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Apollo-12

広告とか、コミュニケーションとか。
社会貢献とか、社会起業とか。
まちづくりとか、コミュニティデザインとか。
そうしたものたちの、少し先とか横の話。

前回、前々回と近況報告みたいなことをしてきましたが、


...つまらないのでやめます。(笑)



今回のエントリーは、コミュニケーションってことについて考えていきたいなぁと思います。



コミュニケーション、ってなんでしょうね。

日常的に、当たり前に使う言葉です。


でもそこには

若干の
そして決定的な

認識の違いが、各個人でそれぞれにあると思います。



コミュニケーションという行為は様々な問題を提示してくれますが

コミュニケーションという言葉そのものが語弊を生みかねない。



まずは定義をちょっと見てみた上で、

なんでコミュニケーションってこう上手くいかないんだろう

ってことについて考えていければ、と思います。



まずはなにより、定義を確認してみる。


カモン、こうじろう。(広辞苑のことです)


【コミュニケーション】

1.
社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他
視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。

2. 〔生物〕
(ア)動物個体間での、身振りや音声・匂いなどによる情報の伝達。
(イ)細胞間の物質の伝達または移動。細胞間コミュニケーション。



お次は、えいじろう。(英和辞典(『ジーニアス英和大辞典』のことです)


【communication】

1.
伝える[伝わる]こと;
(熱の)伝導;
(動力の)伝播;
(病気の)感染.

2.
(口頭・文書・合図などによる)伝達、連絡;
(ラジオ・テレビによる)報道;
(電話・電報)による通信、交信;
(相互の)意思疎通、交際、取引.

3.
(伝達された)情報、ニュース、通知;
(送られてきた)文書、通信文、伝言、学会発表論文.

4.
交通;交通機関、(汽車などの)便.

5. 〔通例~ s〕
(電話・電信などの)通信機関[施設];
(ラジオ・テレビなどの)報道機関;
(ドア・通路などの)連結部;
(道路・鉄道などの)交通網.輸送機関;
〔軍事〕兵站線、(前線基地との)連絡線.

6. 〔~ s、単数扱い〕
情報工学〔技術〕;
通信工学〔技術〕.



おし、じゃあ、次は...なんて、さすがにもういいか。


こう見ただけでもかなり色々な意味がありますね。。

日本語の定義はより抽象的で包括的。
お国の違い、なんでしょうかね。面白い。



こうして確認しただけでも、これだけの意味を孕んだ言葉。

一応ここでは、広辞苑の1の定義;

社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他
視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。


を中心に採用させてください。


とはいっても、ざっくりと、


『なんか相手に伝える行為』


程度の意味でいいと思います。

一般的にもこんなニュアンスで使われてますよね。

ただ、もっと限定的な意味で用いることも多いかとは思います。



そうした場合、一番の問題が、前回のエントリーでもお話した

「伝える」と「伝わる」

の違いだと思います。



英和辞典では1つ目の意味で、同義的に扱っていましたが...


個人的には、コミュニケーションは

「伝わる」ことを目指して「伝える」行為

なんだと基本的には解釈しています。


目的は「伝わる」こと。

そのための手段である「伝える」という行為を洗練させたい。



例えば、『メラビアンの法則』というものがあります。

感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、
人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかを実験した結果

言語情報:7%(言葉そのものの意味)
聴覚情報:38%(声の質・早さ・口調)
視覚情報:55%(表情・見た目・身振り)


の割合で伝わることがわかったのだそうです。
(参考:http://www.dokuritsu-kigyo.net/blog/archives/2010/03/post_299.html)


もちろんこれは絶対的なものではないので勘違いはいけませんが、

五官による知覚の割合は
視覚器官が83%
聴覚が11%
臭覚3.5%
触覚1.5%
最後の味覚が1.0%

とも言われているので、なかなか信憑性のあるものだと思います。
(参考:http://www2s.biglobe.ne.jp/~ganko/kikaku/polytech/1-5.html)


表情や声のトーン、姿勢などはとても大事ってことですよね。

たしかに相手の目の輝きや姿勢、声のトーンや独特の空気感(間?)で
その人が自らのコミュニケーションに対してどのような目的意識を持っているかがわかります。


顔には不随意筋、というものがあるそうですが

この筋肉は、心から笑わない限りは動かないのだそうです。

だから見るほうはそれを感じ取って、嘘笑いは大概バレる。

でもこれは、人間という動物が生き残っていくのに必要な進化だったと言えそうです。


大昔から人類は、外敵から身を守りつつ集団行動で生き抜いてきました。

そんな中で、当然嘘つきも出てきます。
そいつをもし見破れないようであれば、その集団は全滅してしまいます。

だから生き抜いた僕らの祖先はちゃんと見破ったのだろうし、
その遺伝子を受け継ぐ僕らは見破れて、ある種当然だとも言えます。


だから表情ってのはめちゃめちゃ大事。
55%って数字も納得です。

表情豊かな人って、おしなべてコミュニケーション上手い気がしますもんね。

そして声質やそのトーン、そして間の雰囲気も大事です。
それが38%。


...じゃあ、話の内容は?

どんなに良い事言っても、どんなに話の内容を洗練させたって、
所詮1~2割程度しか伝えることが出来ていないんでしょうか...?


...え、じゃあこのブログも??


そう考えるととても怖いですが、

実際そうではない。


たとえばこのブログで考えてみると、

文章の構成はもちろん、文章の間隔や言葉遣い...
そうした話し手の身なりを想像させる、話の内容とは別のファクターがありそうです。


ほかにも、たとえばメール。

若い人ほど顔文字や絵文字、使いますよね。
(こんな感じのヤツです→(^▽^))

逆にあれがないと、とても不安になる。

これってつまり、先ほどの55%分の表情コミュニケーションを補完するために
編み出されたのだと僕は解釈しています。


だけど不随意筋が動いてるかどうかは確認できないし
姿勢や声のトーンは確認できっこない。


コミュニケーションの完成度でいっても半分も超えてなくて、だから問題が発生する。



最近の子どもほどコミュニケーション能力が低いって叫ばれていますが

無表情だったり暗いと言われる子どもが多いのも
普段からコミュニケーションで表情や声を使う機会が昔と比べて少ないからでしょう。

そしてその分、彼らの普段のコミュニケーションで大事になってくるのが
先ほども述べた、文章表現の中で感じ取れるものだったりする。

だから繊細で敏感な子どもも多いのだと思います。


こうした表現が、なぜ海外に比べ日本ではとても盛んなんだろう、と考えると、
もう少し詳しいことが見えてきます。

日本は昔から「コンテキスト文化」と言われてきたことを思い出しました。

もちろん表情や声を察知することは必要でしたが

それ以上に表情や声を抜きにしても、周りの環境や少ない言葉の内容で
求められる動きを察知しなければなりませんでした。

つまりそこでの「文脈=コンテキスト」が重要。
日本人は昔から、表情や声を抜きにしたコミュニケーションを比較的好むのかもしれません。


これは企業や学校でもいまだに根付く文化だったりしますが、

これの現代版としてメールやSNSでのやり取りにも
高いコンテキスト理解が求められている気がするのは、そんな背景があるんでしょうかね。


様々にかたちを変えて、コミュニケーションに必要な機能が衰退したり、その分どこかが発達したり。


面白そうな分野なので、これからも探求していこうかと思います。
その中で、コミュニケーションってなんだろ、と考えていたい。


『自分は、伝えたいことをしっかり「伝えて」いるのだろうか』




僕は

“個人的には、コミュニケーションは

「伝わる」ことを目指して「伝える」行為

なんだと基本的に解釈しています。”

と前半で書きましたが


でも解釈として「基本的に」と書いた意味は、

必ずしも伝わることを目的としたコミュニケーションばかりではない

ということです。


ボソッっと口にした小さいつぶやきは

伝わることではなく、気にしてもらうことが目的だったりしますから。


だからこうしたことも踏まえて上位概念を示すならば、

コミュニケーション=触れ合う

程度の意味だとも思います。ものすごくざっくり。


大事なのは、ふれ「合う」ってことで、

つまりそこにはなんらかの相互作用がある。

だからヒトラーの演説も、石に向かって罵声を浴びせるのも、コミュニケーションではない。

大事なのは一方通行ではなく相互通行で、相手から影響を受けられること、だと思います。



だからコミュニケーション自体のプロセスの目的は「わかってもらう」ことでも

求める結果は「~してもらう」「~反応を引き出す」だったりします。



...ん?ごちゃごちゃしてきたぞ...。



ようは

反応してもらう>意図を理解してらもう(伝わる)>伝える


ってこと。


そのために意識したいのは、

「表現として100%、内容として80%」

ということです。

どっちも100%だったら、相手が返す必要がありません。

相手なりの解釈が10%入って、質問や反応が10%で、ようやく完成する。


自分の話は、相手に話した途端に自分のものではなくなる。

相手にとっては自分の解釈80%、相手の解釈10%、不明点10%。

そうして会話が続いていくのだと思います。


そんなコミュニケーションが、普段から出来たらいいなぁ。



そういえば。


例に挙げ忘れていましたが、小説はとても微妙な立ち位置です。

表現者は読み手の反応を原則全ては確認できませんし
読み手は自分の想いや解釈を表現者に伝えることが出来ません。

そういった観点で言えば
確かにここでいう「コミュニケーション」は成立していません。


壮大なストーリーは読んだし理解した。
想像が掻き立てられ、主人公たちがとても身近に感じる。
作品がとても好きだ。

しかしほんの数%が、わからない。

ぜひ表現者に真相を聞いてみたい!

そんな気持ちが、よりいっそう相手のことを気にさせます。
そんな気持ちが、相手のことを忘れさせません。



これって広告にも同じ事が言える。


製品の壮大なストーリーを理解してもらう。
相手の想像を掻き立てて、製品を企業のものではなく自分のものだと思ってもらう。

それでも、受け手に対して解釈の幅、不明点を残してあげることはとても大事だと思う。

何より受け手はこんなに自己表現が簡単な環境にいて、自分を発信したがってるから。



でもこれって、コミュニケーション、なんでしょうかね...?
気持ちを引き出して「また会いたい」って思ってもらえる。

じらしてじらして、でも最終的には、なにかしらのかたちで「会う(合う)」ことが実現したら。

とてつもなく感動的なコミュニケーションになるのかもしれません。


その例が、スラムダンクの一億冊キャンペーンなのかも。

他の商品も、広告を認知してもらって、「会いたい」って思ってもらえて、店頭で実際に出会う(認知してもらう)ことができれば、コミュニケーション成立です。

成立ではなく成功と呼ぶには、買ってもらえるかどうかによりますが。。

人間なんて非計画購買(いわゆる衝動買い)が9割なんですが。




とまぁかなり長く書いてきましたが、特にまとまってなくてすみません(笑)

コミュニケーション、普段から気軽に使ってしまうからこそ、丁寧に考えておこうと思います。





ちなみに、海や山に「バカヤロー」って言うと返ってくるけど、あれは...?


アーアー、聞こえません。



Thank you for reading!

Stay hungry, stay excited.


めちゃめちゃ久々のエントリー。
前回の更新が1ヶ月以上前でビックリしました(苦笑)

さて、何から話せばいいのやら...
この1ヶ月以上もの間、たくさんのことがありました。


ゼミのこと。
インターンのこと。
サークルのこと。
学外活動のこと。


全て書いてしまいたいのですが...
1度のエントリーで全て書くのは無理ですね(苦笑)読みづらい。

なので今日から4日連続、それぞれのテーマでブログ書いてみようと思います。
...誰も期待してませんが(笑

大切な「今」の連続を忘れてしまうのも悲しいので、過去になる前に、「今」のままで保存させてください。


...というわけで。

今回はゼミのことから書こうかな。


とにかくゼミが多忙。
9月から今に至るまで、
毎日朝10時に集まって22時に解散するのが当たり前な年中無休の時間外労働が絶賛大歓迎な完全無法地帯。

22人で1つの論文を仕上げるっていう研究スタイルに起因するのですが...。
おまけに研究対象が、理論基盤が確立していない非常にhotな分野。

SDL(サービスドミナントロジック)
http://www.sdlogic.net/

ゆえに議論が一向にまとまらない。
だからその分、大人数で議論するときに大事だと感じたことがいくつか。
ファシリ目線ではありますが、記しておきます。


≪大事な点3つ≫
1.アクティブ・リスニング
 まずは傾聴。受け止める。そして例示したり要点を整理するなどして、まとめを共有する。

2.思考プロセスの明確化
 コンセンサスが難しいとき。それは議論の参加者がプロセスの中で置いてきぼりになってる証拠。意思決定のプロセスにおいて逐一承認を行い、納得を引き出しながら議論を進める。

3.論点の視覚化
 議論が終結しない時。各々の意見の根拠(なんで?の問い)を引き出したうえで、そうした根拠の出発地点(それはどういった考えに基づいているの?の問い)を明示する。この前提部分の食い違いが議論の火種であり、論点となる個所である。
 ここを浮き彫りにしたうえで、論点を“述語付きの”問いの形で掲示しておくといい。例えばテーマを「ブログについて」と抽象的に表すのではなく、「ブログ利用における問題点と改善方法について」と書き記す。


まぁこんなとこでしょうか。
ファシリテーション系の書籍を一部参考にさせていただきました。


議論の食い違いというのは、価値観の違いではなく、ロジックにおける解釈の違いであることが多いです。

第1段階ではそれぞれの主張を例示してみたり整理してあげることで、まずは正しい意味をわかりやすい言葉で全体に共有する。

第2段階ではそうした意見の根拠を引き出す。つまりロジックを確認し、相反する意見と比較してみる。
だいたいはここでロジックの美しさに差が出たりする。もしくは同じロジックの場合があるけど、片方が誤った論理展開をしているときがある。

でも、それでもお互いの意見に一理あるとき。
第3段階では、そうした根拠の発想起源となった、経験や価値観にまで言及する。
ここまでくると、納得と説得のフェーズなのかな。参加者全体がどちらを支持するのか、とかいう話になると思う。その根柢のロジックが通ってない場合もある。


...とまぁ、こんなことを毎日の議論の中で、議論そのものの内容以外のところに着目して、考えてみたり。
「いい経験になった」と呼ぶには、このことを活かした場面が少なすぎる。
なのでこれから意識して活用してみて、再度修正をかけられたらいいな。


で。
そんな日々も、昨日行われた2年生に対する自分のゼミの説明会で、ちょっと一休み。
それで今、こうして執筆しています。
(しかし先ほど緊急収集の連絡が入りましたが笑)

とはいっても一応入ゼミ担当でもあったので、「いかに自分のゼミに興味を持ってもらうか」というコミュニケーションを設計してみたり。


慶應商学部では3年生になると大半の人は研究会(いわゆるゼミ)に所属して研究に明け暮れるのですが、この時期から来期のゼミ生候補(2年生)にアプローチをかけるわけです。
今回のイベントは、企業の合同説明会をイメージしていただけるとピッタリです。

つまり、今後の入ゼミのためのイベントへ来ていただくためのキッカケにすぎなくて。
お話しできる時間も内容も限られていて。

だから今回のコンセプトとしては「最近出会った、気になる異性」。
つまり「また会って話してみたい」って思ってもらう、そんなことを念頭に置いて考えてみたり。

...だけど、「憧れ」と「好き」って感情は違う。
つまり「わたしには縁遠いな」と思われるか、「ぜひお付き合いしたいです」と思われるか。

うちのゼミはいわゆる「エグゼミ」ってやつで、忙しいときは絶賛忙しい(冒頭のように)
ゼミ生もイメージとしてはやっぱり「かっこよめ」に2年生の目には映るわけで、下手にでるのは難しい。
つまり「憧れ」られやすく、その分「縁遠い」とも思われやすい。


だからこそ採用全体のコンセプトとしては「手の届く憧れ」としてみました。


憧れてるんだけど...あれ?
もしかして、もしかすると、手を伸ばせば届いちゃうかも??

みたいな。
そう思ってもらうことで、手を伸ばすかどうかはあなた次第だけれど、僕らはあなたのこと待ってます、みたいな。


そんな全体の設計をしてみました。
(まぁそんなに大したことではありませんが)


うまくいったかどうかは見守るとして、そんな絶妙な位置にポジショニングできたかどうかは置いといて、
慶應商学部の2年生1000人中200人、つまり1/5を呼んで対応できたことは、一応の合格点なのかな。
いずれにしても、楽しかった。こういうこと考えて実践するのが、やっぱり好きだ。



ゼミに関しては、こんなところでしょうか。
研究内容についてなら延々と書けるけど、そんなの誰も読みたくいと思うので...(苦笑)

今日はここまで。


Stay hungry, stay excited.

Thank you for reading!
おはこんばんちは。

本題は後回しにするとして、まずは前回お話ししたインターンについての補足から。

結果から言うと、電通のインターンは無事採用していただけました。
だけど残念ながら、博報堂のインターンは落選してしまいました。。

しかし9月はゼミが忙しく、平日は原則毎日学校へ行かなくてはならなくて。
電通のインターンは9月の4日と11日にもあって、その間の期間は何度か集まらなければならないことが予想されます。

なのでゼミのメンバーひとりひとりに相談して、参加してもいいか懇願しました。
反対がひとりでもいるようであれば、お断りするつもりでした。

でも、みんなに応援するって言ってくれた。
みんな、本当にどうもありがとう!

なので電通のインターンに参加させていただくことにしました。
もし僕のブログをご覧になられてる方で、参加される方がいらっしゃいましたらよろしくお願いします^^

参加の目的は主に3つかな。
1. プロのノウハウを学びつつ、弱点克服に最善を尽くす。(特にタイムマネジメント)
2. 言い訳しない。何が起きても自分のせい。全力で取り組む。
3. 面白く刺激的な仲間との出会いを大切にする。


得たい結果をイメージする。
やるべきことの前に、必ずやりたいことがある。

そこから現状分析をして、理想を思い描き、そこのギャップである課題を浮き彫りにする。
浮き上がった諸課題に対し、ひとつひとつ解決策を考案する。
基準を設け、緊急度と重要性の観点から、実行プランにプライオリティーをつける。
期限と修正期間を設け、スケジュールを組み、あとはタイムマネジメント。

これが最近定型化した、問題解決のためのフォーマット。
どんなにプロセスを楽しめても結果がついてこなければ、最終的には楽しめない。
そんな自分に言い聞かせるような、得たい結果からすべてを逆算する方法です。

...多分、どっかの本に同じようなことが載ってそう(笑)


そして最初の課題に「ユーモアある自己紹介をしなさい」

自己紹介って難しいですよね。
紹介できることはたくさんある。

過去の自分がやってきたこと。
今の自分がやっていること。
将来の自分がやってほしいこと。
自分の性格。
長所と短所。
普段考えていること。
他人とは違う特徴。
意気込み。

ほんとに、たくさん。
でも、時間は限られている。

思うに、大切なのは「何を伝えたいか」ではなく「何を伝えるべきか」を考えること。
問題解決とは逆。
自分が伝えたいことをそのまま伝えてしまうのではダメ。

自己紹介ってのは、これから起こる出来事に向けての準備運動。
つまりその出来事に向けて役立つ情報を厳選して伝えるべきなんじゃないかな。

インターンってのは、今後みんな仲間として、あるいはライバルとして競い合いながら協力し合う場。
だから、自分が今までしてきたことを紹介すること自体は重要ではない。
紹介するにしても、今の自分を説明するための具体例であってしかるべき。

しかも、その中で求められるのは「ユニークさ」

自分のユニークな点にフォーカスを当てつつ、明日中に自己紹介を練ろうと思います。。



さて、いつもながら前置きが長いですね。。
今回のエントリーは、前回お話しした通り、「友人と話したこと」について。


僕は慶應の国際協力サークルに入ってるんだけど、そこの代表とは気の置けない仲で。
僕は広告、彼はジャーナリストを目指してる。

今も将来も進む道は違うけど、合流地点を約束しています。
それは、「いつか社会問題を扱った、広告×ジャーナリズムのプロモーション活動をやろう」

進む道は違っても、その根底には二人とも「社会問題」ってやつがある。

それと自分の趣味や特徴をあわせた結果、
俺は「広告」、彼は「ジャーナリスト」

だけど二人とも、共感するポイントや考え方は似通っていて。
面白いよね。

この前もガチ語りしたんだけど、こうした友人がいることを心から幸せに思う。
どうもありがとう。


そこでの話で俺はもちろん広告について語ったんだけど、彼から聞けた面白い話をひとつ。

彼はもともと写真が好きで、現実を伝える手段として写真の力強さだったりに惹かれてジャーナリストを目指しているんだけど、でも新聞の写真記者ではダメらしい。

なぜか。

新聞での写真は確かに現状を伝えることが重要なんだけど、そこには「余計な情報をなくし」「客観的な情報伝達に努め」なければならない。

でも写真好きな彼にとって、写真を撮るということは「表現すること」
だから時には美的感覚から「余計なものをあえて写真に含み」「主観的なメッセージを込めて」伝えたい。

だけど上述した通り、新聞ではそうした主観的な表現は好まれない。
つまり思いのままに写真を撮りたい人にとっては、新聞って表現しづらいメディアなんですね。

こうした話を友人から聞くことによる発見って、本当に気持ちのいいこと。
僕はそんなわけもあってか、何よりも人とサシで話をすることが大好きです。
僕からもなにかしらプラスの影響を与えられていればいいなぁ、そんなことを思いながら。


...せっかくだから、例をもうひとつ。


今日のこと。
中学時代からの友人とたまたま会って、教育の話になりました。
僕はもともと教育には関心があって、いろいろなことを話した気がします。


今の教育システムでは、発想力や自主性が育たない。
育つのは従順性と受動的な態度、協調性。
グローバル化がますます進む中で、人口成長に比例する経済成長に対抗するには、技術革新によって底上げしていくしかない。

圧倒的にヤバいのに、でも教育システムが反しているのはなぜか。
それは戦後まで遡る。

もともと今の教育システムって、GHQが考案したもの。
GHQは日本の危険性を排除しつつも、民主的な教育システムを組んだ。
しかし日本の教育者は軍隊的風習が抜けておらず、トップダウンの徹底指導のもとで、従順性や協調性が美学化されていく。

しかしその国民性を仕事に向けると、強い力を発揮した。
従順に協力して個性を消して頑張ることが、美しかった。
毎年所得は倍増し、常に技術は更新され、モノが豊かになっていく。
頑張ることが報われて、物欲が満たされるようになるからココロも豊かになっていく。
これが高度経済成長期。

ところがそれはうまくいかなくなった。
頑張ることが報われなくなった。
働いても所得は増えず、技術は去年と同じもので、モノもココロも満たされなくなった。
これが現代。

従順性や協調性を磨くのはロジカルシンキング。
1+1=2から始まり、ひとつしかない答えを求める能力が問われる。
与えられる仕事をこなすにはぴったりの能力。

これと対をなすのがクリエイティブシンキング。
発想力を求めるのはアメリカがもちろん主流で、これには明確な答えはない。
ある質問に対して、あなたは正解、あなたも正解。
自主性と発想力が磨かれ、アメリカの技術革新は日本の10年先をいくと言われている。

つまりこれから日本にはクリエイティブシンキングを導入していかないとヤバい。
そんなことはみんなわかってて、導入を試みている。
だけども肝心の教育システムとそれを統括する人間がまだ高度経済成長期を夢見ているから、こんな食い違いが起きてる。


そんなことを議論したりしてました。

中学生は高校に入るためだけに、高校生は大学に入るためだけに勉強をする。
詰め込む知識は「世の中を理解するため」ではなく、「テストで平均点以上なんとかとるためのもの」

だから簡単な政治問題ひとつ理解できないし、そもそも教育と社会に乖離がありすぎて世の中に関心が向かない。
世の中に関心が向かないから年間3万3千人の自殺者が生まれ(これってつまり毎日100人弱自殺してるってこと)、小さいコミュニティで抗争が起きて、クリエイティブに世の中を変えていこうとするやつが出てこない。


こんな現状があるんじゃないかと。

それに対して悲観的になっていても仕方がない。
法律やシステムの変更まで待っていては手遅れ。
なにより一番問題意識を肌で感じる自分たちこそが、変えていかないと。

というわけで、自分たちで塾をやれたらいいなという話にもなったり。

対象は中高生。
事業内容は
1. 徹底的な自己分析
2. 学校の学びと世の中の関心事をリンクさせる講義(世界一受けたい授業的な)
3. かっこいい大人によるプレゼン傾聴

受験勉強にとらわれない、こうした塾がこれからは求められてくるのだと思います。
いろいろなキッカケを提供して、好奇心にしろ憤りにしろ、世の中に関心を持ってもらう。
そしてなんで自分はそう感じたのか、自分の経験や性格とリンクさせて自己分析。
そこからさらなる関心事への探求を行う。

特に3って大事で、憧れのかっこいい大人に出会うことって本当に大切。
これが何よりの教育方法なんだと感覚的には思う。
それが先生であれば申し分ないんだけど、現状からして無理があるから。


こんなサービスあるといいねー、やっちゃおうか?

そんな話をしてました。
多分同じようなサービスはある気がするけど、学生主導で教育問題への意識が発端で、さらに周期的なものでってことになると、やはり新しいサービスになる気がする。

教育は始発でもあり、終点でもあると思う。
何をやるにしてもそう。
一番大事なのは教育な気がします。


最後の塾のアイデアが事業化可能かどうか自体は重要ではないです。
こうした友人との会話から、問題的と現状分析だけでなく、理想のあるべき姿を自分たちなりに思い描いて課題を見つけ、解決策を提示できたことがいいのだと思います。

つまりこの日記でかなり序盤に示した問題解決アプローチ。
意図的ではありませんが地味につながりました(笑)

こんな作業ひとりでやってもつまらないからやらないだろうし、友人と話すことによってインスピる。
だからサシで話すのって楽しい!



今回の日記は話題が多く、長くて読みづらいものになってしまいました。
ごめんなさい。。

次回はここでも少し触れた、「広告業界を目指す理由」を社会問題を絡めて書きたいと思います。
...あ、でもその前にインターンのことについて書くかもしれません。

わかりませんが、そのあたりはフレキシブルにいこうと思います。


Thank you for your reading!