最近の思考の変化として人間というのは、成長しようとすれば死ぬまで学習し、学び、成長する事が出来るものだと思うようになった。
それは希死念慮のある人の思いを聞く機会が増えていて、相手がその思いに縛られないようにする為に考えるに至った事なのであるが、
自身も少なからず希死念慮があり、死んで苦しみから解放されたい気持ちも経験上わかるのだが、
死んでしまったら成長する事も出来ないのである。
それって勿体無い事ではないだろうか?
生きる事を諦めてしまえば、そこから成長する事も出来ないのである。
死んでしまえばこれから成長する事や自分の可能性をも終わらせる事になる。
向上心を忘れず、成長する事で、今までの自分の限界を超える事も出来るし、
自分の殻に閉じこもるのではなく
心を閉ざすのではなく
心のアンテナを広げて色んな事を良く見聞きし、感じ、
決して取り乱さず自分を客観視出来るようになれば
そこから問題点や修正する部分が見えて物事を改善していく事が出来るようになると思う。
それが成長につながり、
問題点が改善されたり、良い変化をもたらす事もあると思うのだが…
そう考えると自ら成長を止めてしまう事は実に勿体無い。
確かに希望を持てと言われて、それが簡単に実践出来るなら誰も苦労はしないだろう、
でも人生は苦しい事や辛い事ばかりじゃない…
諦めず、歩みを止めなければ道が拓ける事もある。
自分の成長というものに着眼点をおけば、成長する事でモノの見方が変わる事があったりもする。
時として劇的に変わる事もあるだろう。
自分の捉え方一つで人生や未来が拓ける事も沢山ある。
モノの見方が変われば
今まで気付かなかった事に気付く事も出来て、
乗り越えられなかった事が乗り越えられるようにもなり、
生き方をも変える事も出来るのではないだろうか?
だから相手には「自分を、自分の人生を絶対に諦めて欲しくはない。」と伝えるようにしている。
今も色んな事を考えながら脳みそをフル回転させていて、自分の脳が活性化されている感覚さえある。
その感覚もまた面白くもある。
過去は誰も変えられないけれど、
未来は自分次第で変えていけるものだと思う。
未来の自分に恥じないように、後悔をしないように、今を誠実に真剣に生きて
「過去」ではなく、「未来」を見て歩いていけば良いのだ。
「辛くて苦しくても、降り止まない雨は無い…
夜明けは必ずやって来る…
今日は駄目でも明日笑える自分を想像すればいい…」
そう相手に言いながら、心の中では自分自身にも言い聞かせて自分を奮い立たせている。