コミュニケーションって、なぁに。 | Apollo-12

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広告とか、コミュニケーションとか。
社会貢献とか、社会起業とか。
まちづくりとか、コミュニティデザインとか。
そうしたものたちの、少し先とか横の話。

前回、前々回と近況報告みたいなことをしてきましたが、


...つまらないのでやめます。(笑)



今回のエントリーは、コミュニケーションってことについて考えていきたいなぁと思います。



コミュニケーション、ってなんでしょうね。

日常的に、当たり前に使う言葉です。


でもそこには

若干の
そして決定的な

認識の違いが、各個人でそれぞれにあると思います。



コミュニケーションという行為は様々な問題を提示してくれますが

コミュニケーションという言葉そのものが語弊を生みかねない。



まずは定義をちょっと見てみた上で、

なんでコミュニケーションってこう上手くいかないんだろう

ってことについて考えていければ、と思います。



まずはなにより、定義を確認してみる。


カモン、こうじろう。(広辞苑のことです)


【コミュニケーション】

1.
社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他
視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。

2. 〔生物〕
(ア)動物個体間での、身振りや音声・匂いなどによる情報の伝達。
(イ)細胞間の物質の伝達または移動。細胞間コミュニケーション。



お次は、えいじろう。(英和辞典(『ジーニアス英和大辞典』のことです)


【communication】

1.
伝える[伝わる]こと;
(熱の)伝導;
(動力の)伝播;
(病気の)感染.

2.
(口頭・文書・合図などによる)伝達、連絡;
(ラジオ・テレビによる)報道;
(電話・電報)による通信、交信;
(相互の)意思疎通、交際、取引.

3.
(伝達された)情報、ニュース、通知;
(送られてきた)文書、通信文、伝言、学会発表論文.

4.
交通;交通機関、(汽車などの)便.

5. 〔通例~ s〕
(電話・電信などの)通信機関[施設];
(ラジオ・テレビなどの)報道機関;
(ドア・通路などの)連結部;
(道路・鉄道などの)交通網.輸送機関;
〔軍事〕兵站線、(前線基地との)連絡線.

6. 〔~ s、単数扱い〕
情報工学〔技術〕;
通信工学〔技術〕.



おし、じゃあ、次は...なんて、さすがにもういいか。


こう見ただけでもかなり色々な意味がありますね。。

日本語の定義はより抽象的で包括的。
お国の違い、なんでしょうかね。面白い。



こうして確認しただけでも、これだけの意味を孕んだ言葉。

一応ここでは、広辞苑の1の定義;

社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他
視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。


を中心に採用させてください。


とはいっても、ざっくりと、


『なんか相手に伝える行為』


程度の意味でいいと思います。

一般的にもこんなニュアンスで使われてますよね。

ただ、もっと限定的な意味で用いることも多いかとは思います。



そうした場合、一番の問題が、前回のエントリーでもお話した

「伝える」と「伝わる」

の違いだと思います。



英和辞典では1つ目の意味で、同義的に扱っていましたが...


個人的には、コミュニケーションは

「伝わる」ことを目指して「伝える」行為

なんだと基本的には解釈しています。


目的は「伝わる」こと。

そのための手段である「伝える」という行為を洗練させたい。



例えば、『メラビアンの法則』というものがあります。

感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、
人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかを実験した結果

言語情報:7%(言葉そのものの意味)
聴覚情報:38%(声の質・早さ・口調)
視覚情報:55%(表情・見た目・身振り)


の割合で伝わることがわかったのだそうです。
(参考:http://www.dokuritsu-kigyo.net/blog/archives/2010/03/post_299.html)


もちろんこれは絶対的なものではないので勘違いはいけませんが、

五官による知覚の割合は
視覚器官が83%
聴覚が11%
臭覚3.5%
触覚1.5%
最後の味覚が1.0%

とも言われているので、なかなか信憑性のあるものだと思います。
(参考:http://www2s.biglobe.ne.jp/~ganko/kikaku/polytech/1-5.html)


表情や声のトーン、姿勢などはとても大事ってことですよね。

たしかに相手の目の輝きや姿勢、声のトーンや独特の空気感(間?)で
その人が自らのコミュニケーションに対してどのような目的意識を持っているかがわかります。


顔には不随意筋、というものがあるそうですが

この筋肉は、心から笑わない限りは動かないのだそうです。

だから見るほうはそれを感じ取って、嘘笑いは大概バレる。

でもこれは、人間という動物が生き残っていくのに必要な進化だったと言えそうです。


大昔から人類は、外敵から身を守りつつ集団行動で生き抜いてきました。

そんな中で、当然嘘つきも出てきます。
そいつをもし見破れないようであれば、その集団は全滅してしまいます。

だから生き抜いた僕らの祖先はちゃんと見破ったのだろうし、
その遺伝子を受け継ぐ僕らは見破れて、ある種当然だとも言えます。


だから表情ってのはめちゃめちゃ大事。
55%って数字も納得です。

表情豊かな人って、おしなべてコミュニケーション上手い気がしますもんね。

そして声質やそのトーン、そして間の雰囲気も大事です。
それが38%。


...じゃあ、話の内容は?

どんなに良い事言っても、どんなに話の内容を洗練させたって、
所詮1~2割程度しか伝えることが出来ていないんでしょうか...?


...え、じゃあこのブログも??


そう考えるととても怖いですが、

実際そうではない。


たとえばこのブログで考えてみると、

文章の構成はもちろん、文章の間隔や言葉遣い...
そうした話し手の身なりを想像させる、話の内容とは別のファクターがありそうです。


ほかにも、たとえばメール。

若い人ほど顔文字や絵文字、使いますよね。
(こんな感じのヤツです→(^▽^))

逆にあれがないと、とても不安になる。

これってつまり、先ほどの55%分の表情コミュニケーションを補完するために
編み出されたのだと僕は解釈しています。


だけど不随意筋が動いてるかどうかは確認できないし
姿勢や声のトーンは確認できっこない。


コミュニケーションの完成度でいっても半分も超えてなくて、だから問題が発生する。



最近の子どもほどコミュニケーション能力が低いって叫ばれていますが

無表情だったり暗いと言われる子どもが多いのも
普段からコミュニケーションで表情や声を使う機会が昔と比べて少ないからでしょう。

そしてその分、彼らの普段のコミュニケーションで大事になってくるのが
先ほども述べた、文章表現の中で感じ取れるものだったりする。

だから繊細で敏感な子どもも多いのだと思います。


こうした表現が、なぜ海外に比べ日本ではとても盛んなんだろう、と考えると、
もう少し詳しいことが見えてきます。

日本は昔から「コンテキスト文化」と言われてきたことを思い出しました。

もちろん表情や声を察知することは必要でしたが

それ以上に表情や声を抜きにしても、周りの環境や少ない言葉の内容で
求められる動きを察知しなければなりませんでした。

つまりそこでの「文脈=コンテキスト」が重要。
日本人は昔から、表情や声を抜きにしたコミュニケーションを比較的好むのかもしれません。


これは企業や学校でもいまだに根付く文化だったりしますが、

これの現代版としてメールやSNSでのやり取りにも
高いコンテキスト理解が求められている気がするのは、そんな背景があるんでしょうかね。


様々にかたちを変えて、コミュニケーションに必要な機能が衰退したり、その分どこかが発達したり。


面白そうな分野なので、これからも探求していこうかと思います。
その中で、コミュニケーションってなんだろ、と考えていたい。


『自分は、伝えたいことをしっかり「伝えて」いるのだろうか』




僕は

“個人的には、コミュニケーションは

「伝わる」ことを目指して「伝える」行為

なんだと基本的に解釈しています。”

と前半で書きましたが


でも解釈として「基本的に」と書いた意味は、

必ずしも伝わることを目的としたコミュニケーションばかりではない

ということです。


ボソッっと口にした小さいつぶやきは

伝わることではなく、気にしてもらうことが目的だったりしますから。


だからこうしたことも踏まえて上位概念を示すならば、

コミュニケーション=触れ合う

程度の意味だとも思います。ものすごくざっくり。


大事なのは、ふれ「合う」ってことで、

つまりそこにはなんらかの相互作用がある。

だからヒトラーの演説も、石に向かって罵声を浴びせるのも、コミュニケーションではない。

大事なのは一方通行ではなく相互通行で、相手から影響を受けられること、だと思います。



だからコミュニケーション自体のプロセスの目的は「わかってもらう」ことでも

求める結果は「~してもらう」「~反応を引き出す」だったりします。



...ん?ごちゃごちゃしてきたぞ...。



ようは

反応してもらう>意図を理解してらもう(伝わる)>伝える


ってこと。


そのために意識したいのは、

「表現として100%、内容として80%」

ということです。

どっちも100%だったら、相手が返す必要がありません。

相手なりの解釈が10%入って、質問や反応が10%で、ようやく完成する。


自分の話は、相手に話した途端に自分のものではなくなる。

相手にとっては自分の解釈80%、相手の解釈10%、不明点10%。

そうして会話が続いていくのだと思います。


そんなコミュニケーションが、普段から出来たらいいなぁ。



そういえば。


例に挙げ忘れていましたが、小説はとても微妙な立ち位置です。

表現者は読み手の反応を原則全ては確認できませんし
読み手は自分の想いや解釈を表現者に伝えることが出来ません。

そういった観点で言えば
確かにここでいう「コミュニケーション」は成立していません。


壮大なストーリーは読んだし理解した。
想像が掻き立てられ、主人公たちがとても身近に感じる。
作品がとても好きだ。

しかしほんの数%が、わからない。

ぜひ表現者に真相を聞いてみたい!

そんな気持ちが、よりいっそう相手のことを気にさせます。
そんな気持ちが、相手のことを忘れさせません。



これって広告にも同じ事が言える。


製品の壮大なストーリーを理解してもらう。
相手の想像を掻き立てて、製品を企業のものではなく自分のものだと思ってもらう。

それでも、受け手に対して解釈の幅、不明点を残してあげることはとても大事だと思う。

何より受け手はこんなに自己表現が簡単な環境にいて、自分を発信したがってるから。



でもこれって、コミュニケーション、なんでしょうかね...?
気持ちを引き出して「また会いたい」って思ってもらえる。

じらしてじらして、でも最終的には、なにかしらのかたちで「会う(合う)」ことが実現したら。

とてつもなく感動的なコミュニケーションになるのかもしれません。


その例が、スラムダンクの一億冊キャンペーンなのかも。

他の商品も、広告を認知してもらって、「会いたい」って思ってもらえて、店頭で実際に出会う(認知してもらう)ことができれば、コミュニケーション成立です。

成立ではなく成功と呼ぶには、買ってもらえるかどうかによりますが。。

人間なんて非計画購買(いわゆる衝動買い)が9割なんですが。




とまぁかなり長く書いてきましたが、特にまとまってなくてすみません(笑)

コミュニケーション、普段から気軽に使ってしまうからこそ、丁寧に考えておこうと思います。





ちなみに、海や山に「バカヤロー」って言うと返ってくるけど、あれは...?


アーアー、聞こえません。



Thank you for reading!

Stay hungry, stay excited.