自分を必要としてくれるところ(映画「群青色の、とおり道」) | 涼夏のまだまだやりたいこといっぱいある。

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まさにタイトルどおり。まだまだやりたいこといっぱいあるんです。まさやんの曲からいただきました!

日記はまさにやってることやりたいことを書いてます。

私には夢がある。役者をやり続けること、歌い続けること。
出来たら映像作品にだってちゃんと出演したい。


だけど東京に出て夢を目指すということは今のところしていない。
ずっと実家にいて、働きながら活動している。
その分、機会はぐんと少ない。


家族の元にいてあげたい。いやいることが私にとって運命でもあり
使命でもある。


家に残ると夢を追えないというのは違うのではないかと最近思っている。
自分のスタンス、状況に合わせてそれを目指せばいいのだと
思うようになった。思えるようになった。
昔は旅立っていく友人の話を聞いてうらやましくも思っていたけれど。


20代の始め、事務所で一緒だった仲間たちが夢を追って東京に出て行った。
名古屋でも仕事がない、実績もない。でも東京なら何かあるはず。
そう思ったのかたくさんの人たちが東京に旅立って行った。
でもその後、ひと旗あげた友人は今のところいない。



東京に行けば夢が叶うというのは違う。
夢をつかめるのはほんの一握り。実力も大切だが出会いや運というのも
大きく左右していると思う。

上京していない私でもこの主人公の思いに共感できる。


映画「群青色の、とおり道」の主人公・佳幸も
大学進学と同時に大好きな音楽の道に進むために東京に出た。
自分の家の稼業を継ぐことなく、10年ずっと家に帰らなかった。
帰ることが出来なかった。
その10年、いろんなことを彼も経験し、苦い思いをいっぱい味わったことだろう。


帰るきっかけを作ったのは自分が東京に出て行くことを一番反対した
父からの知らせ。


都会の高層マンション群の建物を抜け、
次第に青い空が広くなる風景を見ながら
10年ぶりに降り立ったのは故郷群馬県・木崎駅。
太田市にある駅だ。



父の日課は10年前と変わらない。ずっと続いてきた。
1年間ずっと同じ仕事をやっていられるのは年に1度の尾島ねぶたを
楽しみにしているからだ。
だが今年はそれが出来ないという。


父は大事なことを妻に告げられず
同性の息子を呼び寄せた。
10年前の隔たりをずっと持ち続けているのは自分だけだったのか。
いやそうではない。これからのことも考え、父は佳幸を呼んだのだ。



10年経っているのに、10年前と変わっていない時間の流れがそこにある。
同級生は結婚して親になった者もいるし、独身のままいる者もある。
高校時代、一緒に時を過ごした唯香は小学校の先生になっていた。
変化はあるのに友人たちは昔のまま自分に接してくれる。


10年ぶりに地元で過ごすことで昔は気がつかなかったことを
感じる佳幸。
自分がいることを誰も拒否せず、ここは迎えてくれる場所。


今まで10年間完成することがなかった曲を佳幸は完成させようとする。
止まってしまっていた時間が動きだすかのようにそれは感じられる。



この作品を作るきっかけは太田市長だった。
合併10周年記念に映画を作りたい。
その思いに共鳴した佐々部清監督が一本の映画を作り上げた。
戻ることのできる場所、いつでも自分を迎え入れてくれる場所
「故郷」を太田市の自然や町の風景、人々で描いた。
クライマックスには太田市を彩る夏の尾島ねぷたを取り上げている。


何か大きな事件が起こるわけではない。
日常「ケ」の間にあるその人にとっての「ハレ」の日が描かれる。
祭は「ハレ」のものだがその祭とはまた別の自分にとっての「ハレ」。
そこを起点に何かが動き出す。

人々の生活はそういうものだと思う。
佳幸が10年かけて得たものは何なのかは是非劇場で御覧頂きたい。


映画「群青色の、とおり道」(http://gunjyoiro.jp/)は
7月25日より名古屋高岳の名演小劇場で公開。
公開初日25日の10時半の回上映後に佐々部清監督の舞台挨拶あり。


今回は監督だけでなくプロデューサーとしても映画に関わっておられた
佐々部監督の製作秘話がたくさん聞けるはずだ。

大須のTheater Cafeでは上映前の23日からパネル展も開催。


FMらら「ららサタデー」でも今週紹介予定。
スマホアプリもしくは公式HP(http://fm768.jp)から聴取可能。