官僚とは何か | 涼夏のまだまだやりたいこといっぱいある。

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まさにタイトルどおり。まだまだやりたいこといっぱいあるんです。まさやんの曲からいただきました!

日記はまさにやってることやりたいことを書いてます。

官僚たちの夏 第10話


昭和40年、不況を乗り越えた日本産業は再び盛り返し始めたが
炭鉱業界は脱落、繊維業界も復活できずにいた。

鮎川の病名は拡張型心筋症。半年持てばいいらしい。


鮎川の頭の中には繊維業界のデモや岡谷社長が浮かんでいた。
突然目を覚まして自分の中で気になっていた繊維業界を救うために
提案しようとする。
必死に止める風越と庭野。



アメリカからの沖縄返還に犠牲があるのは仕方がないという牧に
片山はそんなに次官になりたいんですか?と冷やかす。


風越は片山と牧を呼ぶ。鮎川の病名を告げた。
鮎川の病名は隠す。そのために企業局長を辞めさせるわけにもいかない。
病気の自分の代わりに以前鮎川が仕事を助けてくれたからと言って
牧は自ら鮎川の代わりに企業局長も兼任すると立候補する。


鮎川は片山に繊維局長なら一度現場に行けと話す。
現在の繊維業界の不振は賃金の増加。中卒だった工員が
高卒になったことで初任給があがった。
そう分析する片山に鮎川は一層現場にいって何とかしてやれと話す。


鮎川のベッド近くにある大量の繊維業界に関する資料。
片山は鮎川の思いを受けて繊維工業構造改善計画案を作りだす。
設備投資することで人件費を抑えるという改善案だ。



鮎川に言われた通り現場に行った片山は自分の目で繊維業界は
弱者ではない国際競争でも勝ち残れると気がついたのだ。



片山の仕事を鮎川は嬉しく感じている。
病床から鮎川は炭鉱事故の被害者にはがきを送っていた。
寝ても起きても頭から仕事が離れずにいる。



須藤は小笠原返還交渉にあたっているが難航しているらしい。
西丸が言うにはアメリカが何か強行に見返りを求めてきているらしい。



小笠原返還の条件はとりあえず3億2千万ドルの金の返済で須藤は
片を付けたと話した。

「どれほど大変な交渉だったか察してくれ。」
「その言葉を国民に対しても言えますか?」
「何も血を流さず取り返すなんてそんな虫のいい話は通用しない。」
「総理になって須藤さんは池内さんと同じことをするつもりですか?」
「風越君とは国益に対する考え方が随分かけ離れてしまったようだ。」


須藤と風越は平行線をたどってしまった。須藤との決別。
小笠原でこの規模なら沖縄返還はどうなるのか。庭野は懸念する。



鮎川の急変を知らせる電話。
「またアメリカにいいようにやられるんではないでしょうか。
 風越さんならなんとかしますよね?」
鮎川は笑顔を風越に見せて、今後の日本を懸念したまま旅立っていった。

風越は声を押し殺してその場に泣き崩れた。



「一番いいやつから行ったな…」
通夜の席で玉木はそうつぶやいた。
「最後まで弱い立場の人に優しい方でした。」
真もつぶやく。
「石炭産業の対策だけでも見届けたかったでしょうね。」
御影はそういう。


石炭産業の救済に資金を投入するのはどうかと思うと片山は話す。
復興が無理な産業に弱者だからと手を差し伸べるのは無駄ではないのか。
鮎川を全否定するような言い方に庭野は片山をにらみつける。
「死者にかこつけて全て肯定するのはおかしい。
 じゃあお前はこんな犬死をよしとするのか!」
「なんだと!」
片山の暴言に庭野が食ってかかる。


風越は席を立った。
煙草に火をつける。がつかない。
自然と泣いていた。



小笠原が正式返還。イザナギ景気が押し寄せても繊維業界の融資のやりくりはうまくいかないままだ。
片山は苦戦している。


庭野は中小企業事業団に掛け合ってみたらどうかと片山に提案する。
鮎川が残した遺産は確実に役に立っている。
元オカヤ繊維の社長もこの融資にのり新しい機械を導入してなんとか持ち直し始めた。



風越は2年の任期を終えて次官を退任する日がやってきた。
「総理、日本人が誇りを持てる国をつくってください。」
須藤は微妙に笑う。振り向いた須藤は冷たい顔をしていた。


風越は牧に後を任せることにした。庭野と片山のこれからを牧は
片山は協調性にかけるから人の上に立つのは庭野だろうと話す。

退官の挨拶。
「今日本はアメリカにも世界にも恥じることのない経済力を見に付けた。
 しかしそれには逆境と闘った人の血と肉が埋まっていることを忘れないでほしい。
 最後に日本はアメリカの背中を追うのではなく、
 自分の道を歩くべき時が来たことを肝に銘じてほしい。日本人の誇りを忘れないでくれ。」
風越は皆に送られて通産省を後にした。



風越は天下りしなかった。
経済評論だけで食べていこうとしていた。西丸のつてでなんとかなりそうだ。
娘の貴子は会わせたい人がいるという。
もう貴子も28才。結婚する年ごろなのだ。



西丸からの電話。
新人事は企業局長に片山。繊維局長に庭野。
庭野は降格と言ってもいいくらいなのだ。

牧は須藤に言いくるめられたのだ。
「勘違いするなよ。君の次期次官が決まったわけじゃない。最終的に選ぶのは僕だ。」
「牧さんも勘違いしないでくださいよ。僕もそういう態度には逆らいたくなる人間ですから。」
牧の人事に意外にも片山は食ってかかっていた。


鮎川に頼まれた仕事だから天命だと庭野は特に怒らない。
西丸が言うにはアメリカの沖縄返還の条件に繊維業の縮小を要求されているのではないかというのだ。
「それじゃあ治療の終えたけが人を崖から突き落とすようなものだ。」
「大丈夫ですよ、風越さん。僕が防波堤になります。」
庭野は笑った。



再び日本の繊維工業が復興し、世界に届き始めたころ
アメリカはベトナム戦争で疲弊し、産業も衰退しはじめていた。



西丸の予想通り、アメリカの条件にはベトナム戦争の支援だけでなく
アメリカ産業の保護など以前よりも強力となり
アメリカからの要求には繊維も含まれていた。


アメリカの議会に提出された輸入制限法案には日本の繊維やテレビも含まれていた。
以前は自由化を強制してきたアメリカが自分たちの立場が苦しくなると
今度は保護をする。
そんな不条理があっていいのかと須藤に庭野は意見し、
なんとしても繊維が犠牲になるのは阻止しましょうと話す。
須藤も縦に首を振るのだが…。



ヒクソン大統領候補は、公約に繊維の締め出しを提案してきた。
この締め出しはヒクソンと須藤との密約だった。
牧はその事実を知って庭野に告げようとするが須藤はそれを阻止する。
沖縄では米兵が犯罪や事故を起こしているが日本人は泣き寝入りしているのだ。
「返還なくして日本の戦後は終わらない。」



庭野、御影、真は連日連夜繊維業界のために交渉にあたっている。
夜も深くなったというのにまだ庭野は違う会合に参加しようとするが
腰を押さえて倒れる。



片山、玉木は風越を訪ねて庭野が倒れたことを告げた。
「庭野は疲れ切っています。
 あんな不毛な仕事から庭野を守ってやるべきです。牧次官に繊維を守る気はありません。」
庭野に会う気はないが須藤とは連絡を取り合う牧を見て
片山はヒクソンと須藤の間で繊維が犠牲になるように密約が結ばれているのではないかと心配する。



「僕は心配ですよ。上に立つ人間がこんなやり方をしたら官僚は理想や正義を失っていく。」
牧の国を売るような態度に片山はいらだつ。
自分はあんな風にはならないと。
「それならお前が理想を堂々と貫いて人を動かせばいい。今の片山ならきっと出来るさ。」
玉木は前とは変わった片山を見てそうつぶやいた。



風越は牧に会いに来た。先輩風を吹かせないでほしいという牧に風越は言う。
「魂を売って次官の座を守ったとしても政治家とアメリカにいいように使い捨てられるだけだぞ。

 牧はこの国をどうしたいんだ?」



昭和44年。須藤とヒクソン大統領の会見が始まり繊維業界の生産縮小を決定した。
庭野は牧を非難する。自分たちが指導して努力して作るあげた
繊維産業がなぜ犠牲にならねばならないのか。


しかし御影はこの案に賛成だ。
「もし繊維規制なく沖縄返還が実現なかったとしたら…。」
沖縄で日本人を車でひいても米軍は罪に問われない。
そんな不条理を自分の親戚で経験している御影にとって
沖縄返還は念願だったのだ。


「もはや後戻りはない!」

庭野は牧を追いかけてさらに非難する。
「通産省はアメリカの出先機関になり下がるつもりですか?
 これでは政治も行政もいらないじゃないですか!」
「ほかに沖縄を取り返す手段があったなら言ってみろ。」
庭野は言葉が出ない。



牧は任期を終え退官する。後任の次官を片山とした。
「僕は自分の理想を貫いて国際社会に貢献できる日本を作り上げようと思います。
 あなたや須藤さんのように日本を売ったりはしない。」
片山はそう宣言した。



「おれは耐えられない…」
西丸にこの現状を風越はそう語った。


繊維業界では倒産が相次ぎ、繊維の大抗議団が霞が関に向かっているという。



岡谷元社長が庭野の元にやってくる。
岡谷の吸収された会社も大手にに吸収されるという。
タイで1からやりなおすという岡谷。
「行政を頼ってた自分がアホやった。自分の道は自分で開かなね。
 結局同じことの繰り返しや。通産省なんていらんわい。」



10年前、玉木が繊維局長だった時と同じようにデモ隊が押し寄せる。
庭野を助けるために風越も走っていく。
デモの知らせを聞いて庭野も玄関へ向かう。
糸で沖縄を買うのか、庭野局長も同罪などのプラカードが
高らかに掲げられた。



デモ隊に蹴られ、殴られ血だらけになる庭野、風越。
機動隊に取り押さえられるデモ隊たち。



静かになった通産省玄関。
風越が気がつくと横には血だらけの庭野がいた。


「情けない後輩で…申し訳ありません。」

庭野は風越に謝る。


「庭野、精いっぱいやったさ。」
「少し、休んでいいですかね?ちょっと疲れました…。」


「庭野、日本はどこに行くんだろうな…。」

風越は天を仰ぎ見た。



翌年、大阪万博。
札幌オリンピックの行われた昭和48年に沖縄は返還された。






ええっと…。最終回にしては締まりがビミョーでしたが
(個人的には8話のラストの方が最終回っぽくて好きだった。)
官僚たちの夏全10話無事終了しました。



鮎川は持っていきますね。
笑顔で行くなんて悲しすぎですよ。
冒頭15分で克実さんにやられました。(涙)



鮎川の心に打たれて突然変化した片山。
でも基本の片山は変わらないのがいい。
ちゃんと自分なりに繊維を見つめて助けてあげたいと思った片山。
繊維は救うが炭鉱は見放す。
ここはさすが。
なんか片山が次官になったけどイラっとせずに済んだのは
片山がちゃんと日本のことを考え始めてくれたから。




同期の桜の取っ組み合いと友情。
やっと庭野・片山の同期コンビのいい感じが成立した回でした。



牧はチョビヒゲのせいで嫌な感じ倍増。
次官の椅子と引き換えに須藤のいいなりになってしまった彼は
昔本当に国内産業保護法案を作った人と同じ人だったのでしょうか。
時間は人を変えます。
密約で繊維が犠牲になることを知った牧が
庭野に知らせようかと思ったことが唯一の救いでした。



風越は鮎川を失ったことが本当にショックだったんでしょうね。
自分よりも弱者のことを考えて奔走していた鮎川。
思えば思うほど悲しくなり…。男泣きでした。
(丸メガネの風越さん…連太郎さんを思い出しますが)
天下りしないところは風越らしい。潔さ。
次官から退けばなんの権力もないことも事実で
庭野を救いに行って自分もボロボロになってやることしかできない。
なんともやるせない最後。
空を見上げた風越のそれからの目に日本の何が見えたのでしょうか。



庭野は最後の最後まで振り回され、走り回り。
鮎川同様、体を壊し…。最後の最後に言い放たれた言葉。
「通産省なんていらんわ。」
それは「おまえなんかいらんわ。」そう言われていることと
同じだったのかもしれません。
デモ隊に殴られ倒れ…。
最後に出た言葉は「少し休んでいいですか。」
自分が今までしてきたことは一体なんだったんだろう?
ひたすら人のために走ってきた人生を打ち消されるような一言に
本当に疲れたんだろうと…。



官僚の仕事は報われない。そう思う最後でした。
今の時代も政権が交代し官僚の存在意義が変わっていくような雰囲気があります。
官僚たちが一生懸命作った法が大臣の一言で廃案になっていく。
不眠不休で作った法があっという間に消えていく。
その法のために翻弄された人たちは官僚だけではない。
その法に関わるすべての人たち。

自分が法に左右されるシステムを作っている会社にいるからこそ
この影響が大きいことはよくわかる。



脱官僚政治と言われるこれからの政治が果たしていいものなのか悪いものなのか。
私たちが見届けなくてはならないような気がします。



ドラマは官僚賛歌だったわけじゃない。
あの昭和30年代に日本を一流の国に押し上げようと頑張った日本人の物語。
あの時代の日本は本当に熱かった。
それを伝えるいいドラマだと思うのです。



最終回の名古屋のロケは2シーン。あとは誰もいない役所内全景ぐらいでしょうか。
しかしあの誰もいない役所内の姿は私がロケに参加して見ていた姿そのものでした。



このドラマとともに私の夏もありました。
夜の居酒屋のロケ。もっと盛り上がって!とあおられ盛り上がった
力道山応援シーン。
ひたすら風越、鮎川、庭野が理想を語るのを耳にしながら歩いた納屋橋ロケ。(1話)


暑い市役所の中で見た風越VS古畑。(7話)
嫌味な感じの片山と国内産業保護法案が廃案になって落ち込む牧。(6話)
次官になって帰ってきた玉木。(8話)
廊下をフルダッシュで走る風越が自分にぶつかった瞬間。(7話)


どれも昨日のように思い出せるシーンです。
あの時代を一瞬でも感じられたことが嬉しかった。
いつも私の母が昭和39年を自分が就職した年だと
まぶしそうな笑顔で語るのが気になって仕方なかった。
オリンピックが行われて新幹線が颯爽と走っていたあの年。
どんな日本だったのかのぞいてみたかった時代だったのです。



汗だくになってドラマを作り続けたスタッフのみなさん。
本当に熱い現場ありがとうございました。
名古屋で連ドラのロケがこんなにあることが本当に珍しく
参加できたことは自分にとって本当にいい経験だったと思います。