京都乃木神社…乃木将軍と柳樹房第3軍司令部建物 ⛩全国の乃木神社を訪ねて | 遮那王のブログ

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京都乃木神社…ここは、日露戦争当時の遺産を見学できるということで訪ねてみた。。
日露戦争時の第3軍司令部建物……中国の旅順柳樹房から境内に移築されたものである。

 

いわゆる乃木第3軍の柳樹房司令部である。

旅順攻囲戦の最前線から地理的に遠く離れており「前線を指揮する司令部としては不適切」と批判を受けた。


(第3軍司令部建物の外壁)

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(司令部建物入口)

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赤レンガつくり、入口右には「記念館・日露戦争第3軍司令部」の札が。

(オンドル〔温突〕)

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入口を入ると左側に、オンドル〔温突〕と呼ばれた暖房設備がある。
オンドルとは(館内の説明板によると)
「屋内の地面に煉瓦を高さ約60センチ積み上げて、数条の長い小仕切り壁を作り、その壁間を煙道とし、仕切壁の上部を煉瓦でおおい、その上面を土、しっくいで塗り固めて平らな床面とし内部の火気によって床面が暖まるように設計したもの。」

極寒の地の旅順には絶対必要な設備だったろう。

(展示室)

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司令部建物の手前の部屋。今は展示室となっている。畳の上にはたくさんのダルマ。
 

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反対側には大きな絵が掛けられていた。

展示室は改造されているため日露戦争当時の姿を偲ぶことは出来ない。

(乃木将軍が起居された部屋の入口)

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乃木将軍が約1年間起居された部屋。
この部屋は当時の趣きを残しているとのこと。

(乃木将軍が起居された部屋の机)

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乃木将軍が執務室と生活の場を兼ねていた部屋としてはあまりにも質素で狭く感じられた。

(天井)

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(第3軍司令部建物)

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(乃木将軍とステッセル将軍会見の水師営から移植された棗の木)

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(棗の木の実)

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今も木の実はなっている。