私のブログの最初の方で個別のコメントではなく、「皆さまありがとうございます」というタイトルの文を読んで貰えれば有り難いのですが、
あの段階では全く主張というものが出来ていなかったし、「今後別で纏めたものを掲載する…」と書いたのですが、
一つ一つが連続した物ではなく、別の場でタイトル別に日々感じた事などを纏めていて、それらを一気に載せたので当然見る人によれば纏まりがない様に思えるかも知れません…
その時々に自分自身で感じた事や思いというのを大切にして来ましたし、
自身が以前の考えより建設的になったり、より発展している場合もあります。
逆に自身が過去に書いた事でハッとさせられる場面があったり、自身納得出来たり出来なかったりする部分もあります。
良くも悪くも、それらが私の血となり肉となり、その経緯や過程で今の自分が形成されていて自分のアイデンティティが保てていて、私の主張や観念にも繋がっています。
当然人間日々考えを巡らせていたり、色々な事柄を見聞きする中で新たな発見や気付きがあったり、して私自身にも少なからず「変化」というものがある訳です。
なので「続アメリカと日本」を掲載する際には自身の「極論」に自ら突っ込みを入れつつ、自身の「内にある思い」を隠さずに載せた次第です。
実際極論であったりするし、批判的意見もあるだろうとは思いました。
しかし私という者を他者に伝えようとする場合には「自己開示」が必要で、良くも悪くも、極論も踏まえて、「私はこういう人間です」「こんな考えです」と多くを伝える必要がありました。
私自身完璧な人間ではないですし、私自身の主張が絶対正しいとも思っていませんし、誰かを全否定したつもりもありません。
社会に対してのアンチテーゼも完全な否定というより「否定的」であったり「懐疑的」と思って貰えれば私に対しての見解も変わるかと思います。
もっとも私の言い回しが「…である」とか「…べきだ」となってしまっているので、見る人によれば意見の押し付けであったり、
私が自分の意見が絶対的に正しいと思わせている要因かも知れません。
しかしながら私を支えている「行動原理」を知ってもらう為にはまだまだ私自身の事を話さなくてはいけないと思っています。
今の段階ですらまだまだ伝えきれていないのが実情で、
今後それを小出しにして行くか、
もっと纏めたものを書いていくかどうか…
その辺りも今後の課題だと思っています。
あと何かの演説にしても演説の途中で周りが異議を唱えたり反論するのではなく、まずその演説を最後まで傾聴してもらえれば伝える側も安心して話せるのではないかと思います。