第16話 『夢』 


 昼の真っ青な空からちょっとだけ橙が迫って来る、昼とも夕方ともいえない、曖昧な時間帯。小学校から帰って来たあたしはかばんを置いて、お母さんの部屋にあるアルバムを探した。
 今日の朝、お父さんとお母さんはやけに機嫌がよくって、高校生の頃の話なんてしていて、写真はまだ残ってるかな? と訊いたたお父さんに、もうないんじゃない? なんて軽く言葉を返すお母さんに、お父さんはちょっと悲しそうな顔をして仕事に行った。
 せっかくの思い出の写真なのにきっと残ってるはずだ。そう思ってあたしはお母さんが買い物に行ってる最中に部屋に忍び込んで、押し入れの中で見つかったアルバムを読みあさった。
 3冊ある分厚いアルバムには、あたしの赤ちゃんのときから幼稚園入園までの順番で写真が並んでいる。ついでに蒼圉も写ってるのがなんだかムカつく。
 けど、あたしが生まれた頃、お父さん達は高校生じゃないはずだから、このアルバムじゃない。あたしはもう一冊のアルバムを押し入れから取り出した。
 そこにはお腹の大きなお母さんの写真がたくさんあって、動物園や遊園地とかも一緒に写っていた。これもハズレだな、と決めつけ、あたしはもう一冊のアルバムを手にすると、玄関のドアを開く音がした。
 勝手に押し入れを開けちゃ怒られると思って、あたしはパラパラとめくりながら、さっと写真を見た。けれどみつからない。
 やっぱり今朝お母さんが言った通り、全部捨てちゃったのかな。
 諦めてアルバムを素早く棚に戻したとき、一枚の封筒が眼に入った。アルバムと棚の間にあったから気付かなかったのかな? でもこんなところに封筒があるなんて、一体何が入ってるんだろう。もしかして噂のへそくり?
 今すぐにでも封筒の中身を確認したかったけれど、そんなことしているとお母さんが部屋に戻ってくるかもしれない。あたしは封筒を手に持って、ふすまを閉めてドアを開くと、お母さんが立っていた。
「なんだ、ガサコソ音がしてるから変だなって思ってたら瑞希だったの。……言うことあるでしょ?」
「お、おかえり、お母さん」
 どうやらお母さんはあたしが押し入れの中を探ったと疑ってないみたいだ。よかったよかった、と安心も一瞬で、部屋からでようとしたあたしの肩をお母さんがつかんだ。
「お母さんの部屋で何してた? もしかして写真探してたんじゃないでしょうね?」
「そんなわけないよ。お母さんないって言ってたでしょ」
 あたしは精一杯、疑われないようにいつも通りの声と笑顔で答えたけれど、
「相変わらず嘘が下手ね。顔が真っ赤だし、声もうわずってるし……笑えてないし」
 さすがはお母さんというべきか、それともあたしの嘘が下手なのか、真実はお見通しみたいだ。こうなればあたしがするべきことは謝る以外ない。
「ごめん、ちょっと見てみたくなって」
「そうだったの? でもなかったでしょ、写真なんて」
「なかった」
 何百枚と見た写真には不思議なことに、制服を着たお母さん達の姿はなかった。もしかしておばあちゃんの家に置いてあるのかもしれない。
「これからは勝手に人の引き出しとか押し入れとか見ちゃダメよ、瑞希も見られちゃヤダでしょ」
「嫌だよ」
 別に嫌ではないけど、「別に」なんていうと反抗していると思われるから、あたしはお母さんの言うことに同意して、機嫌を損なわせないようにした。反省するそぶりを見せながら。
 すると「次はダメだからね」とお母さんは優しく言って、許してくれた。
 いつもならもうちょっと叱られるのに今日はあっさりだった、ついてるかも。なんて能天気にあたしは自分の部屋に戻りながら、封筒の中の物を取り出した。
「お父さんとお母さんだ」
 そこには目当ての、制服を着たお父さんとお母さんが写っていた。それと蒼圉の両親も。
 これでお父さんも喜ぶと、あたしは鼻歌まじりで引き出しの中に封筒に入れた写真を直した。
 時計をみるとそろそろ教育テレビで料理番組の時間だ。もそもそっとした怪獣みたいな緑色のキャラが料理を作る姿が面白くってあたしのお気に入りだ。
 一階のリビングで見ようと部屋を出て、お母さんの部屋を通り過ぎようとしたとき、扉が開いてお母さんが出て来た。
 夕飯の準備でもするのかな? と思って今日の晩ご飯は何と訊こうと顔を上げてお母さんを見つめた。
 けれどそんなこと訊けるような場合じゃないって一瞬でわかった。お母さんのつり上がった眉毛と、眉毛の間に入ったシワ、それに真っ赤な顔。すぐにでも逃げ出したいけど、逃げる場所なんてどこにもない。
 怖い。
 お母さんがなんでそんなにも怒っているのか、理由がわからないから、底無し沼みたいな怖さだ。息をのむあたしにお母さんは、思ったよりも小さな声で、訊ねた。
「瑞希、写真とったでしょ?」
「とってない、とってない」
 ここで封筒をお母さんに返すとどうなるかわからない。晩ご飯抜きとかそんな程度じゃなくて、この間のお昼に見たヤクザのドラマみたいに爪を剥がされたり、指を切られたり、包丁で刺されるかもしれない。
「嘘つきなさい! わかってるんだからね」
「とってないったらとってないもん!」
 あたしはお母さんの伸ばす手を振り払って廊下を駆けた。後ろからお母さんが追いかけてくる音が聞こえるけど、かまわず走って、階段を飛び降りた。

「瑞希。起きろ、仕事だ。この給料ドロめ」
「とってないってば!」
 寝ぼけ面の瑞希は寝言を吐くと、今宮が瑞希の頭を小突いた。
「何時間寝てたんだ、俺が来た頃から寝てるだろ? ……にしても汗すごいな、悪夢でもみてたのか?」
 神田の家を飛び出し、すぐにでも今宮に話を聞きたいと思っていた瑞希だけど、学校によっているとバイトの時間に間に合わなくなるので、律儀にもバイト先の喫茶店に行くことにした。だいたい、店長は今宮なのだから学校に行く手間をかけなくてもいい訳だ。それに早く答えを聞いたって遅れて聞いたって一緒なのだから。
 そうして瑞希は開店準備をすませ、入り口の札を『OPEN』に変えると、安心というか緊張がとれたというのだろうか。いつの間にかカウンターの上で寝息を立ててしまったというわけだ。
 ということはさっきまで瑞希の頭に流れていた映像は全て夢。鼻をつくコーヒー豆を煎る匂いが明確すぎるからきっとそうだろう。
「やけにリアルな夢を見たよ。だからかな?」
「ざまみろ。仕事中に寝た罰だ」
 そんな嫌味を言う今宮を睨みたくなるけれど、今はそれよりも先にすることがある。
 瑞希はポケットの中から神田に貰った写真を今宮に見せた。
「この写真のことについて聞かせて。店長だったら知ってるでしょ?」
 ジーッと写真を眺める今宮は、どこか虚ろで、何かを考えているようにも見えるし、何も考えていないようにも見える。よくわからない表情だ。
 どんな言葉が最初にでてくるのか気になる瑞希は今宮の顔を見つめる。すると唇が動いた。
「知らん」
「へ?」
 思わぬ答えに瑞希は気の抜けた炭酸飲料のふたを開けたような声を出してしまった。
「俺はこんな写真知らん。というか仕事だ仕事」
 そう言って今宮はトレイにのせたアイスコーヒーを瑞希に渡した。
 それは話をはぐらかしているようにも思えたし、しっかりしてくれよ、という嘆きのようにも感じられた。

 バイトが終わり、家に帰る途中の夜道。
 三日月とも半月とも言えない情けない月が照らす中、瑞希は自分の携帯の着信音に驚き、何にビビってるんだと自分に突っ込みを入れて通話ボタンを押した。
「お疲れ、すまんな、今日はいきなり帰って」
「そ、そうご?」
「なんだよその変な声。裏声出したり低くなったり」
 どうせクラスメイトの誰かから遊びの誘いかと、着信者表示を見ないで出たのが間違いだった。瑞希は大きく息を吸って、気持ちを落ち着かせた。
「うっさいわね、バイトで疲れて変な声出たのよ」
「喫茶店って疲れたら素っ頓狂な声出るのかよ」
「そうよ、そんなことも知らないとは馬鹿の大売り出しもいいところよ。そういえばあんた何で帰ったのよ。あのあとすっごい先生に怒られたんだから」
 受話器に向かって文句をたれていると、何だか馬鹿みたいに思えてくる。本人の顔を見ながら話さないと、それは夢や妄想と同じようなものに思えてしまう。
「すまない、婆さんが階段から落っこちて病院連れてったんだよ」
 瞬間、背骨がつららに変わったみたいに背中が冷たくなる。
「もしかして死んでなんてないでしょうね」
「あったりまえだ馬鹿。二段目からだったからな。といっても一週間は入院するけど」
 笑いながら話す蒼圉の声を聞く限り、嘘でなく、本当に軽傷みたいだ。
「ところで盆踊り委員の連絡事項、ついでに教えてくれよ」
「イヤよ。神田さんに訊けばいいじゃない」
 その為に二人を盆踊り委員に任命したと言うのに。蒼圉の能天気さに瑞希は少しイラッと来てしまう。
「いいじゃないか、たまには窓……」
 最後の辺りが電波の都合か、どうも聞こえない。
「窓が何よ? 聞こえない」
「たまには自分んちの窓くらい拭けって言ったんだ!」
 大声で言い放つ蒼圉は別れの挨拶もなしに電話を切った。機械音が流れる中、瑞希は蒼圉の言いたいことが理解できないで、首を傾げて携帯を閉じた。
 いきなり窓の掃除をしろと言われても、理解できるはずもない。
 こんな馬鹿で変な奴が、神田と両思いになれるのだろうか? 大分不安だ。神田は蒼圉以上に変だけど、それでも容姿端麗だから、人としてのランクは敵わないだろう。
 だとすれば第三者である者の力が重要かもしれない。
 自分がしっかりと二人を結ばなければと決意し、見上げた月は、やっぱり頼りなくて、それに祈ろうとしている瑞希もちっぽけだな、といつもなら笑えるのだけど、笑えなかった。
 頼りないのはもしかすると自分かもしれない。委員に任命した二人をまとめることができないし、バイトの最中に寝るし、二人の仲を進展することもできない。
 そう考えると、夜空に浮かぶ三日月なのか半月なのか曖昧で頼りない月は、お似合いなのかもしれない。
 瑞希は手を合わし指を絡め、二人が繋がることを願った。
 手の甲についた爪痕に気付くことなく、虫の鳴く夜道、CMよりも短い時間で。