依頼を受けてから数日後。
入念な調査と準備を経て、
運命の夜が訪れた。
都会の喧騒が闇に溶け始める頃、
三人はそれぞれの標的へと動き出す。
月は雲に隠れ、
彼らの「仕事」には好都合な夜だった。
鎌苅太一は、高級クラブのVIPルームで、
側近たちと酒池肉林の宴に興じていた。
傍目にはただの若者にしか
見えない匠海は、巧みにウェイターとして
部屋に潜入していた。
その手には、年代物の杖が握られている。
「おい、そこの兄ちゃん、酒持ってこい!」
鎌苅の野太い声が飛ぶ。
匠海は無表情に頷き、
酒瓶を手に鎌苅へと近づいた。
鎌苅がグラスを差し出す、その瞬間。
匠の動きは、ほとんど見えなかった。
杖を持つ手が微かに動き、
先端からごく短い銃身が覗く。
カシュッ、という
空気の抜けるような微かな音。
鎌倉の眉間に、小さな赤い点が浮かび、
次の瞬間にはその巨体が
ソファに崩れ落ちた。
周囲の側近たちが何事かと騒ぎ出す前に、
匠海はすでに部屋から姿を消していた。
杖に仕込まれた銃は威力が弱いが
故に音も小さく、至近距離で急所を正確に撃ち抜く
技術が求められる。
匠海にとって、
それは手慣れた作業の一つに過ぎなかった。
白居政夫は、自身が経営する
裏カジノの監視室で、
モニターに映る金の流れを満足げに
眺めていた。
部屋には彼一人。
麻衣は、カジノの常連客を装い、
事前に仕掛けておいた僅かな細工を利用して、
音もなく監視室のドアを開けた。
ハイヒールが絨毯を踏む音さえも消し、
麻衣は白居の背後へと滑るように近づく。
その指には、大ぶりの宝石が
嵌められた指輪がきらめいていた。
「あら、お一人とは寂しいですわね」
甘く囁くような声に、白居が驚いて振り返る。
その瞬間、
麻衣の指が白居の首筋に軽く触れた。
指輪に仕込まれた極小の毒針が、
一瞬にして致死量の毒を彼の体内に送り込む。
「なっ…おま…」
白居は言葉を失い、その場で崩れ落ちた。
麻衣は、苦悶の表情を浮かべることもなく
絶命した白居を一瞥すると、
何事もなかったかのように
優雅な足取りで部屋を後にした。
彼女の美しさは、時に最も危険な凶器となる。
「レッドドッグ」会長、山本大祐は、
都心に構える自身のペントハウスの最奥、
防弾ガラスに囲まれた書斎にいた。
屈強なボディガード数名が
常に周囲を固めている。
友梨奈は、事前に建物の構造を
完璧に把握し、
死角を縫うようにして警備を突破、
山本の書斎へと通じるダクト内に潜んでいた。
物音一つ立てずにダクトから床に降り立つ。
その気配に気づいたボディガードたちが、
一斉に銃を構えた。
しかし、友梨奈の動きは彼らの反応を上回る。
腰のホルダーから
サバイバルナイフを引き抜くと同時に、
最初のボディガードの喉を切り裂き、
二人目の銃を持つ腕を斬りつけ、
続けざまに三人目の腹を深々と突き刺す。
血飛沫が舞い、悲鳴を上げる間もなく、
屈強な男たちは次々と床に沈んだ。
書斎の奥でその惨状を見ていた山本は、
恐怖に顔を引きつらせながらも、
机の引き出しから拳銃を取り出した。
「ば、化け物め…!」
震える手で銃口を友梨奈に向ける。
友梨奈は、床に転がる
ボディガードの死体を
盾にするようにしながら、
山本との距離を詰めていく。
山本の放った銃弾が、
盾となった死体に数発食い込む。
「お前の組織のせいで、
何人死んだと思っている」
友梨奈の低い声が、書斎に響く。
その声には、彩の無念、
そして名も知らぬ犠牲者たちの嘆きが
込められているようだった。
「知ったことか!ゴミが増えただけだ!」
山本が再び引き金を引こうとした瞬間、
友梨奈は床を蹴り、一気に間合いを詰めた。
ナイフが閃き、山本の拳銃を持つ手を切り裂く。
銃が床に落ちる音。
「ぐあっ!」 山本が痛みに呻き、後ずさる。
友梨奈は、山本を壁際に追い詰めた。
その瞳は、凍てつくような怒りに燃えている。
「彩…あの子は、
お前らのような人間のせいで死んだ」
「あ、彩…?知らん、そんな女は!」
「…そうだろうな」
友梨奈は、
もはや山本に言葉は通じないと悟った。
ただ、この男の命を奪うことだけが、
彩への、そして名もなき犠牲者たちへの、
唯一の弔いとなる。
サバイバルナイフが、
山本の心臓を目掛けて、正確に、
そして容赦なく突き立てられた。
山本は声にならない叫びを上げ、
その場に崩れ落ちる。
友梨奈は、返り血を浴びたナイフを
静かに見つめ、そして一振りして血を払った。
書斎には、死の沈黙だけが残されていた。
窓の外には、
眠らない都会の夜景が広がっている。
その光の海を見下ろしながら、
友梨奈は静かに息を吐いた。
まだ、やるべきことは終わっていない。
「レッドドッグ」の幹部たちが消え、
街には束の間の静けさが戻った。
しかし、友梨奈の心の中の嵐は、
まだ完全には止んでいなかった。