第8話 マイムマイム
「何で出ないのよコイツは!」
授業が終わり、今宮から蒼圉に盆踊り委員になったことを連絡してくれ、と頼まれたから電話しているのに、全く出る雰囲気がない。サボりのくせに電話くらいでろよ。学校を出てからずっとかけっぱなしなのに……かれこれ二十回は発信している。
これじゃまるでストーカーだ。
瑞希は自分でやっていて少し気持ち悪くなってきた。
もういいや、家に帰ってから連絡すればいいことだ。それに電車も来たことだし。
徒歩約二十分の雨が降る通学路を歩いて帰る気にはなれず、瑞希は電車に乗り込んだ。
たった二駅の距離に電車は必要かと疑問符がわくけど、仕方ない日だってある。こんな大降りの中を歩いて帰れば間違いなく風邪をひく。一二〇円払って風邪を免れるなら安い。
そういえば蒼圉は教室に傘を忘れていた。この大降りの中をもしかすると歩いているかもしれない。サボった日の蒼圉は高確率で街に買い物に行くからだ。
瑞希は二本の傘と窓についた水しぶきを見つめて心配になった。
晴れているのに豪雨なんて変な天気だ。何匹のキツネが嫁入りをするのだろう?
十分足らずの乗車では天気は変わらず、駅を出ると相変わらずの土砂降りだった。本当に憂鬱だ。これからバイトなのにこの雨じゃ行く気が無くなる。客は少ないだろうけど。
帰路に進み、靴に雨がしみ込み、靴下がびちゃびちゃになり始めた辺りで、瑞希は眼を疑った。
正面の交差点で、バカみたいに去年の体育祭に行ったマイムマイムを踊っている男女の高校生がいたからだ。あたりまえだけど次に替わる相手もなく二人で踊り続けている。
土砂降りの晴天と言う奇跡的な光景だからか、水が張る道路を太陽が照らし、反射した二人はガラス細工の像に見えた。踊り自体は下手だけど、神田のくっきりした体のラインが人と言うより彫刻された物のように思え幻想的だ。
傘が邪魔なので、道路の端に止めてある蒼圉の自転車にかけてから、たまらず瑞希は踊り場まで駆け寄り、区切りの良いところで神田の手を取った。
「あれ? あっ……うん。踊りませんか?」
戸惑う神田にかまわず、掴んだ手の甲で、蒼圉の顔を殴った。
「踊るか! こんなクソ雨の中! メルヘン気取ってんじゃないわよ」
「痛い」と顔をさする蒼圉に対し、神田は必死に「わたしじゃない、不可抗力」と言いよる。
言わなくても明らかな不可抗力だ。そんな必死になって弁護する意味があるのだろうか?
「ねっ? 踊りましょう?」
まだ踊るのか! この期に及んでまだ踊ろうとする神田はダンサーなのかバレリーナなのかと問いつめたくなる。
「こんな雨の中踊ってたんじゃ抗生物質が足りないでしょ!」
「こうせいぶっしつ?」
英語をリスニングするように『抗生物質』と呟き首を傾け悩む神田は、女の瑞希でも胸が締め付けられる程の魅力的な表情をしていた。眼を丸くする表情が胸にくる。
「風邪引くってことよ!」
そういうことか、と理解したように神田は何度もうんうんと頷く。
「わたし風邪引かない」
瑞希は肺の中にあるだけの溜め息を吐いて頭をかいた。
やっぱり神田桜子は話が通じない。ここまで通じないのに、なぜ普通の高校に通えているのかわからない。わざとやってるのか? もしそうだとすれば、尚更変人だ。
瑞希は一人マイムマイムを踊る神田の手を取って、踊るのではなく引っ張った。
「わけわかんないこと言ってないで踊るのやめな。神田さんでしょ? あたしの家が近いから着替え貸したげる。だから来な」
誘いではなく強制のように瑞希は言って、神田を睨みつけた。
それでも神田は自分の力で歩こうとしないで、ただ顔を上に向けて口を大きく開いている。
「疲れた。水分補給」
どうやら神田桜子は瑞希の手に余るようだ。
「蒼圉。あんた神田さんに説得してよ」
さっきまで仲良く踊っていた蒼圉ならどうにかなるかもしれないと思い声をかけるが、
「ちょい待て! どこ行くの!」
道の端に止めてあった自転車にまたがり、蒼圉は今にもこぎ出しそうな雰囲気だ。
「あっそうか。傘ありがと」
「じゃない! 神田さん雨飲んだまま放っとくの?」
どうすれば良いか悩んでいるのか、蒼圉は首元を右手でさすって困った顔をした。しばらく「うー」とうなると首元から手を離した。
「いいんじゃね? 風邪ひかないって言ってんだから。それにバカは風邪ひかないって言うだろ」
駄目だ、蒼圉もバカだ。
「バカは風邪ひかないって言うのは、バカだからひかないんじゃなくって、バカは風邪ひいたことにも気付かないってことなのよ、きっと」
って自説を言ってる場合じゃない。
瑞希は水を飲み続ける神田に、瑞希の家で着替えることをどう説得しようか、うなだれながら考えた。
バカに共通することは、食欲、性欲、身体能力が高いところだろうか? 足りないところは、知力、羞恥心、それと……不潔? それは関係ないか。とりあえず一番一般的な食欲から交渉を試みることにしよう。
「神田さんって食べ物何が好き?」
雨水を喉に伝わせて、気怠そうな声で言った。
「雨水」
だから邪魔するなとでも言いたいのだろう。
雨水が好きな女子高生なんて聞いたことがないし聞きたくもなかった。そんなやつの脳内をどう理解しろと言うのだろうか。
……確か神田はモデルをしていた。なら服を着る……それも駄目だろう。初めに服を着替えようと声をかけてほとんど反応しなかったのだから。
……ならここは逆転の発想で驚かせると言うのはどうだろうか? 子供でも、言うことを訊かなければ脅せば良いことで、脳内幼児化している女子高生に有効かもしれない。
瑞希は神妙な面持ちで神田に声をかけた。
「神田さん……晴れてるのに雨振ってるなんて変じゃない」
この話題に興味を示したのだろう、神田は勢いよく瑞希の方に顔を向け、眼を輝かせた。
「わたし思ってた。ねね、どうしてどうして?」
「それはキツネが嫁入りするのよ。でも普通のキツネじゃないの。半妖化したキツネでね、見ると自分もキツネになってしまうわ」
「あああ、あ雨水飲めない?」
いや、それは飲めるだろ。と、突っ込みたかったけど、ここでツッコミを入れてしまえば、折角上手くいきかけているのに失敗してしまうかもしれない。
「そうよ。雨水を飲むのはキツネには無理だからね」
「それにだ、神田」
ここでバカが口を挟んできた。瑞希は思わず睨みつけてしまう。
また余計なバカなことを言って失敗に導いてしまうんじゃないか心配だから。
瑞希の視線にかまわず蒼圉は続ける。
「これだけの雨だ。この街全てのキツネが嫁入りしてるかもよ。そうなれば町中大パレード、どんちゃん騒ぎの百鬼昼行。な? やばいだろ」
神田は恐ろしくなったのか瑞希の体にしがみついた。体が震えているのは寒さのせいではないだろう。
ちょっとやりすぎたかな? と反省しつつも瑞希は手を引き、
「あたしの家で非難しようか。それだと安心」
瑞希が言うと、神田は憂いの表情で見つめ、瞳には涙を溜めていた。
「この上なき幸せ」
更に強く抱きしめる神田。瑞希は胸に触れてしまうと思いカバンでガードを固めた。他の女はどうか知らないけど、瑞希は例え女同士でも体の接触はなるべく避けたいタイプで、それが胸なら尚更嫌だ。理由は……恥ずかしいからとしかいえない。
「ちょっと離れて。それじゃキツネに見つかるでしょ!」
「それ嫌、早く行こ」
水たまりを気にせず、行き先を気にせず、ただ神田は蒼圉のいる方向に向かって走っていった。そのうち蒼圉を追い抜き、水しぶきを上げながら走っていく姿は、とても怪現象に恐怖している風ではなく、どちらかというと雨具を買ってもらった幼児が、悪天候の中はしゃぐ様に似ている。
走りいく神田をただ二人はボーッと見つめ、脳内はどうなっているのだろうと真剣に心配になった。
「ちょい蒼圉。あんた見てないで神田さん連れて来て。あのままじゃ県境を越えるわ」
「確かに。じゃ瑞希は先行って。チャリだしすぐ追いつくだろうから」
瑞希が返事する間もなく蒼圉はペダルを漕ぎ出し、良い加速をして神田に向かって行った。
蒼圉の眼を見ると、瑞希と話している時よりもよっぽど幸せそうで輝いているように思えた。
「がんばんなよ」
雨音にまぎれるような小さい声で、瑞希は呟いた。
とてもじゃないけど腹の底から声を出しては言えなかった。今の瑞希にはこれが限界だ。
瑞希は道路の角を曲がり、蒼圉が神田を追いかける姿を視線から外した。
「何で出ないのよコイツは!」
授業が終わり、今宮から蒼圉に盆踊り委員になったことを連絡してくれ、と頼まれたから電話しているのに、全く出る雰囲気がない。サボりのくせに電話くらいでろよ。学校を出てからずっとかけっぱなしなのに……かれこれ二十回は発信している。
これじゃまるでストーカーだ。
瑞希は自分でやっていて少し気持ち悪くなってきた。
もういいや、家に帰ってから連絡すればいいことだ。それに電車も来たことだし。
徒歩約二十分の雨が降る通学路を歩いて帰る気にはなれず、瑞希は電車に乗り込んだ。
たった二駅の距離に電車は必要かと疑問符がわくけど、仕方ない日だってある。こんな大降りの中を歩いて帰れば間違いなく風邪をひく。一二〇円払って風邪を免れるなら安い。
そういえば蒼圉は教室に傘を忘れていた。この大降りの中をもしかすると歩いているかもしれない。サボった日の蒼圉は高確率で街に買い物に行くからだ。
瑞希は二本の傘と窓についた水しぶきを見つめて心配になった。
晴れているのに豪雨なんて変な天気だ。何匹のキツネが嫁入りをするのだろう?
十分足らずの乗車では天気は変わらず、駅を出ると相変わらずの土砂降りだった。本当に憂鬱だ。これからバイトなのにこの雨じゃ行く気が無くなる。客は少ないだろうけど。
帰路に進み、靴に雨がしみ込み、靴下がびちゃびちゃになり始めた辺りで、瑞希は眼を疑った。
正面の交差点で、バカみたいに去年の体育祭に行ったマイムマイムを踊っている男女の高校生がいたからだ。あたりまえだけど次に替わる相手もなく二人で踊り続けている。
土砂降りの晴天と言う奇跡的な光景だからか、水が張る道路を太陽が照らし、反射した二人はガラス細工の像に見えた。踊り自体は下手だけど、神田のくっきりした体のラインが人と言うより彫刻された物のように思え幻想的だ。
傘が邪魔なので、道路の端に止めてある蒼圉の自転車にかけてから、たまらず瑞希は踊り場まで駆け寄り、区切りの良いところで神田の手を取った。
「あれ? あっ……うん。踊りませんか?」
戸惑う神田にかまわず、掴んだ手の甲で、蒼圉の顔を殴った。
「踊るか! こんなクソ雨の中! メルヘン気取ってんじゃないわよ」
「痛い」と顔をさする蒼圉に対し、神田は必死に「わたしじゃない、不可抗力」と言いよる。
言わなくても明らかな不可抗力だ。そんな必死になって弁護する意味があるのだろうか?
「ねっ? 踊りましょう?」
まだ踊るのか! この期に及んでまだ踊ろうとする神田はダンサーなのかバレリーナなのかと問いつめたくなる。
「こんな雨の中踊ってたんじゃ抗生物質が足りないでしょ!」
「こうせいぶっしつ?」
英語をリスニングするように『抗生物質』と呟き首を傾け悩む神田は、女の瑞希でも胸が締め付けられる程の魅力的な表情をしていた。眼を丸くする表情が胸にくる。
「風邪引くってことよ!」
そういうことか、と理解したように神田は何度もうんうんと頷く。
「わたし風邪引かない」
瑞希は肺の中にあるだけの溜め息を吐いて頭をかいた。
やっぱり神田桜子は話が通じない。ここまで通じないのに、なぜ普通の高校に通えているのかわからない。わざとやってるのか? もしそうだとすれば、尚更変人だ。
瑞希は一人マイムマイムを踊る神田の手を取って、踊るのではなく引っ張った。
「わけわかんないこと言ってないで踊るのやめな。神田さんでしょ? あたしの家が近いから着替え貸したげる。だから来な」
誘いではなく強制のように瑞希は言って、神田を睨みつけた。
それでも神田は自分の力で歩こうとしないで、ただ顔を上に向けて口を大きく開いている。
「疲れた。水分補給」
どうやら神田桜子は瑞希の手に余るようだ。
「蒼圉。あんた神田さんに説得してよ」
さっきまで仲良く踊っていた蒼圉ならどうにかなるかもしれないと思い声をかけるが、
「ちょい待て! どこ行くの!」
道の端に止めてあった自転車にまたがり、蒼圉は今にもこぎ出しそうな雰囲気だ。
「あっそうか。傘ありがと」
「じゃない! 神田さん雨飲んだまま放っとくの?」
どうすれば良いか悩んでいるのか、蒼圉は首元を右手でさすって困った顔をした。しばらく「うー」とうなると首元から手を離した。
「いいんじゃね? 風邪ひかないって言ってんだから。それにバカは風邪ひかないって言うだろ」
駄目だ、蒼圉もバカだ。
「バカは風邪ひかないって言うのは、バカだからひかないんじゃなくって、バカは風邪ひいたことにも気付かないってことなのよ、きっと」
って自説を言ってる場合じゃない。
瑞希は水を飲み続ける神田に、瑞希の家で着替えることをどう説得しようか、うなだれながら考えた。
バカに共通することは、食欲、性欲、身体能力が高いところだろうか? 足りないところは、知力、羞恥心、それと……不潔? それは関係ないか。とりあえず一番一般的な食欲から交渉を試みることにしよう。
「神田さんって食べ物何が好き?」
雨水を喉に伝わせて、気怠そうな声で言った。
「雨水」
だから邪魔するなとでも言いたいのだろう。
雨水が好きな女子高生なんて聞いたことがないし聞きたくもなかった。そんなやつの脳内をどう理解しろと言うのだろうか。
……確か神田はモデルをしていた。なら服を着る……それも駄目だろう。初めに服を着替えようと声をかけてほとんど反応しなかったのだから。
……ならここは逆転の発想で驚かせると言うのはどうだろうか? 子供でも、言うことを訊かなければ脅せば良いことで、脳内幼児化している女子高生に有効かもしれない。
瑞希は神妙な面持ちで神田に声をかけた。
「神田さん……晴れてるのに雨振ってるなんて変じゃない」
この話題に興味を示したのだろう、神田は勢いよく瑞希の方に顔を向け、眼を輝かせた。
「わたし思ってた。ねね、どうしてどうして?」
「それはキツネが嫁入りするのよ。でも普通のキツネじゃないの。半妖化したキツネでね、見ると自分もキツネになってしまうわ」
「あああ、あ雨水飲めない?」
いや、それは飲めるだろ。と、突っ込みたかったけど、ここでツッコミを入れてしまえば、折角上手くいきかけているのに失敗してしまうかもしれない。
「そうよ。雨水を飲むのはキツネには無理だからね」
「それにだ、神田」
ここでバカが口を挟んできた。瑞希は思わず睨みつけてしまう。
また余計なバカなことを言って失敗に導いてしまうんじゃないか心配だから。
瑞希の視線にかまわず蒼圉は続ける。
「これだけの雨だ。この街全てのキツネが嫁入りしてるかもよ。そうなれば町中大パレード、どんちゃん騒ぎの百鬼昼行。な? やばいだろ」
神田は恐ろしくなったのか瑞希の体にしがみついた。体が震えているのは寒さのせいではないだろう。
ちょっとやりすぎたかな? と反省しつつも瑞希は手を引き、
「あたしの家で非難しようか。それだと安心」
瑞希が言うと、神田は憂いの表情で見つめ、瞳には涙を溜めていた。
「この上なき幸せ」
更に強く抱きしめる神田。瑞希は胸に触れてしまうと思いカバンでガードを固めた。他の女はどうか知らないけど、瑞希は例え女同士でも体の接触はなるべく避けたいタイプで、それが胸なら尚更嫌だ。理由は……恥ずかしいからとしかいえない。
「ちょっと離れて。それじゃキツネに見つかるでしょ!」
「それ嫌、早く行こ」
水たまりを気にせず、行き先を気にせず、ただ神田は蒼圉のいる方向に向かって走っていった。そのうち蒼圉を追い抜き、水しぶきを上げながら走っていく姿は、とても怪現象に恐怖している風ではなく、どちらかというと雨具を買ってもらった幼児が、悪天候の中はしゃぐ様に似ている。
走りいく神田をただ二人はボーッと見つめ、脳内はどうなっているのだろうと真剣に心配になった。
「ちょい蒼圉。あんた見てないで神田さん連れて来て。あのままじゃ県境を越えるわ」
「確かに。じゃ瑞希は先行って。チャリだしすぐ追いつくだろうから」
瑞希が返事する間もなく蒼圉はペダルを漕ぎ出し、良い加速をして神田に向かって行った。
蒼圉の眼を見ると、瑞希と話している時よりもよっぽど幸せそうで輝いているように思えた。
「がんばんなよ」
雨音にまぎれるような小さい声で、瑞希は呟いた。
とてもじゃないけど腹の底から声を出しては言えなかった。今の瑞希にはこれが限界だ。
瑞希は道路の角を曲がり、蒼圉が神田を追いかける姿を視線から外した。