空が暗い間 第34話
初め、私はそれが何なのかわからなかった。
目を開いても真っ暗で、体が何かに密着している。そこだけが妙に暖かい。不思議な気分。夢じゃないかと錯覚してしまうくらい心地いいところ。脈をうつ音が私からじゃなく、耳元から聞こえる。振動が伝わる。
これは一体何だろうと思い、顔を上げて確認した瞬間、私は反射でつい押してしまった。当たり前だけどそれは私の体から離れる。
「白井くん?」
それが白井くんだとわかった瞬間、私の体はカイロのように徐々に熱くなっていく。
白井くんはそんな私を一瞥すると、味気のない笑顔を見せて、私のコートのポケットにMDを入れると、羽田姉に渡しといて、と今までは考えられないくらい優しい声で言って、自転車にまたがり、小さく手を振って去って行った。
私はそれをただ見つめるだけしか出来なかった。
あんなすぐにも砕けそうな、それでいて砕けた笑顔を見て、何か言えるわけがなかった。
白井くんの姿が見えなくなると、急に体が冷えたように感じて、私はアパートの自分の部屋に向かった。
口元を押さえ、火照った顔でドアノブに手をかける。口元を押さえたのは少しでも顔を隠すためだ。余りにも熱すぎる。
ドアを引くと、仁王立ちで私をにらみつける寝間着姿の美那が出迎えてくれた。一体どうしたのだろう? そんな怒った顔で眉を寄せて、私何かしたかな?
「あんたどこ行ってたのよ? まさか白井に呼び出されてたんじゃないでしょうね?」
何でわかったんだろう、図星すぎる。でもここは正直に言っていい空気じゃないような気がする。私はとっさに思いついた嘘をつく。
「いやだなー。そんなわけないじゃん。あのさ…目が覚めちゃってさ、寝るに寝付けなくってコンビニでも行こうかなと」
絶対に怪しまれると思ったけれど、美那は納得した顔をしてあごに手を当てた。
「だからあんた朝早くからごそごそしてごにょごにょ言ってたのね。んったく。おかげで目が覚めちゃったじゃない」
あれ、私そんなことしてたかな? でも考えてみると何でいつも起きるくらいの時間に外出してたのだろう? 白井君と会っていた理由も何だか曖昧だ。約束したようなしていないような、そんな感じ。
すれ違い様に、さっき白井君から受け取ったMDを、ポストに美那宛てで入ってたよ、と嘘をついて渡し部屋に戻った。
何だかよくわからないまま抱きしめられ火照った体も、少しはマシになってきたかな? 私はベッドに寝転がってまだ明け始めた空を眺めた。
それにしてもさっきから心のどこかに虚無感がある。白井くんに抱擁されたのだから満たされるのが普通なのにどうしてだろう? 別れ際の彼の顔がそうさせるのか、それとも……。
目線を横に移動させて、学習机を見ると、置いた覚えのないカセットテープが置かれ、その横に聞いてくださいと言ってるようにウォークマンが置かれていた。
こんな古いのどこにあったんだろう? 確かこのウォークマン、中学校の制服を買ったとき、おまけでもらった物だ……。不気味に感じながらも私は再生ボタンを押した。
すると音楽ではなくノイズと一緒に声が聞こえてきた。
「初めまして羽田恵那。でも初めましては可笑しいね、ごめんなさい」
どこか聞いたことのあるような声。……それにこの話し方、私とそっくり。
「お願いがあります。きっと私には出来ないことだから。それは時間がないと言う理由もあるけど、やっぱり人間同士じゃないと無理だと思うから。ユウを守ってあげて、今から恐らくあの子は酷いことをすると思うの。きっとそれは私と別れた後で行われると思う。だから私には救えない。でもきっと羽田恵那なら大丈夫——」
私の耳についていたイアホンは引きちぎるように取られた。
「何すんのよ!」
怒りをぶつけるように振り向いたけれど、私は一瞬で縮こまった。それはすごく美那の顔が恐ろしかったからだ。今から腕十字を極めて、そのまま折ってしまいそうなくらいに。
「あんたやっぱり白井と会ったでしょ?」
声を出すのも恐ろしいので、私は必死に首を横に振る。すると美那は溜め息を吐いて学習机に、さっき白井くんから受け取ったMDを叩き付ける様に置いた。
「ポストにこれあったんでしょ? じゃあ、新聞とか持って来てないわけ?」
「め、めんどうだから」
私の返答を無視して、美那は災害者のような絶望的な顔をして、駆け足で部屋を出て行った。その顔に違和感を覚えたことと、このテープのせいだろうか、私も慌てて美那を追いかけた。あのウォークマンとMDを持って。
家から出ると、階段を勢いよく下りる音が聞こえた。私は足のギアをトップにする。
階段を下り終えると、美那はアパートの駐車場に向かっていた。私は思い切り手と足を振って向かう。
ギリギリ発車までに間に合い、私はエンジンがかかった瞬間に助手席に乗り込んだ。
「あんた何してんの!」
「美那こそどこ行くの!」
きっと何か隠しているはずだ。最近何故か白井くんのことを聞くし、白井くんから美那宛に渡されたMD、それに憤怒した美那、何よりもさっきのカセット。白井くんが何かしでかすとか言ってたけどどういうことだろう?
「どうやら降りる気はなさそうね。力づくでも降ろしたいけど今は時間がないわ。着いて来てもいいけど車から出ちゃだめよ」
私が頷くと、美那は思い切りアクセルを踏み、ハンドルを切った。
「白井くんが何かしたの?」
美那は正面だけ見て、強張った顔をしている。一秒でも早く目的地に着きたいという気持ちが伝わってくる。
「するのよ、きっとね」
何をするのか気になりながらも、私はさっきのMDをコンポに挿入した。
スピーカーから聴こえてきたのは、陰鬱なコーラスだった。私はその声を聞いて鳥肌を抑えられなかった。そのコーラスはイントロらしく、メインだと思われる、低く重い女性の声が聞こえてきた。こっちもどこか悲しそうな声だ。外国語なので聞き取れないけどバラードみたいだ。いや、バラードよりも深い悲しみが伝わってくる。
私がその歌に集中していると美那が声をかけてきた。
「その歌はね、暗い日曜日って言って、その歌を聴いた人は自殺すると言われているの」
「そんな歌をどうして白井くんは?」
「あいつ復讐する気よ。きっと」
そう言うと美那は今から三年前に起きた、白井くんのお姉さんの話を始めた。私はそれを嘘だと信じたかったけれど、その声の重さに信じる以外の選択肢が浮かばなかった。
美那に対して色々な軽蔑の言葉が浮かぶけれど、今はそれどころじゃない。
「白井は多分、私が通った高校にいると思う」
「何でわかるの?」
「……私達は確かに美那をいじめたわ。でもそれは弾を詰めただけで、引き金を引いたわけじゃないと思うの。だっていじめは自殺する前からされてたんだから」
「じゃあ、もしかして引き金を引いたのは合唱部の顧問?……」
「でしょうね。あのメンバー発表の次の日にあの子自殺したんだもの。だからといって私達が悪くないとは思わないわ。引き金は弾がなければ意味がないもの」
「白井くんはその顧問を殺そうとしてるの?」
美那は更に強く、深くアクセルを踏み込むことで肯定した。
もしかしてこのカセットは美那と一緒になって明里さんをいじめていた人からの警告なのかもしれない。私は確認する為に美那の左耳にイヤホンを付け、再生ボタンを押した。
「これ誰?」
「バッカじゃないの? こんな時にふざけてる場合じゃないでしょ」
「だから誰かって聞いて——」
「あんたでしょうが!」
………?
この声が私? 言われてみればそんな気もするけど、こんな変な声なのかな私って。それにこんなの録った覚えなんて……ない気がするのかな?
何でこんなに曖昧なのだろう?
私は気になり、美那の耳に付けたイアホンを外して、自分の耳につけた。モノラルで片方からしか音は聞こえてこないけど、今は集中したいから、音が鳴ってない左耳にもイヤホンをつけた。
「あなたには色々教わった。本当にありがたく思ってる」
本当だ。言われてみると絶対私の声。でも私は何で他人に話すように自分のことを話してるの?
「……私にとってはすごく好都合だったけれど、やっぱり羽田恵那の生き方に私は賛同できないよ。色々我慢して、感情を溜め込んで、無理して笑って、きっとそれじゃいつか壊れてしまう。それに楽しくないでしょ? あなたはもっと自分らしく生きるべきだと思う」
何で私は私に説教をしているのだろう。それにこんなわかりきったことを……。
「羽田恵那とユウは繋がってるはず。だから私は羽田恵那にならユウを止めれるはずだと思うの。私には無理なのまがい物だから……。だからお願い……」
そこでテープは切れた。
この声は本当に私なのかな? 確かに声や話し方は全く一緒だと思う。けど考え方が全く違う。私はこんな……純粋無垢じゃない。
私はすごく怖くなって、この先白井くんがとてつもないことをやらかすんじゃないかと言う気がして、気が可笑しくなりそうで、不安であの人……白井くんをよく知ってそうだったアキナさんに電話をかけた。
あの人は朝型よりも夜型かもしれないと感覚的に思ったけれど、電話はワンコールで出た。
「アキナさん? アキナさんの言った通り、白井くんやっぱり危険っぽいです。あの、助けて下さい」
「まかしとき、で、うちはどこに行ったいいの?」
確か美那の高校って、
「東岸和田高校です」
「まかされた。あんたもあんたでがんばりや」
それだけ言って電話を切るアキナさんは、まるでこうなることをわかっていたみたいな用意周到さで、全く慌てた様子がなく、私を冷静にさせてくれるほどの落ち着きぶりだった。
私は電話から集中を解いて、ガラス越しだけど辺りを見渡した。もしかするとまだ白井くんが自転車で向かっている途中かもしれない。東岸和田高校は私の家から約二〇分、自転車でもその距離なら余り差がない。となると間に合わないかもしれない。
私はこのことが思い過ごしであるようにと手を組み祈った。
不思議と学校に近づけば近づくほど、遠く感じるもので、時間が止まっているようにさえ思えた。心の弱い部分が着かなければいいと叫ぶ。私はそれを必死にこらえて辺りを見渡す。時刻は七時一〇分。もう白井くんが学校に着いていてもおかしくない頃合いだ。
けれど車は止まる。信号だから仕方がないけれど、こんなときに交通ルールを守っている場合じゃないだろう、と運転手である美那を責めるわけにいかない、それに信号を無視すれば、衝突事故が起こる可能性だってある。でも今なら。
私は美那との約束を破って車を飛び出し、左右を確認してから交差点を全速力で走り抜けた。もう学校は見えている。あと二分もかからないと思う。いや、全速力なら一分だ!
最近なまってきた体に心で鞭をいれながら私は走った。間に合わなければ白井くんのこれからが無くなってしまうかもしれない、今までが無駄になるかもしれない。
もう会えなくなるかもしれない。
公園を抜けると、やっと学校の校門が見えた。
その校門の前には白井くんが立っていた。よかった間に合った、と思ったのはほんの一瞬で、白井くんの右手に握られた物を見て私は思わず足を止めた。
「ほ、包丁?」
間違いない、見間違えるはずがない、いつも見ている物だから。
そんな物を持ったまま校門に立ちすくす白井くんは、もしかするともう頭がおかしくなってしまってるのかもしれない。声をかけても届かないかもしれない。
でもここで止まっていたらもう一生……。
再び足を踏み出し、私は白井くんの名前を呼んだ。喉から血が出るくらい。それは呼ぶと言うよりは絶叫に近いのかもしれない。
「シライクン!」
その声が届いたのか、白井くんは顔を緩ませ……
自分の首を斬り付けた。
噴き出す血、膝から力なく倒れる白井くん、わずかな希望が崩れ落ちた。
立ち止まりそうになる足を白井くんとの思い出を、ゼンマイを巻くように思い出しながら、少しずつ動かした。
そして赤く染まった白井くんを見つめ、膝をつき、コートを脱ぎ、白井くんの血を拭った。けれど溢れ出るばかりで止まる予感がしない。
「白井くん白井くん白井くん白井くん白井くん………」
どうすることも出来ずに私は彼の名を呼んだ。
私はわかっていた。彼が人を殺せるはずがないと、白井優はどこまでも自分を傷つける人間だと。
私は白井くんを本気で愛した。だからこうなったのかもしれない。私の目の前で人が死ぬ時は私ががんばった時だ。やっぱり普通でいなければ、普通に生きなければ。
泣くことも出来ず、ただ彼の名を呼び続けた。
カセットテープの私。ごめんなさい、どうやら白井くんを救えなかったようです。
初め、私はそれが何なのかわからなかった。
目を開いても真っ暗で、体が何かに密着している。そこだけが妙に暖かい。不思議な気分。夢じゃないかと錯覚してしまうくらい心地いいところ。脈をうつ音が私からじゃなく、耳元から聞こえる。振動が伝わる。
これは一体何だろうと思い、顔を上げて確認した瞬間、私は反射でつい押してしまった。当たり前だけどそれは私の体から離れる。
「白井くん?」
それが白井くんだとわかった瞬間、私の体はカイロのように徐々に熱くなっていく。
白井くんはそんな私を一瞥すると、味気のない笑顔を見せて、私のコートのポケットにMDを入れると、羽田姉に渡しといて、と今までは考えられないくらい優しい声で言って、自転車にまたがり、小さく手を振って去って行った。
私はそれをただ見つめるだけしか出来なかった。
あんなすぐにも砕けそうな、それでいて砕けた笑顔を見て、何か言えるわけがなかった。
白井くんの姿が見えなくなると、急に体が冷えたように感じて、私はアパートの自分の部屋に向かった。
口元を押さえ、火照った顔でドアノブに手をかける。口元を押さえたのは少しでも顔を隠すためだ。余りにも熱すぎる。
ドアを引くと、仁王立ちで私をにらみつける寝間着姿の美那が出迎えてくれた。一体どうしたのだろう? そんな怒った顔で眉を寄せて、私何かしたかな?
「あんたどこ行ってたのよ? まさか白井に呼び出されてたんじゃないでしょうね?」
何でわかったんだろう、図星すぎる。でもここは正直に言っていい空気じゃないような気がする。私はとっさに思いついた嘘をつく。
「いやだなー。そんなわけないじゃん。あのさ…目が覚めちゃってさ、寝るに寝付けなくってコンビニでも行こうかなと」
絶対に怪しまれると思ったけれど、美那は納得した顔をしてあごに手を当てた。
「だからあんた朝早くからごそごそしてごにょごにょ言ってたのね。んったく。おかげで目が覚めちゃったじゃない」
あれ、私そんなことしてたかな? でも考えてみると何でいつも起きるくらいの時間に外出してたのだろう? 白井君と会っていた理由も何だか曖昧だ。約束したようなしていないような、そんな感じ。
すれ違い様に、さっき白井君から受け取ったMDを、ポストに美那宛てで入ってたよ、と嘘をついて渡し部屋に戻った。
何だかよくわからないまま抱きしめられ火照った体も、少しはマシになってきたかな? 私はベッドに寝転がってまだ明け始めた空を眺めた。
それにしてもさっきから心のどこかに虚無感がある。白井くんに抱擁されたのだから満たされるのが普通なのにどうしてだろう? 別れ際の彼の顔がそうさせるのか、それとも……。
目線を横に移動させて、学習机を見ると、置いた覚えのないカセットテープが置かれ、その横に聞いてくださいと言ってるようにウォークマンが置かれていた。
こんな古いのどこにあったんだろう? 確かこのウォークマン、中学校の制服を買ったとき、おまけでもらった物だ……。不気味に感じながらも私は再生ボタンを押した。
すると音楽ではなくノイズと一緒に声が聞こえてきた。
「初めまして羽田恵那。でも初めましては可笑しいね、ごめんなさい」
どこか聞いたことのあるような声。……それにこの話し方、私とそっくり。
「お願いがあります。きっと私には出来ないことだから。それは時間がないと言う理由もあるけど、やっぱり人間同士じゃないと無理だと思うから。ユウを守ってあげて、今から恐らくあの子は酷いことをすると思うの。きっとそれは私と別れた後で行われると思う。だから私には救えない。でもきっと羽田恵那なら大丈夫——」
私の耳についていたイアホンは引きちぎるように取られた。
「何すんのよ!」
怒りをぶつけるように振り向いたけれど、私は一瞬で縮こまった。それはすごく美那の顔が恐ろしかったからだ。今から腕十字を極めて、そのまま折ってしまいそうなくらいに。
「あんたやっぱり白井と会ったでしょ?」
声を出すのも恐ろしいので、私は必死に首を横に振る。すると美那は溜め息を吐いて学習机に、さっき白井くんから受け取ったMDを叩き付ける様に置いた。
「ポストにこれあったんでしょ? じゃあ、新聞とか持って来てないわけ?」
「め、めんどうだから」
私の返答を無視して、美那は災害者のような絶望的な顔をして、駆け足で部屋を出て行った。その顔に違和感を覚えたことと、このテープのせいだろうか、私も慌てて美那を追いかけた。あのウォークマンとMDを持って。
家から出ると、階段を勢いよく下りる音が聞こえた。私は足のギアをトップにする。
階段を下り終えると、美那はアパートの駐車場に向かっていた。私は思い切り手と足を振って向かう。
ギリギリ発車までに間に合い、私はエンジンがかかった瞬間に助手席に乗り込んだ。
「あんた何してんの!」
「美那こそどこ行くの!」
きっと何か隠しているはずだ。最近何故か白井くんのことを聞くし、白井くんから美那宛に渡されたMD、それに憤怒した美那、何よりもさっきのカセット。白井くんが何かしでかすとか言ってたけどどういうことだろう?
「どうやら降りる気はなさそうね。力づくでも降ろしたいけど今は時間がないわ。着いて来てもいいけど車から出ちゃだめよ」
私が頷くと、美那は思い切りアクセルを踏み、ハンドルを切った。
「白井くんが何かしたの?」
美那は正面だけ見て、強張った顔をしている。一秒でも早く目的地に着きたいという気持ちが伝わってくる。
「するのよ、きっとね」
何をするのか気になりながらも、私はさっきのMDをコンポに挿入した。
スピーカーから聴こえてきたのは、陰鬱なコーラスだった。私はその声を聞いて鳥肌を抑えられなかった。そのコーラスはイントロらしく、メインだと思われる、低く重い女性の声が聞こえてきた。こっちもどこか悲しそうな声だ。外国語なので聞き取れないけどバラードみたいだ。いや、バラードよりも深い悲しみが伝わってくる。
私がその歌に集中していると美那が声をかけてきた。
「その歌はね、暗い日曜日って言って、その歌を聴いた人は自殺すると言われているの」
「そんな歌をどうして白井くんは?」
「あいつ復讐する気よ。きっと」
そう言うと美那は今から三年前に起きた、白井くんのお姉さんの話を始めた。私はそれを嘘だと信じたかったけれど、その声の重さに信じる以外の選択肢が浮かばなかった。
美那に対して色々な軽蔑の言葉が浮かぶけれど、今はそれどころじゃない。
「白井は多分、私が通った高校にいると思う」
「何でわかるの?」
「……私達は確かに美那をいじめたわ。でもそれは弾を詰めただけで、引き金を引いたわけじゃないと思うの。だっていじめは自殺する前からされてたんだから」
「じゃあ、もしかして引き金を引いたのは合唱部の顧問?……」
「でしょうね。あのメンバー発表の次の日にあの子自殺したんだもの。だからといって私達が悪くないとは思わないわ。引き金は弾がなければ意味がないもの」
「白井くんはその顧問を殺そうとしてるの?」
美那は更に強く、深くアクセルを踏み込むことで肯定した。
もしかしてこのカセットは美那と一緒になって明里さんをいじめていた人からの警告なのかもしれない。私は確認する為に美那の左耳にイヤホンを付け、再生ボタンを押した。
「これ誰?」
「バッカじゃないの? こんな時にふざけてる場合じゃないでしょ」
「だから誰かって聞いて——」
「あんたでしょうが!」
………?
この声が私? 言われてみればそんな気もするけど、こんな変な声なのかな私って。それにこんなの録った覚えなんて……ない気がするのかな?
何でこんなに曖昧なのだろう?
私は気になり、美那の耳に付けたイアホンを外して、自分の耳につけた。モノラルで片方からしか音は聞こえてこないけど、今は集中したいから、音が鳴ってない左耳にもイヤホンをつけた。
「あなたには色々教わった。本当にありがたく思ってる」
本当だ。言われてみると絶対私の声。でも私は何で他人に話すように自分のことを話してるの?
「……私にとってはすごく好都合だったけれど、やっぱり羽田恵那の生き方に私は賛同できないよ。色々我慢して、感情を溜め込んで、無理して笑って、きっとそれじゃいつか壊れてしまう。それに楽しくないでしょ? あなたはもっと自分らしく生きるべきだと思う」
何で私は私に説教をしているのだろう。それにこんなわかりきったことを……。
「羽田恵那とユウは繋がってるはず。だから私は羽田恵那にならユウを止めれるはずだと思うの。私には無理なのまがい物だから……。だからお願い……」
そこでテープは切れた。
この声は本当に私なのかな? 確かに声や話し方は全く一緒だと思う。けど考え方が全く違う。私はこんな……純粋無垢じゃない。
私はすごく怖くなって、この先白井くんがとてつもないことをやらかすんじゃないかと言う気がして、気が可笑しくなりそうで、不安であの人……白井くんをよく知ってそうだったアキナさんに電話をかけた。
あの人は朝型よりも夜型かもしれないと感覚的に思ったけれど、電話はワンコールで出た。
「アキナさん? アキナさんの言った通り、白井くんやっぱり危険っぽいです。あの、助けて下さい」
「まかしとき、で、うちはどこに行ったいいの?」
確か美那の高校って、
「東岸和田高校です」
「まかされた。あんたもあんたでがんばりや」
それだけ言って電話を切るアキナさんは、まるでこうなることをわかっていたみたいな用意周到さで、全く慌てた様子がなく、私を冷静にさせてくれるほどの落ち着きぶりだった。
私は電話から集中を解いて、ガラス越しだけど辺りを見渡した。もしかするとまだ白井くんが自転車で向かっている途中かもしれない。東岸和田高校は私の家から約二〇分、自転車でもその距離なら余り差がない。となると間に合わないかもしれない。
私はこのことが思い過ごしであるようにと手を組み祈った。
不思議と学校に近づけば近づくほど、遠く感じるもので、時間が止まっているようにさえ思えた。心の弱い部分が着かなければいいと叫ぶ。私はそれを必死にこらえて辺りを見渡す。時刻は七時一〇分。もう白井くんが学校に着いていてもおかしくない頃合いだ。
けれど車は止まる。信号だから仕方がないけれど、こんなときに交通ルールを守っている場合じゃないだろう、と運転手である美那を責めるわけにいかない、それに信号を無視すれば、衝突事故が起こる可能性だってある。でも今なら。
私は美那との約束を破って車を飛び出し、左右を確認してから交差点を全速力で走り抜けた。もう学校は見えている。あと二分もかからないと思う。いや、全速力なら一分だ!
最近なまってきた体に心で鞭をいれながら私は走った。間に合わなければ白井くんのこれからが無くなってしまうかもしれない、今までが無駄になるかもしれない。
もう会えなくなるかもしれない。
公園を抜けると、やっと学校の校門が見えた。
その校門の前には白井くんが立っていた。よかった間に合った、と思ったのはほんの一瞬で、白井くんの右手に握られた物を見て私は思わず足を止めた。
「ほ、包丁?」
間違いない、見間違えるはずがない、いつも見ている物だから。
そんな物を持ったまま校門に立ちすくす白井くんは、もしかするともう頭がおかしくなってしまってるのかもしれない。声をかけても届かないかもしれない。
でもここで止まっていたらもう一生……。
再び足を踏み出し、私は白井くんの名前を呼んだ。喉から血が出るくらい。それは呼ぶと言うよりは絶叫に近いのかもしれない。
「シライクン!」
その声が届いたのか、白井くんは顔を緩ませ……
自分の首を斬り付けた。
噴き出す血、膝から力なく倒れる白井くん、わずかな希望が崩れ落ちた。
立ち止まりそうになる足を白井くんとの思い出を、ゼンマイを巻くように思い出しながら、少しずつ動かした。
そして赤く染まった白井くんを見つめ、膝をつき、コートを脱ぎ、白井くんの血を拭った。けれど溢れ出るばかりで止まる予感がしない。
「白井くん白井くん白井くん白井くん白井くん………」
どうすることも出来ずに私は彼の名を呼んだ。
私はわかっていた。彼が人を殺せるはずがないと、白井優はどこまでも自分を傷つける人間だと。
私は白井くんを本気で愛した。だからこうなったのかもしれない。私の目の前で人が死ぬ時は私ががんばった時だ。やっぱり普通でいなければ、普通に生きなければ。
泣くことも出来ず、ただ彼の名を呼び続けた。
カセットテープの私。ごめんなさい、どうやら白井くんを救えなかったようです。