ボディビルをする上で、「素質」というものはかなり重要です。
骨格や、筋肉の形などは生まれつきの部分が大きいですし、筋肉の付きやすさ自体、ある程度は才能によって決まってきます。
では、そういったフィジカル以外の部分、つまり『メンタル面』ではどうでしょうか?
個人的には、「自己完結型」の人がボディビル、或いは筋トレに向いていると思います。どちらかというと否定的なイメージで使われることが多い言葉かも知れませんが、「なんでも自分でやる」という意識が必要だという意味です。
例えば、筋トレ初心者にありがちな事ですが、友人と2人、あるいはそれ以上の人数でジムにやって来て、ベンチプレス等を行う際に最初の1レップ目から補助に入り、バーベルの重量の大半を補助者が持ち上げてしまっているようなケース。このような場合、ベンチプレスを行っている人間のトレーニングというよりは、「補助者との共同作業」になってしまっています。補助は本来、自力で挙上できなくなった状態から、最低限の力を借りて自力では到達不可能なレベルまで自分を追い込むために依頼するものです。楽をさせてもらうものではありません。
ウェイトを挙げ下げしている時は、自分の筋肉に対してどれだけの負荷を乗せることが出来るかが重要なので、「なんとしてでも挙げてみせる!」という気持ちがなければトレーニングにならないのです。
そして、この気持ちはトレーニングのみならず、食事の摂り方や普段の生活パターンに至るまで必要とされるもので、知識や技術を自ら積極的に求めていく姿勢が無くてはなりません。自力で解決する能力が求められるのです。実際に、重いバーベルを持っている時は、自分の力だけでそれを支えなければトレーニングにならないし、誰にも助けてもらえない、また助けようがない世界なのです。そして、このような考えを持てるかどうか、これも素質の1部分だと思うのです。
このように考えると、普段の仕事で『他力本願』を説いているりゅう坊が、ウェイトトレーニングを行うことは矛盾しているようにも思えてきますね。
骨格や、筋肉の形などは生まれつきの部分が大きいですし、筋肉の付きやすさ自体、ある程度は才能によって決まってきます。
では、そういったフィジカル以外の部分、つまり『メンタル面』ではどうでしょうか?
個人的には、「自己完結型」の人がボディビル、或いは筋トレに向いていると思います。どちらかというと否定的なイメージで使われることが多い言葉かも知れませんが、「なんでも自分でやる」という意識が必要だという意味です。
例えば、筋トレ初心者にありがちな事ですが、友人と2人、あるいはそれ以上の人数でジムにやって来て、ベンチプレス等を行う際に最初の1レップ目から補助に入り、バーベルの重量の大半を補助者が持ち上げてしまっているようなケース。このような場合、ベンチプレスを行っている人間のトレーニングというよりは、「補助者との共同作業」になってしまっています。補助は本来、自力で挙上できなくなった状態から、最低限の力を借りて自力では到達不可能なレベルまで自分を追い込むために依頼するものです。楽をさせてもらうものではありません。
ウェイトを挙げ下げしている時は、自分の筋肉に対してどれだけの負荷を乗せることが出来るかが重要なので、「なんとしてでも挙げてみせる!」という気持ちがなければトレーニングにならないのです。
そして、この気持ちはトレーニングのみならず、食事の摂り方や普段の生活パターンに至るまで必要とされるもので、知識や技術を自ら積極的に求めていく姿勢が無くてはなりません。自力で解決する能力が求められるのです。実際に、重いバーベルを持っている時は、自分の力だけでそれを支えなければトレーニングにならないし、誰にも助けてもらえない、また助けようがない世界なのです。そして、このような考えを持てるかどうか、これも素質の1部分だと思うのです。
このように考えると、普段の仕事で『他力本願』を説いているりゅう坊が、ウェイトトレーニングを行うことは矛盾しているようにも思えてきますね。