空が暗い間 第28話


 目が覚めた瞬間、これは遅刻だなと何となくわかってしまった。それくらい俺は目覚ましの音に気付かないで熟睡していたのだろう。いや、それとも冬休み惚けか? しかし冬休み中も、平日は八時半には学校にいる俺に、その言葉は当てはまらないだろう。
 時計を見ると八時五分を指している。顔も洗わず、朝飯も食わないで家を出るとどうにか朝のHRには間に合いそうだ。
 別に遅刻をしてもいいのだが、クラスの連中は俺が遅刻をすると妙にざわつく。
 六月くらい、余りに酷い雨だから学校に行く気がせず、でも結局は三限目には向かったのだけど、そのときの連中のざわつき方はどうも見ていて、そして当事者としてあまり気持ちのいい物ではなかった。石をのけた時に蠢く虫のような気持ち悪さがする。
 だから俺は素早く着替えを済ませ、廊下を走り、勢いそのままで家を出た。
 今日に限ってこんなに慌ただしい朝を迎えるなんて、俺には何か憑いているのだろうか? 
 一月九日、今日は明里の命日だ。
 なので、うっとうしい事この上ないが、恐らく母親から電話がかかってくると思う。年に一回戻ってくる日が今日だから事前に電話くらいしてくるだろう。一緒に墓参りにでもいこう、とかそう言う類の事を。でも俺は一緒に行く気なんてさらさらない。どう言い訳しようか? 風邪とでも嘘をつくか? けどそれなら心配するか、きっと建前だけの心配を。それはそうで腹が立つ。考えるのも面倒だ、バイトと言っておこう、これなら無難だろう。
 それにしても、もう明里が死んで三年目か。なかなか早い気がするし、それほど月日が経ったとも思えない、妙な感覚だ。
 それは毎日明里の事を思い出すからだろうか、それとも毎月墓参りに行っているからだろうか。まあどちらでも関係ない、気持ちの問題だろう。何にせよ、午後からの予定はこれで決まったと言うわけだ、明里の墓参り。
 花は買っていく必要があるのだろうか? 命日だからクラスイトだった奴らも来るはずだが……多ければ多い方がいいか、こういう日くらい。
 いつもより自転車のスピードを上げているせいか、体の芯まで冷えるような、そんな感覚を味わった。今日が命日だから、という理由では……ないはず。

 校門での遅刻チェックをギリギリ免れ、俺は走って教室に向かった。
 着くと、何故か騒がしかった。
 首を傾げながら扉を開くと、血の気が引く光景が、教室にあった。
 虚を突かれた。
 席に着いている羽田を、五人くらいの生徒が取り囲んでいた。そして他の奴らの視点も羽田に集められている。
 もしかして……。
「おい! 白井が来たぞ。お前も認めろよ、付き合ってんだろ?」
「水族館なんて行っちゃってさ」
「いつも異星人の部屋で何してんだよ?」
 予想通りだ。見られていたわけか、海洋館に行っていた事を。それはまだよしとして、旧図書室に恵那が通っているという事実まで知られるのはまずい、通常の人格、いわば羽田と思ってみられている可能性があるからだ。
 俺は迷わず声を発した。ざわつく教室内でも羽田に届くように。
「イーバ!」
 
 この言葉の意味は、地球外生命体を英訳した際の略語だ。一時期、宇宙人の事をそう呼んでいた事もあったようだが、俺の記憶にはなく、ただ言葉を知っているだけだ。
 そんな言葉を何故、この場で発したかというと、それは恵那と約束していたからだ。
 四日前、恵那が旧図書室に来た時に、決めたこと。
 どうも羽田と恵那の見分けがつかなくて困る。
 前までは、別にどちらが多重人格であって、どちらが通常の人格だなんてどうでもよかったのだが、いわゆる俺と羽田は別れた関係であるわけであって、俺は大して傷ついていないが、羽田の方は相当ショックなんだと思う、それは現に羽田の多重人格側である恵那も言っている事だ。それに羽田は海洋館以降、俺と会おうとしていない。毎日合唱の練習で、学校に来ているにもかかわらず。
 そういう関係にある二人だから、もし恵那だと思って話しかけては不味い事になる。それにもし、逆のパターンだと尚更不味いことになる。旧図書室で会う分には問題はない、羽田が来る可能性はゼロだからだ。しかし、学校が始まればどこで会うかわからない、と言う以前にクラスが一緒だから教室であってしまう。そういう状態だと、どちらが羽田なのか、恵那なのか非常に重要になってくる。
 そこで考えたのが、旧図書室以外で俺に会うときは、合図を出すまで人格を入れ替えるな、ということ。その合図がイーバだ。

 だから俺は今、人格を切り替えるスイッチを押した。
 これで羽田に余計な事を聞かれる心配はないというわけだ……が。
 その声で振り返った恵那の顔は恵那ではなかった。
 何故だか直感的に分かってしまう。その悲壮にまみれた口元、涙を溜め込む瞳。恵那なら感情を隠さずそのままにするはずだ。
 気付いた俺はここから逃げ出すしかないと思い、羽田の左手を強引に引き、体を引きずりながら廊下まで引っ張った。
 俯き、顔を手で押さえる羽田を廊下の窓際に置いて、俺は教室に戻り、張り上げる声で言ってやった。
「異星人と地球人が仲良くして何が悪い、ボケが! 次羽田に何か言ってみろ、消滅させてやる!」
 静まり返った教室を背にして、俺は再び、廊下にいる羽田の手を引いて駆け出した。


 何故だ、何故切り替わらない。約束したはずだ、俺は恵那と。あいつは嘘を好まないと言っていた。前に正直に話してくれとかそういうことを言われた覚えがある。なら矛盾だらけじゃないか。
 俺はまず羽田と話しをしようと思い、人目の着かない場所である、食堂裏に行くことにした。今から始業式が始まるから、人はいないはずだ。それに今日は午前で授業が終わるので、食堂で働いている人もいないだろう。
 案の定、食堂裏には誰もいなかった。食堂にも人影は見当たらない。思った以上に静かすぎて少し気が引けたが、ここ以外場所がないので仕方がない。何かの青春映画のように屋上で話してみたい気もするが、危険な場所である屋上は鍵がかかっている。
 取っていた手を離し、とりあえず俺は謝ることにした。
「こんなところに連れ出してすまない。あの状況だとこうするしかなかった」
 羽田は頷いてみるものの、言葉を発しない。俺も何を言っていいかわからず、手で顔を覆う羽田を見つめた。
 聞こえるのは風が木の枝をゆらす音と、ポイ捨てされた空き缶の転がる音、捨てられたプリントがコンクリートを這う音。それのみで羽田の声は聞こえてこない。
 そんな沈黙がしばらく続くと、羽田は言葉を吐くことなく俺に背を向けて、体育館の方に足を向けた。咄嗟に呼び止める。
「どこ行くんだよ?」
「決まってるでしょ。始業式よ。こんなところでサボってるなんて普通じゃない」
 普通ね……。
「もう優しくしないで。私のこと好きじゃないんでしょ。諦めようとしてるのにそんなことされたら揺らぐじゃない、バカ、ボケ!」
 肩を震わせながら、俺に後頭部を向けて羽田は責めた。
 別に優しくしようと思ってやった行動ではない。これは恵那の性質上問題のある状況だから逃げて来たわけだ。それに、羽田も多重人格だと気付くと、それなりに落ち込むところがあるだろう。これは優しさではなく、俺の義務だ。多重人格になる原因を与えたかもしれない俺の、最低限しなければいけないことだ。だから責められても反論出来るわけがない。俺の責任だから。
 俺が何も言わないので、その沈黙を肯定と取ったのか、羽田は止めていた足を再び進めた。
 こうなっては対処のしようがない。
 しかたない、一か八かで言ってみるか。
「イーバ」
 その一か八かが功を奏したのか、羽田は足を止め、俯いた顔をこちらに見せた。
 いや、まだ言葉を発していないから恵那に切り替わったとは断言できない。もしかするとイーバってどういう意味よ? と問いつめられる可能性もあり得る。
「……何? ユウ」
 どうやら間違いなく恵那のようだ。下の名前で呼ぶのだから間違いない。
「お前どうしたんだ、約束しただろ?」
「……聞くけど、どうしてあの場面で私が羽田恵那にならなければいけなかったの?」
「どうしてって、余計なことを羽田に聞かれると不味いからに決まってるだろ」
「私の気持ちは? そうすれば羽田恵那は大丈夫だろうけど、私は? あんなこといわれて辛いに決まってるじゃない」
 俯いていた顔を上げ、恵那は涙を流しながら言った。その流れる涙の量は異常で、きっとさっきまで羽田が溜め込んでいた分も一緒に出ているのだろう。
「乗っ取ってやりたい気分よ」
「お前何バカなこと言ってるんだ?」
 恵那は自分で言った言葉を信じられないらしく、驚いた顔をして、溜め息を吐くと微笑んだ。
「私、ちょっとバカだったね。ユウの言う通りだよ。体を借りてる身分で、辛いことを肩代わりできないなんて贅沢な身分だよね。ごめん」
 自分を皮肉ったように恵那は言って、涙を人差し指で拭った。
「ユウ」「恵那」
 呼び合う声が交わる、そういえば前にもこういうことあった。
「ユウが何か言うと思ったから、呼びかけただけだよ」
 そう言って上唇を噛み、恵那は俺の言葉を待とうとする。
「嘘をつくな。前にもこういうことがあったな。……言いたいことがあったら言え。前にお前は俺にそう言っただろ?」
 恵那は頷いてみせたが、指遊びをして一向に話しをしようとしない。
「お前には一時間しかないだろ? ならそんなことしている時間なんてないはずだ。さっさと用件を言わないと時間が無くなるぞ」
 言うと恵那は大きく頷き、俺の目を見据えて、再び涙を流し、ためらいながらも口を開いた。
「私、もうそろそろ星に戻らないといけないの。ごめん」
 いきなりの告白に俺は戸惑い、ただ脳内に疑問符を浮かべることしか出来なかった。
「私が異星人だと言うこと、人類にバレちゃいけなかったの。でも私のドジでバレちゃったでしょユウに。それが……星の人にバレちゃったから帰らないと」
 話し終えても、その涙は止まらず、勢いを増すばかり。
「どうしてバレたんだ? 通信衛星的なものか」
「うんうん、違う。私みたいに体を借りてる人に知られたの。これはルールだから仕方ない。昔はやっちゃうと死刑だったの。でも今は、早急に乗っ取りを止めるだけで済む罰に変わったわ。だからどうってことない。どうってことないのに……」
 涙だけではなく、鼻水まで垂れ流す始末。俺はポケットにあるはずのないティッシュを探し、やはりないことを確認して頭をかいた。
「えらい急なことだな……!」
 急なこと、ではない気がする。
 この一週間の記憶を思い出すと、それは疑心でなく確信に変わった。
 恵那は何かを隠している様子だった。表情を隠し、欺き、唇を噛み、嘘をついた。その何かがわからないので追求が出来なかったし、疑うだけで終わってしまっていたが、それを何かわかった今でも、恵那が何故隠そうとしたのかがわからない。
「……急なことじゃなかったわ。もう先週には決まっていたこと」
 やっぱり。その辺りから恵那の様子がおかしかったから、俺の推測は間違いではなかった。なら、
「もっと早く言——」
「言い辛かったんだよ! 言ったらユウが悲しい顔するとかそういうのじゃなくて、何か嫌だったの。このまま自然に消えちゃえばいいかなと思ってたけど、やっぱりそれも嫌だし……」
 お前もしかして……。
「わからないの。この感情が羽田恵那の物なのか、自分の物なのかどうかが。だってこんなこと今までの歴史になかったことだから」
「別にそんなのどっちで——」
「よくない! よくないよ。もし恵那の感情が私に伝染していたら、それは私のじゃない、感情の模倣になっちゃう。そんなの嘘よりダメなことだよ」
 感情の模倣か。確かにこの世界は模倣だらけだ。けど……。
「実は言うとな、初めはお前が怖かったんだよ」
 ……怖い? と言って恵那は首を傾げる。
「そうだ。感情とちぐはぐな表情をするし、無感情だし、それに異星人とか言い出すから怖かった、何をするかわからなかったからな。でもだんだんと恵那が表情豊かになってくると考えてることもわかるから、恐怖心と言うのが無くなっていった、これは本当だ。
 ……そもそもお前が地球に来た理由を考えてみろよ? 感情を学ぶ為に地球へ来たんだろ、ならいいじゃないか。その感情は恵那が学んだことだ。進歩だ、真似ではなく」
 俺は何故恵那を励ましているのだろう? 別れるのは嫌だ。嫌ならこんなことは真似事だ、やめてしまえ、と言えば恵那はこのまま羽田の一時間を借りつつ、時を過ごせるのかもしれない。羽田恵那の多重人格面は感情を学ぶと無くなるはずだから。
 なのに何故、俺は……。
「しばらくの間、こうさせてくれ」
 そう言って俺は、恵那の肩を抱いた。
 こうでもしなければ抑えきれなかった。気持ちを抑えきれなかった。言ってしまいそうだった。戻らないでくれと。そしてこの感情を……。
 細々とした声を出し、恵那は俺の胸元辺りでありがとうと呟いた。その言葉を聞いて、俺は体から手を離す。
「恵那はこれから体育館に行って始業式を受けてこい、俺は教室に戻るから」
「何で? 私も教室に行くよ」
 恵那は涙を拭い、人間には出来ない純粋な笑顔を俺に向けた。
「だめだ、一緒にサボったらあとで先生に呼び出されるからな」
「じゃあ、ユウも一緒に行こっ!」
 恵那は、言うと同時に俺の手を引いて体育館に向かって駆け出した。
 俺は柄にもなく、声を出して笑って走ってしまった。
 こんなことはもうないと思っていたから。
 やっぱり幸せなんて儚いと思い直したから。