聖書の言葉です。 | 牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

201553


おはようございます。

今日は何の日カレンダーから

言わずとしれた憲法記念日です。


昭和21113日に公布された新しい日本国憲法は、翌年53日に施行となりました。

戦争によって焼け野原となった日本がその焼跡の中から、二度とこのような戦争を起こさないとの覚悟と、国民の幸せを願って作られた憲法です。

憲法は、国の最高の法律です。

日本国民のすべてはこの憲法の元にあるのです。

その憲法の前文を改めて読んで見ました。

じっくり読んで見ました。

涙が出るほど感動しました。

お時間がありましたら、この機会に、皆様も憲法の前文を読んで見て下さい。


日本国憲法(昭和21113日公布)


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


以上が日本国憲法前文ですが

そこに国民主権 そして平和の大切さ

なによりも「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、・・・」


とあるようにまさに敗戦の焼け跡の中から、この憲法によって立ち上がってきたのです。


憲法の是非について、憲法改定について議論が最近はありますが・・・・・。

二度と戦争はしない。と誓った時の事を、私達はいつも思う事が必要ではないかと思います。


「戦争を知らない子供たち」が増えてきました。

戦争の悲惨さを語る人も減ってきました。

しかし、その時の熱い思いで作られた憲法の遺産を、しっかりと守って行きたいと思わされました。


政治的思想はそれぞれあると思いますが・・・・。

日本国民として、この憲法前文の中にある思いにもう一度心を向ける人させていただきたいと思いました。

今日はちょっと堅い話のようでした。

憲法前文なんか学生時代なら暗記しなければならない厄介な文言ぐらいにしか思っていませんでした(笑い)

でも人生の年輪を刻んできて、今もう一度読む憲法前文には久しぶりに心に迫るものがありました。


ゴールデンウィークの中にあります。皆様のご健康が守られ、楽しい時となりますようにお祈り致します。


今週の暗唱聖句をお送りいたします。



201553

今週の暗唱聖句と解説




主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。

イザヤ書24


この言葉は国連の本部の壁に書かれている言葉です。旧約聖書のイザヤ書からの引用です。

剣を鋤(すき)に

槍(やり)をかまに打ち直す。

第二次世界大戦で多くの人の血が流されました。そして世界大戦という戦いの場を通して、たくさんの武器が開発されて行きました。

戦争の歴史は、武器の発達の歴史でもあります。原爆も開発されました。戦闘機も格段の進歩をしました。

人は武器の開発に血眼です。

この旧約聖書の中でイザヤが預言したこの時も、戦国時代のような時でした。

人々が武器の開発を止めて、平和に向かっていくならばどんなに素晴らしいでしょう。

この預言は、この世の終わり、やがて来る神の国の時に実現します。

しかし、私達は今生きているこの時代にもそのような平和の中に人々が生きていける事を強く望みます。

第一次世界大戦の後、世界は平和を望み、国際間を調停するために国際連盟を作りました。このあたりは歴史の時間に皆さんも習ったでしょう。国際連盟はその力を発揮できず、第二次世界大戦を止める事はできませんでした。

 その事を踏まえ、世界平和を望んで、新しく時代のために、世界の平和のためにと各国が集まり、国際連合を設置しました。

その壁に書かれている言葉

これこそ人類の平和への熱望の言葉です。

剣や槍が鋤や鎌と言う農機具に打ち直されるのです。

国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いの事を習わない・・・・・。

そんな世界が来ることを祈りつつ、聖書の言葉を国連の壁に書いたのでしょう。

すべての人の心には平和への願いがあるのです。