四国へ | 牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

今朝、父が四国の豊浜キリスト教会に行きます。

豊浜は、私の育った所です。故郷です。

父にとっても長く住んだところであり、クリスチャンになって信仰を育んだところです。


もう故郷を離れて、ずいぶんになります。

父も懐かしいと思います。


教会に行って、久しぶりの人たちの前で、礼拝の中で、救われた証しの腹話術をします。


もう張り切っています。


いろんな準備をしてきました。

いよいよ今朝、出発です。


体が守られ、いい奉仕ができるようにお祈りしています。


剣道でこの間、「心の間合い」という言葉を聞きました。

どんなことかと言いますと・・・・・。

私と誰かの間合いがあるとします。

ここなら相手を打てる間合いというものがあります。それは自分で感じる間合いです。

私の場合、その間合いは、相手からの脅威がない間合いを取ってきました。

人よりも、遠い間合いから私は打つ!

そんな稽古をしてきましたが、それでは本当の打ちにはなっていないと、最近教えられています。

お相手も打てる。そして私も打てる。この間合いで攻め合うことが大切という事です。


下手の人と稽古をする時は、余裕をもって自分の間合いで戦えます。


同等のお相手とは、緊迫した間合いの中で、少しは攻め合えるようになりました。


しかし、八段の先生とは・・・・・・。


前回、先生から「T先生は、攻めあわずに打ってきます。もう少し、我慢してください」と言われていました。

そして「胴を打ち過ぎです」とも言われていました。

胴を打ってしまうのは、怖さで腰が引けての打ちです。

胴を打たずに、面で対抗することが大事ですとも言われていました。


というわけで、この間は。八段の先生に向かう前に、

「絶対に辛抱して打つ!当たらなくても打てなくても面で勝負する」

絶対に面で勝負する。

絶対負けるけど、面で勝負!

と思って稽古。


先生に攻められても、辛抱して、辛抱して、粘って、最後に面に出る!


そんな稽古をしたつもりでしたが・・・・・。


稽古後、「今日はずいぶん遠い間合いから打ってきましたね。もう少し間合いを近くまで辛抱してください」と言われました。


「今日は、辛抱して、辛抱して、面に出たのに・・・・」


遠い間合いから打ってきていますと言われたことに、悩んでいました。

どういう事かな・・・・。

と思っていたら、

ある先生が「それは心の間合いですよ」と言われました。


本当は、まだ遠い間合いなのに、八段の先生からの攻めを受けて、こころが浮いてしまい。

恐ろしくなって、本当はまだ、間合いにまで入っていないのに、自分から打ってしまう。

火事があって高層階にいる人が、その恐怖から、地面がずいぶん近く見えて、飛び降りておりて死んでしまう。

本当の距離感が、自分の恐怖心からわからなくなっている。という例話を話してくれました。

私の場合。

八段先生から攻められて、本当はまだ遠いのに、もう打たれる距離、間合いと思い、辛抱が切れて打ってしまう。しかしそれは私の心の間合いで、本当はまだ遠いという事です。


これは失敗しながらの稽古で少しずつ心の間合いの誤差を詰めていくことです。

そんな意味で八段の先生と稽古することは意味があるんですよ。

という話

勉強になりました。


人生にも通じる「こころの間合い」という事です。