バルコニーから見上げると、下弦の月が見えた。
ゆっくりと形を変えながら流れる雲は、月に近づくと濃紺の空を削り取ったように白く見える。
月光は清らかに降り注ぎ、心を洗うようだ。

ラティアは暫く月を感慨深げに見上げていたが、微かな月光に浮かぶ中庭に視線を移すとユリウスに尋ねた。

「城を出られるかしら。」

「夜明けまでそれほどありません。無理でしょう。どちらまで行くおつもりですか?」

「できる限り遠くまで。」

ユリウスはラティアを抱き上げると、バルコニーの欄から、木の精霊が当座に差し出す枝の階段を足場として中庭まで降りて行った。

夜露に濡れた、むせかえるような花の香りが満ちている。
ラティアはユリウスの腕から、やわらかな草の上に降りた。

「では、中庭をぬけ、城の右手から背後の平原へ出ましょう。」

「そういえば、アレスに会った日は、そこから更に北へ向かったわ。ねえ。サウザードの居城はここから北へ向かった場所にあったのでしょう?」

はっとしたように、ユリウスが尋ね返した。

「あの日の事を覚えておいでですか?」

「よく覚えているわ。忘れたことにしていたけれど…。夢のような出来事だった。幼かったあの頃は、物語の中に迷い込んだ様でとても嬉しかったの。でも、今は…。」

月が雲に隠れた。

「分かってきたの。それが、どういう意味を持つのか。私がするべき事は決して、花や宝石に囲まれて、歌を歌うような事では無いということが。…分かってきたのよ。このままでは、いけないの。」

雲が流れ、再び月光が降り注いだ。
ラティアの不安そうな横顔が見えた。


ユリウスは真剣な、しかし、穏やかさを失わない瞳でラティアを見つめると言った。

「落ち着いて。まだ焦る必要はありません。ただ、進むべき道を見つけたのであるなら、恐れずに進めばいいのです。今すぐに全てを変えることが不可能であっても、全てを変える為に、一つを変える事は可能でしょう。」