今の国家や社会が何故容認しているのかが解せないが、いつからかポルノなどの文化が存在し、今ではインターネットでその内容などが見れる時代になってしまっている…
ドラマや映画では愛し合っている訳でもない、恋人や配偶者の関係でもない男女が役としての恋愛の描写をする事がある

ポルノや性風俗などでは人間関係すら形成出来ていないであろう男女が性的な行為に至ったり、ネットやふざけたメディアが金儲けの為に作った性の商業レールが出来てしまっている

資本主義の名の下に、自由を履き違えた民主主義の中でそれらが容認されて野放しになっている…

そしてその事に疑問すら持たず育つ子供達がいる

新しく生まれて来る子供達には親や社会は選べない…

今の大人達が間違った方向に向かっていれば子供達に正しい後ろ姿を見せる事などできようか?

ブログなどは放置していたが、最近思う事が多々あり
きっかけ作りに久しぶりに綴ってみた次第である…



最近の思考の変化として人間というのは、成長しようとすれば死ぬまで学習し、学び、成長する事が出来るものだと思うようになった。

それは希死念慮のある人の思いを聞く機会が増えていて、相手がその思いに縛られないようにする為に考えるに至った事なのであるが、

自身も少なからず希死念慮があり、死んで苦しみから解放されたい気持ちも経験上わかるのだが、

死んでしまったら成長する事も出来ないのである。

それって勿体無い事ではないだろうか?

生きる事を諦めてしまえば、そこから成長する事も出来ないのである。

死んでしまえばこれから成長する事や自分の可能性をも終わらせる事になる。

向上心を忘れず、成長する事で、今までの自分の限界を超える事も出来るし、

自分の殻に閉じこもるのではなく
心を閉ざすのではなく
心のアンテナを広げて色んな事を良く見聞きし、感じ、

決して取り乱さず自分を客観視出来るようになれば
そこから問題点や修正する部分が見えて物事を改善していく事が出来るようになると思う。

それが成長につながり、
問題点が改善されたり、良い変化をもたらす事もあると思うのだが…

そう考えると自ら成長を止めてしまう事は実に勿体無い。

確かに希望を持てと言われて、それが簡単に実践出来るなら誰も苦労はしないだろう、

でも人生は苦しい事や辛い事ばかりじゃない…

諦めず、歩みを止めなければ道が拓ける事もある。

自分の成長というものに着眼点をおけば、成長する事でモノの見方が変わる事があったりもする。

時として劇的に変わる事もあるだろう。

自分の捉え方一つで人生や未来が拓ける事も沢山ある。

モノの見方が変われば
今まで気付かなかった事に気付く事も出来て、

乗り越えられなかった事が乗り越えられるようにもなり、

生き方をも変える事も出来るのではないだろうか?

だから相手には「自分を、自分の人生を絶対に諦めて欲しくはない。」と伝えるようにしている。

今も色んな事を考えながら脳みそをフル回転させていて、自分の脳が活性化されている感覚さえある。

その感覚もまた面白くもある。

過去は誰も変えられないけれど、
未来は自分次第で変えていけるものだと思う。

未来の自分に恥じないように、後悔をしないように、今を誠実に真剣に生きて
「過去」ではなく、「未来」を見て歩いていけば良いのだ。

「辛くて苦しくても、降り止まない雨は無い…
夜明けは必ずやって来る…

今日は駄目でも明日笑える自分を想像すればいい…」

そう相手に言いながら、心の中では自分自身にも言い聞かせて自分を奮い立たせている。


もし神という存在がいるならば俺一人の命を奪え!

人間の罪も業も全て背負って苦しみ抜いて髪の毛一本すら残らない無惨な死に方でもかまわない…

これ以上人が苦しみ死んでいく姿は見たくない…

俺の命で勘弁してくれ…

頼むよ…