第14話 『ペダル』


 京橋蒼圉


 本日は終業式。なのに空は明日から夏休みだといって、だらだらしてぐだぐだしてうだうだするな、といいたげなくらい晴れ渡り、今年度最高気温を記録していた。
 病み上がりの蒼圉は、校長の永劫に続くかもしれないと思わせる、夏休みの過ごし方なるものに耳を傾けることもせずなく、背筋をだらりとたらし、ただ「暑い」と「早く終われ」の二言を脳内で唱えていた。いつもなら聞こえてくる、シャキッとしなさいよ、という瑞希の声を聞くとはなかった。
 終業式が終わると同時に、サウナ状態の体育館から全速力で飛び出し、蒼圉は冷水機に向かった。自販機にしようかどちらか迷ったが、体が水分を欲しすぎて、金を入れて取り出す時間すら惜しかったし、それに自販機なら五百円分程使ってしまいそうだったから、結局、タダで体を潤わせられる冷水機に決定。
 冷水機のペダルを踏み、小さな噴水状の冷水を一心不乱で口に含むこと数分、背後に人がいる気配がしたので、蒼圉は替わらなければと思い、冷水機を離れた。もうあと一リットル分くらいは飲みたかったが、仕方がない。 
 腕で口を拭い視線を上げると、冷水を飲まないで佇む寺田の姿があった。
「久しぶりだね、京橋くん。みんなはさぼりとか言っていたけど、その辺どうなの」
 と四日ぶりの再会をよろこんでいるのだろう寺田は、ただでさえ暑い気温を二度程上げるくらいまばゆい笑顔で話しかけてきた。
「半々くらいかな? 別にそこまで悪くなかった。無理して来ようと思えば来れたが、無理して学校に来たいなんて思わないから、ひたすら部屋でボーッと有意義に過ごしてたよ。バイトも休んでたから寺田には迷惑かけたな、すまなかった。……だからといって笑ってんじゃねえ。暑苦しい」
「ごめんごめん。久し振りに会えたからちょっとうれしくって」
「たかが四日ぶりで何を言ってる」
 呆れつつ、蒼圉はもう一度冷水を頂くため、冷水機に寄りペダルを踏んだ。
「でさ、でさ、田端さんとはどうなったの?」
 寺田の期待するような問いかけに蒼圉は思わず水を噴き出してしまう。どうして瑞希の話しが出てくるんだ? 神田のことなら少しは理解できるが。
 ペダルを離し、蒼圉は怪訝に寺田を睨みつけた。
「どうもなってない。これから先もどうもならない、以上」
「そうなの? てっきり喧嘩やそれに準することが起こったのかなと思ったよ、それか恋人同士になったかもとか」
 寺田は惚けた顔で顎に手を当てて、そんな馬鹿なと言いたげに俯いた。しかしそんな馬鹿な、と思いたいのは蒼圉の方だ。
「どうして俺と瑞希が付き合うんだ! って喧嘩したかどっちかってどういう意味だよ。両極じゃないか!」
「だって京橋くんと田端さんってそういう人だから……」
「せや、あんたらってホンマ単純明快やからな」
 蒼圉はいきなり眞瀬が寺田の背後から顔をのぞかせたので、驚いて一歩下がってしまった。小さいから寺田に隠れて全く見えなかった。
「お京。チビチビうるさい」
「まだ何も言ってない」
「ふん、まあええ。いやー実は最近な、みずきちの調子がおかしいねん、なんちゅうの? さびたチャリンコ?」
「そうそうそんな感じだよね。燃料切れのロボみたい」
 蒼圉にも少しだが二人が言うように、最近瑞希がおかしいと薄々思っていた。
 火曜日に会って以来、全く窓から顔を覗かせないし、電話もメールすらよこさないし、盆踊り委員の連絡も全て神田から受けている。
 それに今まで学校を四日も休めば、瑞希は蒼圉が仮病であっても部屋に訪れ、説教やら、学校のプリントを渡しに校内で起こったあれこれをついでに話してくれた。
 けれど、それすらもなかった。
「お前らは瑞希がなんで調子がおかしいと思ったんだ?」
 寺田は顎から口元に手を動かし、考察しているのかうっすらと目を閉じ、眞瀬はすぐに口を開いた。
「話しかけてもどっか上の空、ちゅうか悩んでるんかな、と。テスト結果が悪いんかなって一瞬思ったけど、そうでもないみたいや。で、行き着くとこ言うたらお京しかおらんやろ?」
「僕もそう思う」
 何て言ってみせた寺田は、元より自分の意見などなかったのだろう。眞瀬が言うと同時に乗っかってみせたところが尚更そう思わせる。
 恐らく眞瀬が寺田に、蒼圉と瑞希の間で何かあったのか訊いて来いと命令し、けれど寺田では心もとないと思い直し、後を着けてきたのだろう。なんというか面倒な奴だ。
「あのな、原因が俺に行き着くところがおかしい。瑞希だって私生活の悩みだとかイロイロあるだろ、バイトとか……それに友達のこととか」
「だからお京や」
 反論を許さないと強く言い放つ瑞希に、蒼圉はたじろぐ。
「何でストレートに俺? それがおかしいって言ってるんだ」
「どこがや? 簡単なことやないか。みずきちはお京のことが好きで、でも伝えられへん。何か複雑な事情があって悩んでんちゃうの」
「それって神田さんのことだったりするのかな?」
 初めから作戦に乗り気じゃなかった寺田が、後悔を匂わせるように呟く。
「ちゃう、それはないな」
 それに対し、眞瀬は絶対と言い切るように、自信満々に声を張った。
「それやったらうちに相談あってもええやろうし、桜子に何かしらのアクションかけるやろ。ほな、お京との間に、人には言えん事情があるって考えるのが普通やろ、どやお京」
「知るか」
 ちらりと見た眞瀬の表情はにやりと笑い、そのくせ妙に鋭い目で見つめるから、蒼圉は胸の内を覗かれているような気がして腕に鳥肌を立てつつ退散することにした。
 これ以上眞瀬と話していると、全て読み取られそうだ。
 校舎に戻る蒼圉に遠慮がちに寺田が近づき、機嫌を取るように問いかける。
「どうしたの? 気分でも悪い」
「うるさい、黙ってろ、暑苦しい」

 教室に戻ると、担任が教卓の上で通知表を渡すため、静かな声で生徒の名を読んでいた。
 すれ違う蒼圉を見るなり、スッと通知表を差し出し「これ」と言って手渡す。寺田も同様に。
 蒼圉は席に戻らず、担任から少し離れた場所で、ゆっくりと通知表を開く。シールをはがすようにゆっくりと。
 そして並ぶ『2』の数字を見て、満面の笑みを浮かべ、軽くガッツポーズ。そんな蒼圉を見て、クラスメイトの男子が声を上げる。
「またオール2か?」
「もちろん!」
 高校一年からずっと成績オール2という蒼圉の偉業に若干沸き立つ教室内。隣で手を叩き「さすが京橋くん」と褒めたたえる寺田。
 それを静めるように担任がぼそっと蒼圉に問いかけた。
「ところでまだ進路予定のプリントを提出していないのは京橋だけだ。その成績じゃ、大学も就職もろくなところに決まらないぞ」
「そんなテンション下がること言わない言わない。ひょっとして先生、俺が三年間オール2の偉業達成を拒もうとしてるんですか? 無理無理」
 お茶を濁す蒼圉に担任は呆れたのか、叱ることもしない。
「とりあえず席に着け。それと帰りに進路予定のプリントだけは出しておけ、いいな」
「わかりまし……でもそのプリントっていつ貰いましたっけ?」
 担任は生徒の名を呼び、通知表を渡す合間に答える。
「みんなにはその場で書いてもらったからな。確か水曜日、京橋が休んだ日だ。だがプリントを渡すように田端に言ったはずだが、忘れていたのか? 田端らしくもないな」
「あっ、そういや貰いました。忘れてたのは俺の方です。すみません」
 嘘をついた蒼圉は、早歩きで自分の机に戻ると中を覗き、プリントがあることを確認し、瑞希の机に向かった。その様子を瑞希は横目で流すように見つめる。
「何よ、プリントのこと? あんたが休むから悪いんじゃない」
「ああ、それもあるけどHR終わったらちょっと時間くれ」
「時間? あんたにやる時間なんて一分一秒もないわよ。神田さんに聞いてないの、放課後、盆踊り委員の集まりがあるって」
 横目で睨む瑞希は、二人だけで会うことを拒んでいるようだけど、蒼圉はそれでも押し通す。
「すぐ終わる。自販機の辺りで待っといてくれ」
「ちょっと――」
 反論しようとする瑞希に対し、蒼圉は聞く耳持たずと背を向け自分の席に戻る。どれだけ文句を言っても、瑞希は最終的に相手の言い分を聞いてしまう性格だと理解している蒼圉は、口をきいてくれるだけ、まだマシだと安心して席に着いた。
 後ろでは寺田がニヤニヤしながら、文庫本ではなく、漫画を読んでいた。

 蒼圉はいつかと同じように、スポーツドリンクを瑞希の頬に押し当てる。
「つべた。…って、そんなことはいいから早く用件すませなよ!」
 アルミ缶を包む冷気がさぞかし不快だったのだろう。左腕で頬を拭いながら、右手で蒼圉から缶をひったくる。河川敷で寝息をたてていた時とのリアクションは天と地の差だ。
「最近調子悪いって眞瀬が言ってたけど、叔母さんが原因か?」
 プシュッっとタブを開け、一口飲んでから瑞希は不機嫌に言い切った。
「関係ない。ってまた明菜? あいつ最近調子乗ってるわね」
「ていうことは俺か?」
 蒼圉はすかさず問う。けれど答えはない。
 梅雨が明けたばかりの気温は高く、まとわりつくような湿気も健在で、晴れているわりに爽快感がない。照らす太陽が腕を焼き、じりじりと静かに焼き目を残そうとする。風が拭けば少しは涼しいだろうと思うが、現実は吹く雰囲気すらない。この止まった会話のように、世界もじっと止まっている。
 鬱陶しい。
「俺がオール2とったから不安なのか?」
「そ、そうよ! あんたったらあたしが教えた甲斐もなく欠点スレスレ取って。そんなので卒業してからどうするつもりよ。このままだと廃業寸前の弱小工場働きになってしまうわよ。労働基準法を無視した労働時間のお陰で腰痛いとかぶつくさ愚痴言いながら夕食食べて、それが原因で奥さんと喧嘩して、家を追い出され、行くあてもないから奥さんの機嫌が治るまで居酒屋でちびちび酒を飲む……って何よその顔」
「いや、この短時間で考えたとはとても思えない、凄まじい想像力だと感心したのだよ」
 蒼圉は財布から小銭を取り出し、自販機に入れる。ボタンを灯す赤と同じ色の炭酸飲料のボタンを押すと、ガタンと炭酸飲料を気遣わない音が自販機の中から聞こえる。
「あたしの想像力を人と同じくくりにしないでよね。とにかく、夏休みはちゃんと勉強しなさいよ」
「わかったからその辺りはちゃんとする。瑞希はどうすんだよ」
「何が?」
「進路」と蒼圉は缶を自販機から取り出しながら訊ねる。
「進学よ、もちろん。具体的なところは決めてないけど、推薦のつもり」
「どこの大学だ?」
「なんでそんなことあんたに言わなきゃダメなのよ、調子乗んな!」
「そこ怒るところ?」と突っ込む隙も与えず、瑞希は缶をゴミ箱に放り投げると校舎に向かって走り去ってしまった。
 やっぱり様子が変だ。もしかして悩みは蒼圉に対してではなく、瑞希自身に対してではないだろうか。蒼圉は缶に口をつけ、ゴクリと飲み込む。炭酸飲料独特の、のど仏に電気を浴びせたような軽くしびれる感覚が伝わる。
 瑞希は推薦をとる為の成績が足りない自分に対しイライラしていた。蒼圉に勉強を教えることで期末の点数が下がり、それが影響して成績も下がる。根源となった蒼圉に、どこの大学行くの? と訊かれれば苛立ちもするだろう。それに推薦校のレベルが高ければ、馬鹿にされるとでも思ったのだろう。
 蒼圉はそんなことをぶつくさ考えながら、瑞希が駆けて行った跡をなぞるようにして歩くことにした。
 
 盆踊り委員の集会場所の多目的室は、机や椅子なんてものは一つもなく、教室二つ分の大きさにカーペットが一面に敷かれただけの部屋だ。そんな部屋で雑談もできず、ちょこんと座り、知った話しを三十分も聞いていれば、体も口も動けと命令してくるのが当然といえる。
 だが、蒼圉は寸前のところでそれを抑え、みんなの前に立ち、盆踊り委員とはどういうものなのかと言う説明をする今年度盆踊り委員長の話しに耳を傾ける、フリをする。
 委員長は瑞希なのだから仕方がない。
 少しでも体を動かしてみれば、間近で見るジャイアントパンダのような目つきで睨まれ、全身麻酔を打たれたような感覚が襲うだろう。そして口を動かせば、映画でよく見るホホジロザメの噛みつきのように鋭く会話を喰い千切るだろう。
 瑞希は苛々している。説明する言葉の端々、さり気ない仕草の所々に棘を感じさせる。例えば語尾が強めとか、プリントのめくり方が雑だとか、そういうところだ。
 それはバラのよう……などとはいえない、そんなキレイではないから。だからサボテン。
 それじゃ、何故瑞希がサボテン化しているのかというと、先ほどの蒼圉の会話も原因だろうけど、それよりももっと目に見える形で蒼圉には理解できた。
 神田が集会に来ていなかったのだ。先生にすぐ呼ぶようにと言われ電話をかけても繋がらいので行方不明。ちゃんと集会に来た瑞希はあなたのせいだと教師に叱られ、ぶつけようのない怒りが多目的室に漂っていた。
 そんな緊迫した室内に、低く震える音が伝わり、みんなが一斉に音の方へ目をやる。
 しばらくすればおさまるだろうと思っていた携帯のヴァイブ音は、止まらず、仕方ないと蒼圉は携帯をポケットから取り出し、恨むべき発信者の名を確認した。
「自宅?」
 携帯の発信者表示は自宅となっている。
 一体どうしたのだろう。昼飯がいるかどうかの確認か? けどそんなことで今までかけて来たことなんてなかったから、それはないだろうし……。
 滅多にかかってこない発信者に蒼圉は驚きながらも通話ボタンを押した。
「蒼圉か? そうなのか!」
 押した瞬間、じいさんの大声が耳に衝突する。老人だからだろうか、大声を出せば繋がりやすいと思っているのだろう。
「なんだよ、どうかしたのか? おつかいか」
 蒼圉は周りを見渡し、気遣いぼそぼそとした小さな声で話す。蒼圉の周りの生徒には気付かれたようだけど、瑞希には気付かれていない。十分だ。
「ばあさんが、ばあさんが」
 息づかいの荒いじいさんから、蒼圉はなにか嫌な出来事を予感した。眞瀬ならこの先の出来事を予想できるのだろうけど、蒼圉にはできるわけがないので、無用に胸が高鳴り、背中にどろりと濃度の高い汗が噴き出る。
「階段から落ちた。病院に連れていきたいが――」
「待ってろじいさん、今から帰る」
 言うなり蒼圉は携帯を閉じ、瑞希の元に駆け寄った。
「どうしたのよ、そんな深刻な眼して。だから始まる前にトイレに行けって行ったじゃない」
「すまん、そういうことだから抜けるわ」
「ちょっと、バカ! そんなことで抜けれるわけないでしょ!」
 引き止めようと瑞希は蒼圉の腕を掴むが蒼圉は振り払う。そして「すまん」とだけ言って、ろくに説明することなく多目的室を後にした。