次に和が目を覚ました時、
目に映ったのは見慣れない白い天井だった。
消毒液の匂いが微かに鼻をつく。
保健室のベッドの上だと気づくのに、
時間はかからなかった。
「……ん…」
身じろぎすると、すぐに心配そうな顔が覗き込んできた。
「和! よかった…気がついたのね…!」
それは、いつもの優しい、
和がよく知っている咲月の顔だった。
その瞳には、心からの安堵の色が浮かんでいる。
「私…わかる? 咲月だよ、和!」
「…さっ…ちゃん…」
掠れた声で名前を呼ぶと、
咲月は「よかった…!」と涙ぐみながら、
和の手をぎゅっと握りしめた。
「心配かけて、ごめんね…」
「ううん…。私の方こそ、ごめん…」
咲月の温かい手のひらと、
心から心配してくれている表情に、
和はさっきまでの恐怖が少しだけ和らぐのを感じた。
あの歪んだ笑顔は、気のせいだったのかもしれない。
そう思いたかった。
和はしばらく保健室で休み、回復してから授業に戻った。
放課後は、何事もなかったかのように、
咲月の部活の練習をグラウンドの隅で見守り、
そして、いつものように二人で並んで下校した。
夕日が二人をオレンジ色に染めている。
けれど、和の心の中は、晴れない霧がかかったままだった。
(聞かなきゃ…でも、聞けない…)
咲月に、あの日のこと、野村先輩のことを聞きたい。
でも、もし聞いてしまって、あの時の、
自分の知らない怖い咲月の顔を再び見ることになったら?
真実を知るのが、怖かった。
「…咲っちゃん」
「なあに、和?」
隣を歩く咲月が、優しい笑顔で振り返る。
「…ううん。なんでもない。ただ…こうして、ずっと
…ずっと一緒に帰れるといいなって、思っただけ」
それは、今の和にできる、精一杯の言葉だった。
未来への不安と、変わらないでほしいという
切実な願いが込められていた。
「もう、和ったら。なにを今更、
当たり前のこと言ってるの? 今日の和、なんだか変だよ?」
咲月は、和の言葉の裏にある
本当の意味には気づいていない様子で、屈託なく笑った。
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
(井上和視点)
そう、私にとって咲月は、ただの妹じゃない。
血の繋がりはないけれど、
誰よりも大切な家族であり、かけがえのない親友であり、
そして…いつからか、私の心を焦がす
ただ一人の愛しい人になっていた。
だから、分かっている。
たとえ、あの日の咲月の行動が、
野村先輩の失踪に繋がっていたとしても。
たとえ、彼女が私の知らない
恐ろしい一面を持っていたとしても。
それでも、咲月は咲月だ。
私の、たった一人の、愛しい人。
私は、この先どんなことがあっても、
咲月と共に生きていく。そう、決めたのだ。
やがて、野村先輩の失踪は、
私達──【Harmony Blossoms】、
に関わったからではないか、
と噂されるようになった。
美しい薔薇には、鋭い棘がある。
彼は、その棘に深く刺されてしまったのだ、と。
もし、その棘を彼に刺したのが、
本当に咲月だったとしても。
それはきっと、私を守るため。
私への純粋な愛が、彼女をそうさせたのだとしたら…。
それは、私も同罪なのだ。
だって、私の中にも、咲月のためならどんなことでも、
という想いが確かに存在しているのだから。
私は今日も、咲月の愛に守られながら、その隣を歩く。
この危うい日常が、いつまで続くのかは分からない。
けれど、今はただ願う。
愛しい咲月のいる傍で、
いつまでも、いつまでも一緒に笑顔でいたい、と。
―FIN―