかる。

 

「…覚悟…」

 

「もし、その覚悟があるんなら…

一時の温もりを求めるのも、

一つの生き方かもね。

それが、ほんの束の間のものであっても」

 

玲奈はそう言うと、ふっと視線を落とし、

テーブルの一点を見つめた。

 

 

その横顔には、

麻衣には計り知れないほどの過去と、

そこからくる諦観のようなものが漂っていた。

 

「玲奈さん…」

 

「ただ…」

 

 玲奈は再び麻衣に視線を戻す。

 

 「その子が、あなたと一緒にいることで、

あなたが守りたいと思ってる日常から

遠ざかっちまう危険性も、

忘れないでね」

 

それは、忠告であり、

彼女自身の経験からくる

言葉のようにも聞こえた。

 

友梨奈は、

二人の会話を黙って聞いていた。

 

彼女には、

麻衣や玲奈が抱える葛藤の深さまでは

理解できないかもしれない。

 

だが、大切な仲間が

苦しんでいることは感じ取っていた。

 

彼女は静かに自分のコーヒーを飲み干し、

玲奈に目で合図して席を立った。

 

「…じゃあ、あたし、行くわ」

 

「ん、またね、友梨奈」

 

 玲奈が軽く手を上げて応じる。

 

友梨奈は麻衣の肩を軽く一度だけ叩き、

何も言わずに店を出て行った。

 

残された麻衣は、

玲奈の言葉を胸の中で何度も反芻した。

 

「いつでも別れがあることは覚悟しておくこと」。

 

その言葉は、冷たく突き放すようでありながら、

どこか麻衣の背中をそっと押してくれるような

温かさも秘めているように感じられた。

 

 美波の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 

あの曇りのない好意を、

自分は本当に

受け止めることができるのだろうか。

 

そして、その先に待つ未来がどんなものであれ、

後悔しないと言い切れるのだろうか。

 

答えはまだ、出そうになかった。

 

 喫茶「L」の窓から差し込む午後の光が、

テーブルの上に置かれたままの

麻衣の注文したコーヒーカップを、

静かに照らし出していた。