おはようございます。
2014年1月26日(日)です。
今日は何の日カレンダーから
1614年1月26日 キリシタン大名高山右近が捕えられる。とあります。
高山右近と言う人はご存知でしょうか。戦国時代のキリシタン大名として有名な方です。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えていました。
彼が領主だった時代の高槻では多くの武士、農民もキリシタンとなりました。
最初キリスト教に好意的だった信長は、安土にセミナリオ(神学校)も作るほどでした。
多くの人がキリシタンになりました。
次に、秀吉も最初は好意的でありましたが、のちにキリスト教を憎み、キリシタンには棄教を命じました。
高山右近も、秀吉から、キリスト教の棄教を命じられ、キリスト教を捨てなければ大名としての地位、領地も没収すると脅しました。
多くの大名が棄教する中で、高山右近は、「私は領地を没収されてもキリストに従う。私に与えられた永遠の命はだれも取り去る事はできない」と大名の座を捨てました。
その後、彼の能力を惜しんだ、前田家に浪人として召し抱えられ、良き働きをしました。
さらに徳川の時代になり、家康も当初はキリスト教を認めていましたが、のちに江戸幕府を守っていくためには、キリスト教は危険だと判断し、キリシタンの迫害が始まりました。
その中で、高山右近は信仰を捨てず、生きていたため、ついに逮捕されてしまいました。
それが、1614年1月26日の事だそうです。
人間的に見れば、高山右近の才能をもってすれば、キリスト教を表面上捨てたように見せて、立場を守られ、あるいは出世する事も出来たかもしれません。
しかし、彼はこの世の栄華よりも神の救いの中にある命を喜んだのです。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
マタイ福音書16章26節
この聖書の言葉を言ったと言われます。
彼の信仰の潔さを家康は畏れ、日本国内で処刑をすれば、逆に日本にいるキリスト教徒を刺激しかねないと考え、ひそかに船に乗せて国外へと追放したのです。
マニラに右近たちは着きました。そこでの歓迎は大きなものがあったと言われます。
しかし、右近の信仰はマニラでもなく、もっと永遠の天国を求めていたように思えます。
これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
へブル人への手紙11章13~14節
寒い日が続きますが、冬の寒さの中にも春はもうすぐという喜びがあります。
今週も皆様の上に、神様の豊かな祝福と恵みがありますようにお祈りしています。
今週の暗唱聖句と、拙い解説を送ります。
2014年1月26日 今週の暗唱聖句と解説
神の名を使って呪ったり、誓ったり、魔術を行ったり、うそをついたり、だましたりしないで、むしろ、困ったときにはいつでも、神を呼び求め、神に祈り、神をほめたたえ、感謝するのです。
小教理問答より 十戒 第二戒の意味
先週の暗唱聖句 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
の御言葉の意味が今日の言葉です。先週は神様の名をみだりに唱える事は悪い事だと学びました。神の名前を使って自己を正当化したり、人をだましたり、自分の責任を神の名でごまかしたり・・・・そんな事をしてしまう人間の弱さを覚えます。
我々は、神を畏れ、愛し、信頼すべきです。この神を畏れかしこむという敬虔さが求められているのですが、自分は牧師なのに、この敬虔さを問われると、全くな気に等しい者だと思います。神様の戒めの素晴らしさはわかっていても、実際には、失敗ばかりしている事を認め、日々反省と言う感じです。
しかし、みだりに唱えるなと怖い神様が言われているようですが、これは愛の神様の言葉でもあるのです。自分の都合のよう酔いに神の名を利用するなとは言われますが、この言葉のもう一つの側面は、あなたが困った時には、遠慮せずに、あなたを愛し、見守っている神様に。いつでも呼び求め、祈りなさいという事なのです。
困った時には、私を呼びなさい。それはみだりに唱えるという事とは違うよ。という事です。
人生の中で、困った時はたくさんあるでしょう。その時、最終的に問題を持って行けるところ。それは神様の所です。私も何回も経験してきました。神に祈る事の出来る幸い。その時神様のみわざが働いて下さいます。その中で良きにつけ悪きにつけ、私たちは神をほめたたえ、感謝するのです。
戒めを十分に守る事もできない私に対して、神様は怒られます。
でも困った時。愛の神様は私たちを捨てられる方ではないのです。
むしろ、困ったときにはいつでも、神を呼び求め、神に祈り、神をほめたたえ、感謝するのです。
堺育麦キリスト教会 牧師 豊島守
教会のホームページでは、毎週、説教、今週の祈り、暗唱聖句を更新しています。
お暇な時に、読んで下されば幸いです。
堺育麦キリスト教会
→http://sakai-ikubaku.digiweb.jp
牧師のブログは牧師剣士
で検索できます。→http://ameblo.jp/ryouma-1cor1013/