第19話 『救い』


 京橋蒼圉


 目線をどこに移しても浴衣とうなじのオンパレード。
 夏の風物詩とともに、蒼圉にとって水着姿よりも好物なそれは、自然とテンションを上げらせる。きっと外国人にはこのエロチシズムを理解できないだろう。日本に生まれてよかったと心の底から思える、指折り数えるよりも少ない事柄の一つだ。
 そして何より蒼圉のテンションを上げる要因となったのは、神田だ。
 髪を後ろで一つにまとめ髪留めで止めうなじがしっかりと見え、眉毛辺りまで伸びた一直線に切った前髪。黒の浴衣に白の姫小菊が描かれて、艶美な色気を持つ神田に似合っている。
 すれ違う人達が神田の横を通る度、二度見、または三度見をする姿を見て、蒼圉は自分のことでもないのに鼻高々な気分に陥ってしまう。
 その隣を歩く瑞希も、文句のつけようはないのだけど……褒めるところもないという、なんというか瑞希の容姿と同様に特徴のないというか花がない。まあ、良くいえば無難に仕上げていると言える。しかしうなじが見えていない時点で蒼圉的にはアウト。見る価値のない路傍の石と化してしまう。
 そして蒼圉の隣を歩く寺田はというと……お面の屋台をずっと凝視している。こいつの年は幾つだ?
「なんだお前? お面なんて欲しいのか?」
「そうでもないんだけど……なんでプリキュア、ホワイトはいるのにブラックはいないんだろ?」
 知るか。それにどっちが黒か白かもわからない。そんな物を見るならもっと浴衣やらうなじやら見る物があるだろう、と突っ込みたいのは山々なのだけど、この寺田と言う男、二次にしか心のよりどころを見いだすことができないことを蒼圉は承知済みなので、わざわざ口を開くだけ無駄、喉をからすだけなのだ。
 再び目の保養の為、蒼圉は視線を前に移すと、月とスッポンが金魚すくいの屋台の前で、立ち止まっている。蒼圉も早歩きで近づく。
「どうしたんだ? やりたいのか」
 神田は浴衣の袖から巾着を取り出し、目を輝かせている。
「これってどーゆう遊び?」
 こいつは金魚すくいも知らないのか、と呆れそうになるけれど、もしかするとこの疑問は神田のキャラ設定の為の一つなのかもしれない……いや、神田なら本当に知らない可能性も……って、ややこしい奴だ。
「これは金魚すくい。名前の通り、この狭く青いプラスチックの桶を泳ぐ金魚を川に放流してあげるという遊びだ」
「なるほどー、金魚救いかぁ。子供が読めるようにひらがななんだね!」
 輝く笑顔に少し胸が痛むけれど、それ以上にでたらめを教える快感が蒼圉の心を支配する。
「まず俺が見本を見せてやる。おい、一回やるわ」
 蒼圉は店番の男子を呼び、銀貨を手渡す。そして交換にポイを受け取った。
「そんな薄紙で救える?」
「大丈夫、まかせろ」
 蒼圉はグッと親指を立てた手を神田に向け、自信満々な凛々しい顔を向けた。
「それじゃ金魚すくいの極意を教えよう。まず、ポイをゆっくりと水の中に斜めに入れる。これは全面だ。少しずつ濡らしていくと、濡れてない部分と濡れている部分の境目の強度が下がるんだ」
「ほおほお」
 膝を曲げて座る蒼圉の横に神田が並び、神田は手の動きをじっと見つめる。
「で、水面近くを泳ぐ金魚を見つけたら、ゆっくりと斜めにポイを引き上げ……キャッチ!」
 言うと同時にポイを引き上げる。するとポイの上にのった赤く小さな金魚が、弱々しく跳ねていた。
「で、これを器に入れると救助完了」
「おみごとー」
 と神田は手を叩き、金具で出来た器を泳ぐ金魚を見つめ「チビチビだ」と嬉しそうに指を指して笑っている。
「ほんと、そういうことに関しては博識よね」
 下らないと付け足しそうな気怠い口調で、二人の様子を見ていた瑞希が口を開く。
「やっと突っ込んだか。ていうか救いじゃなくて掬いでしょっていう突っ込みポイントを見逃しやがったな」
「見逃してなんてないわ。あんたのボケがいかなる物か見届けたのよ……くだらない。てか神田さんものせられてんじゃないわよ! 金魚すくいを知らない? 日本人の口からその言葉を聞くなんてカルチャーショックよ! で、フナをそんな弱々しくした観賞用の赤い魚なんて、あんなどぶ川に放せば即死よ!」
 瑞希の決死の突っ込みも神田には届かないらしく、神田はゆっくりとポイを泳がせ金魚を追っている。マイペース、実にいいことだ。場所を考えず怒りをぶちまける瑞希もある意味でマイペースと言えるかもしれないが……すれ違う人の迷惑だ。その分神田の方がマシだろう。
 まだまだ言い足りないと更に眼光を強め、口を開く瑞希だけど、その口を抑えられてしまった。蒼圉もその光景に驚いて息を止めた。そして一拍置いて突っ込む。
「寺田。瑞希にそんなことしてみろ……あとでどうなるか簡単に想像がつくだろう」
 買えないおもちゃを見つめる子供のような表情の寺田は、まだ口を開こうとしない。その顔の下で、瑞希が放せと言っているのだろうけど、寺田の手が瑞希の口物を被っているものだから、もごもごと濁った音しか聞こえない。
 じたばたする瑞希に構うことなく、寺田はただ一点を見つめていた。
「萌え」
 ぼうっと開いた口から漏れた言葉は蒼圉の耳に届くことはない。けれどその視線の先を蒼圉は追った。
「神田? 神田がどうかしたのか?」
 やっと蒼圉の声が寺田の幻想世界に届いたのか、一歩近づき、周りには聞こえないように寺田は蒼圉の耳元で呟いた。
「これは夢か現か……確かめる為に、いや目覚めさせる為にベタだけど頬をひっぱたいてください京橋くん。もしかすると僕はついに自分の妄想から現実を生み出してしまったかもしれない」
 熱弁する寺田だけど、蒼圉は言っている意味を全く理解できず、ただ首を傾げるのみだ。
 人を殴ることはいいストレス発散法になるが、今の寺田の状態に衝撃を与えてしまうと、一生目を覚まさない気がしてならない。
 と寺井の精神状態を危惧していた蒼圉だが、思いやる気持ちも虚しく、寺田の顎に平手打ちが入った。
 確実に意識を落とす為に放たれた一撃だが、寺田は並の体つきではない。それに中学の頃に柔道をやっていたからか首の筋肉は更に強く、その程度の掌底ではほぼノーダメージだろう。ただ、肌の痛みだけはどうもならないだろうけど。
「まさか落ちないなんて」
 思い切り振り抜いた右手を見て絶句する瑞希だけど、その前にやりすぎましたと謝れと言いたい。やりとりをみていた金魚すくいの客や店番は引きに引いている。
 それほどの出来事が起きたと言うのに、寺田は何食わぬ顔で口を開く。
「ありがとう京橋くん。目が覚めた。それに現実だって理解できた」
「ちょっと待て。やっぱり危険だ。殴ったのは俺ではなくて瑞希だ」
 蒼圉の言葉が耳に届いてるのかいないのか、寺田は続ける。
「桜子様がまさかこのようなお方だなんて……。まるで水曜の深夜一時二〇分放送の魔法少女――」
「それ以上はやめとけ、俺ですら引いてしまう」
 フィクションとノンフィクションを混合してしまうと元に戻ることに時間を要する……と注意をしても寺田には一歩も二歩も遅い。 
 恐らく寺田はこの瞬間、初めて熱があり触れられるものに恋をしたのだろう。
 パソコンではなく。
 蒼圉は常々、寺田の妄想しか見ない点を気にかけていたので、桜子に好意を持つことを嬉しく思うが、今はまずい。
 作戦中なのだ。
 半月も前のことだから寺田は忘れている可能性が高いが、瑞希が本当に蒼圉を好いているのか確かめる為に、蒼圉が神田に恋をしていると言う設定に、瑞希に仲介人となってもらう作戦だ。もしそれを忘れ、寺田が神田に必要以上に話しかけたり、近づいたりすると、瑞希も馬鹿ではないので対処しようとするだろう。
 それはそれで、寺田にも瑞希にも悪い気がしてならない。
 蒼圉はどうやってこの事態を乗り切ろうかと頭を悩ましながら、ゆらりと、時に機敏に泳ぐ金魚を眺めていると、事態は勝手に収束した。
 振り返りさっきまでいた二人の任務協力者が姿を消していた。
「ねね。結構救った!」
 どうして二人は立ち去ったのだろうと考える間もなく、隣の神田が黄色い声を上げて、穴の開いたポイと銀の器を蒼圉に見えるよう目の前に掲げた。
 器にはすいすいと能天気に七匹の赤い金魚が泳いでいる。
「黒ブルドックフィッシュ、救おうと思ったの、破けたよ」
「目が大きくて不細工だからブルドックか? その魚は出目金っていうんだ。まあ、あいつは重いからな。救うなら最初の方にしないと。それにしても初めてにしては上出来だな、それだけ救えれば」
「でしょ?」と微笑む神田につられ、蒼圉も思わずニヤけてしまう。が、それどころではないと首を左右に、目を八方に向ける。
「どしたの?」
 訳を知らなければ明らかに挙動不審な蒼圉の行動に、神田は何か面白い物でも見つけたの? という期待の眼差しと声を発した。
「違うくて……いや、何でもない」
「何でもない? 瑞希ちゃんのことでしょ?」
 さっきまでの恍けた声を消した神田に、蒼圉は驚き視線を神田に戻した。
「恍けたって無駄。京橋くんわかりやすいんだから。瑞希ちゃんならさっきのオタッ子を引き連れて……そうだね、京橋くんから見て三十八度方向にいるよ」
 細かいな、と思いつつも、適当にその角度を見ると、寺田の手を引いた瑞希が大股で歩き、人の波をかき分けていた。
「何してんだあいつ? 気を利かせてジュースでも買ってくるのかね?」
 その言葉に神田は上品に鼻で笑う。
「気を利かせたのは確かだよ。でもジュースじゃなくて作戦遂行の為だね」
「……もしかして寺田の好意が神田に向いたことに、気付いた瑞希が寺田を連れ出したってことか?」
「京橋くんの為に」
 ニコッと唇だけで笑う神田。
 蒼圉は信じられなかった。もしそれが本当だとすると瑞希は……。
「嘘か本当か試してみる?」 
 そう言って神田は立ち上がり、蒼圉の手を引いた。
 座っていた蒼圉はつんのめりながらも屋台に手を伸ばし、店番の生徒から金魚の入った袋を二つ受け取った。

 左手に巾着を下げるようにして金魚が泳ぐ袋を持ち、櫓にのって音頭をとる男性を眺めて、蒼圉は一息ついていた。
 金魚すくいのあと、わたあめ、輪投げに射的。くじ引きなんかも引いてみた……言うまでもなく全部カスだったけれど。あれよあれよと神田に連れ回され校庭二週。通常の校庭なら問題がないものの、言わなくてもわかるように本日は盆踊り。どこを見ても人の群れ。かき分けることに気を使い、足を使って蒼圉は足がだれていた。きっと履き慣れない下駄と浴衣も原因だろう。
 神田はというと元気にかき氷をむしゃぶりついている。
「頭がキーンとならないのか?」
「かいかん」
 と頬を赤らめて言う神田は色っぽく、見てはいけないものを見てしまったと蒼圉は目をそらす。人の性感体と言うものは摩訶不思議で千差万別だ。
「ところでさっきからどこ見てんの?」
「櫓のおっちゃん」
「瑞希ちゃんじゃあなくって?」
「そこでどうして瑞希が出てくる」
 神田は口周りについたシロップを舌で舐めとる。
「瑞希ちゃんがこっち気にしてるから」
 そう言われては確認しないわけにはいかないと、蒼圉は二分程前に瑞希がいたりんごあめ屋に目をやろうとした。
「だめ。いち、にー、さん。で見て」
 どうして? と疑問を抱くが、仕方ないと蒼圉は神田の目を見て合図を待った。
「いち、にー」
 神田の唇がゆっくりと動く。風呂で数を数える子供ように。
「さん」
 勢いよく目をやると、あからさまに見ようとしていることがバレてしまうので、蒼圉はゆっくりと視線を移す。
 やはり二分程前にいたりんごあめ屋に瑞希はいた。表情まではわからないけれど、こっちをみていることはなんとなくわかった。寺田も横にいるが、こっちを見ている様子はない。
 十分に観察を終えた蒼圉は神田に顔を向けようと思ったが、その必要はなかった。
 目の前に神田の整った顔面が映ったからだ。
「どうしたんだ、神田?」
 気付けば腰に手をまわされていることに気付き、少し心拍数が上がる。
「ここでキスするとどうなると思う?」
「どうもならねーよ」
 精一杯強がって見せる蒼圉。口では言えないが、もしこんな場所でキスなんかされると、どうにかなってしまうだろう。あまりに未知すぎて蒼圉には予想もつかない。
「瑞希ちゃんどうなっちゃうだろう」
 ふふっ、と楽しそうに笑う神田はふわふわとして可愛くて、こんな女性と口付けを交せるのなら、それは光栄なことだろうと思う蒼圉だけど、受け入れることが出来ない。
 そんな蒼圉の心の内を知っているのか知らないのか、神田は更に体を一歩寄せ密着させる。胸と腹に生暖かい熱を感じる。思ったよりも柔らかい感触はなく、どちらかといえば人形のような骨張った印象を受けた蒼圉は冷静でいれた。
 神田はゆっくりとつま先を立てて、蒼圉の唇に自分の唇の位置を合わすように、目線を上下に調節させる。
「いくよ」
 きっと神田は頬を赤らめ微笑んでいるのだろう。けれど蒼圉はその艶美な表情を確認することをしなかった。ぼやけて見える瑞希の動きを眺めていた。
 いよいよ唇が近づこうとしたとき、瑞希はこっちにそっぽを向け唐突に走り出した。
「あっ」
 突然のことで思わず蒼圉は息を漏らす。そして神田の行動を止めるため、両肩を抑えた。
「もうちょっとなのに。でもいいっか。これでわかったでしょ?」
 蒼圉はやっと納得した。瑞希が本当に蒼圉のことを思っているのだと。というかごまかしがきかなくなったというべきだろう。今までなんとなく気付いていた瑞希の気持ちをはぐらかし、曖昧に受け取っていた。
 けれど駆け出す瑞希を見ると、そんな場合でないと気付かされる。
「それと京橋くんの気持ちも」
「俺?」
 うんうん、と満面の笑みで首を縦に振る神田。
「じゃ、訊くけど、なんでわたしがキスしようとしたの、止めたの?」
「そ、それは好きじゃないから」
「違うでしょ。瑞希ちゃんに見られたくないからでしょ。追いかけてきなよ。金魚なら預かるよ? それに今ならまだ間に合うさ。これを逃すとお先真っ暗の迷宮入りかもね」
「修復不可能ってことか?」
 蒼圉は手に提げていた金魚の袋を神田が差し出す手にかける。
「ありがとう。今まで作戦に付き合ってくれて」
「いいえ。こちらこそ、それにわたしもいいもの見つけたよ」
 どういうこと? と訊ねたくなった蒼圉だけど、微笑む神田の顔が答えを拒んでいるような気がしたのでやめておくことにした。
 そして振り返り、人目を気にせず駆け出した。
 瑞希が出て行った校門に向かって。