じゅりれなよ永遠に

じゅりれなよ永遠に

じゅりれな・坂道小説書いてます。

スマートフォンには、

玲奈、友梨奈、そして匠からの任務完了を

知らせる短いメッセージが既に届いている。

 

内藤への報告も簡潔に済ませた。

冷たい夜風が、

先程までの緊張で火照った頬を

心地よく冷やしていく。

 

タクシーの窓から流れる街の

灯りをぼんやりと眺めながら、

麻衣の胸には様々な感情が去来していた。

 

ターゲットを仕留めた達成感。

 

しかし、

それ以上に強く心を占めていたのは、

別の温かい感情だった。

 

(美波ちゃん…)

 

 彼女の笑顔を思い浮かべると、

自然と口元が緩む。

 

数日前、

ストーカーの恐怖に怯えていた彼女。

 

そして、自分の腕の中で安堵し、

純粋な好意を向けてくれた彼女。

 

こんな幸せな時間が自分に訪れるなんて、

ほんの少し前まで想像もしていなかった。

 

裏社会に生きる自分は、

血と硝煙の匂いが染み付いている。

 

普通の幸せとは無縁だと、

どこかで諦めていたはずだった。

 

玲奈の言葉が脳裏をよぎる。

 

「誰かと深く関わるということは、

いつか必ず別れが訪れる可能性を

受け入れるということ」。

 

そして、「その覚悟があれば」。

 

 覚悟。

 

自分にその覚悟が

本当にできたのか、まだ確信はない。

 

この稼業を続ける限り、

いつ命を落としてもおかしくない。

 

大切な人を危険に巻き込むかもしれない。

 

その恐怖が完全に消えたわけではない。

 

それでも。 美波と過ごした時間、彼女の温もり、

そして彼女が向けてくれる真っ直ぐな想い。

 

それが、麻衣の凍てついていた心の一部を

確かに溶かしたのだ。

 

(いつ死ぬかわからない…

だからこそ、今、この手の中にある幸せを、

失うことを恐れるよりも、ただ大切にしたい)

 

そう思えるようになっていた。

 

タクシーが、

見慣れたマンションの前で停まる。

 

麻衣は深呼吸を一つして車を降りた。

 

見上げると、美波の部屋の窓に、

温かいオレンジ色の灯りがともっている。

 

それだけで、

胸の奥がきゅっと締め付けられるような

愛おしさが込み上げてきた。

 

エレベーターを上がり、

彼女の部屋のドアの前に立つ。

 

インターホンを押す指が、

ほんの少しだけ震えた。

 

すぐに、パタパタという軽い足音が聞こえ、

ドアがゆっくりと開いた。

 

「麻衣さん…!」

 

 部屋着姿の美波が、

驚きと喜びが入り混じった表情で

麻衣を見上げている。

 

その瞳は、麻衣の帰りを

待ちわびていたかのように潤んでいた。

 

「ただいま、美波ちゃん」

 

 麻衣は、自分でも驚くほど

穏やかな声でそう言った。

 

そして、浮かべたのは、

ここ数年忘れていたような、

心からの柔らかな笑みだった。

 

 美波は言葉もなく、

麻衣の胸に飛び込んできた。

 

その小さな身体を抱きしめながら、

麻衣は目を閉じた。

 

この温もり、この香り。

 

これが、今の自分の全てだ。

 

いつ終わりが来るかわからない、

刹那的な幸せなのかもしれない。

 

明日にはまた、

血生臭い任務が待っているのかもしれない。

 

それでもいい。

 

今はただ、この腕の中にある確かな温もりを、

このかけがえのない時間を、心の底から噛みしめよう。

 

麻衣は、美波を抱きしめる腕にそっと力を込めた。

窓の外には、夜明け前の最も深い闇が広がっている。

しかし、部屋の中には、二人の想いが織りなす、

どこまでも優しい灯火が確かに揺らめいていた。

 その灯火が、これから二人で紡いでいく未来を、

静かに照らし始めている。

 

数日後の昼下がり。

 

路地裏に佇む喫茶「L」のドアベルが、

カラン、と乾いた音を立てた。

 

カウンターの中で黙々と

ネルフィルターの手入れをしていた

松井玲奈が顔を上げる。

 

そこに立っていたのは、

いつもの黒いジャケットを着た平手友梨奈だった。

 

「…いらっしゃい」

 

「…どうも」

 

短い挨拶を交わし、

友梨奈はカウンターの一番奥の席に腰を下ろす。

 

玲奈は何も言わずに、

慣れた手つきでコーヒーの準備を始めた。

 

店には静かなジャズの音色と、

豆を挽く香りだけが満ちている。

 

やがて、友梨奈の前に、

湯気の立つカップが静かに置かれた。

一口、ブラックコーヒーをすすった後、

友梨奈はぽつりと呟いた。

 

「この間、麻衣さんに会った。

麻衣さん、あの子…美波ちゃん、だっけ。

あの子と、付き合うことにしたって」

 

その報告に、玲奈は

カップを磨いていた手をぴたりと止めた。

 

だが、特に驚いた様子は見せず、

ただ、窓の外の灰色の空に視線を移した。

 

「…そう。あの子、覚悟、決めたのね」

 

玲奈の静かな声には、

麻衣の決断を尊重するような、

それでいてどこか遠い昔を

懐かしむような響きがあった。

 

「…よかったんですよね?」

 

友梨奈が、自分に問いかけるように言った。

 

仲間が掴んだ「普通の幸せ」への戸惑い。

 

それが自分たちとは縁遠いものであると、

誰よりも知っているからこその、

純粋な疑問だった。

 

玲奈は友梨奈に視線を戻すと、

ふっと、本当に微かだが、

柔らかな笑みを浮かべた。

 

「さあね。あたしたちみたいな

生き方をしてる人間にとって、

何が正解かなんて、誰にも分からないわ」

 

彼女は磨き上げたカップを棚に戻し、続ける。

 

「でも…美波さんの話をしたときの

あんな顔で笑う、白石さんを初めて見たわ。」

 

その言葉に、友梨奈は何も答えなかった。

 

ただ、カップに残ったコーヒーを静かに飲み干す。

 

刹那の温もりかもしれない 。

 

明日にはまた、非情な現実が

二人を待ち受けているかもしれない。

 

それでも、仲間が選んだ一筋の光。

 

今はただ、それを見守るしかない。

 

喫茶「L」には、またいつもの穏やかで

静かな時間が流れ始める。

 

東京の巨大な空の下、彼女たちの物語は、

ひとつの区切りを迎え、そして、また続いていく。