空が暗い間 第21話


 もっと関係を深めてから番号交換にチャレンジしようと思っていたのに、どうして登録されてるんだろ? もし断られたら今日一日楽しめなくなるかもしれないと思って訊かずにいたのに……。無意識のうちに訊いてたのかな? それともクリスマスイブの日、私が気絶している間に登録してくれたのかな? でもそれはありえない。だってその後携帯で白井くんの番号調べたけどアドレス登録されてなかったもん。まあ、訊いてないから載ってなくて当たり前なんだけど。
 いくら考えても見つからない答えを脳内に求めながら、私は白井くんの待っているサメがいる場所を調べるため、パンフレットをかばんの中から取り出した。
 そういえばパンフレットは受け取った覚えがあるような……ないような。なんだか今日は記憶が曖昧なことが多いような気がする。きっとまともなデートは初めてだから舞い上がって色々な記憶が飛んじゃってるのかも知れない。
 「恵那! こんなとこで何してるの?」
 斜め後ろの方から声が聞こえた。何回耳にしたか思い出せないくらい聞いたことのある声。
 「美那! 本当に来てたんだ。冗談かと思ったよ」
 私は振り返って驚いたように言った。
 本当に驚いている。だって美那がこの時期に外出するなんてありえないことだと思っていたから。それに一二月の二十日から今日まで引きこもっていたし。去年の傾向からすると新学期が始まるまでは引きこもる予定なんだけどな。
 「当たり前でしょ? そんなわけのわからない冗談言うわけないじゃない。あんたそれよりあたしの質問に答えなさいよ」
 「あっ、そだね。白井くんとはぐれちゃって美那知らない?」
 知ってるわけないか。こんな広い水族館で人もそれなりにいるし、そんな中で私達姉妹が会えたのも奇跡に近いよ。もしかして姉妹の見えない力かもしれないけど。
 「あっ、あいつなら多分太平洋の水槽の方に歩いていったのを見た気がする」
 思い出しながら言ったからなのか、ちょっと美那は棒読みで教えてくれた。
にしても姉妹パワー説、敢え無く消滅って感じだね。
 「期待してなかったけど、まさか美那が見つけてたとはびっくりだよ」
 「あたしもびっくりだよ」
 「ところで美那は一人なの? デートか何かで来たんじゃなかったの?」
 美那はムッとした顔で私をにらみつけて、そんなわけあるか、と吐き捨てた。
 「大学の宿題で海洋館に行って海洋生物についてレポートとってこいって言われたんだよ」
 なんだか大まかな説明だな。
 「一人で?」
 「んなわけあるか。どれだけさびしい女なんだよあたしは。ちゃんと友達と来てるよ」
 それは男友達か女友達なのか訊こうと思ったけど、どうしてか美那は結構ご機嫌斜めみたいだ。これ以上機嫌を損なわすと、美那がこれから合流する友達に八つ当たりしそうだしやめておこう。
 「じゃ、あたしは行くよ」
 「うん。ありがとう美那」
 「おうよ。あんたは小さい頃からよく迷子になってたから気をつけな」
 と微笑みながら美那は、私がこれから向かう太平洋の水槽とは逆の、瀬戸内海の水槽の方に歩いて行った。
 こんなところで話してる場合じゃないや。早く行かないと白井くんが待ちくたびれて違う水槽に移動してしまうかもしれない。
 私は、走りはしないものの、人から二度見されない程度の早歩きで、白井くんの元に向かった。
 
 太平洋の水槽に着くと、探すまでもなく白井くんは見つかった。
 水槽の中を一際大きい、サメと言われても疑問符が出る生物の泳ぎについて、水槽の周りを移動する青年を見かけた瞬間にあれは白井くんだとわかった。
 ゆっくりと近づいて白井くんの観察の邪魔にならないよう、さりげなく白井くんの左隣に移動した。
 「白井くんってジンベエザメ好きなの?」
 「お、来たか。そだな、めっちゃ好きだ。なんと言ってもあのサイズでサメだからな」
 白井くんは羨望の眼差しでジンベエザメを見つめながら言った。
 どうやら白井くんは、私がここにたどり着いたことよりもジンベエザメのほうが興味を持っているらしい。少し悔しいけど、ここが水族館だから仕方ないか。
 「確かに大きいよね。サメって言うよりクジラみたい」
 「だな。でもそこがいいんだよ、サメっぽくないけどサメですってところが」
 私ならサメを見たいってなると、目の前を泳ぐ人食いザメの小型版みたいなやつ。ああいうわかりやすいのを見たくなるけどな。 
 一見してこの水槽の魚は地味な気がする。
 曖昧な記憶から手繰り寄せて、ここの水槽と他の水槽を比べてみると、なんだか地味な色や形をした魚が多いけど見ていて飽きなかった。ここにくるまでに見かけたオーストラリアの海の熱帯魚を見たときは、夜のネオン街の電灯のようにキレイだな、と思ったけれど、こっちはこっちでまた違う美しさがある。それは大型な魚の造形美とそれに似合った地味な色合からきているのかもしれない。本当すごい迫力だ。
 こんなのスキューバダイビングしているときに見たら死を覚悟するね。
 海によって魚が、これほど違う形や色をしている事に感嘆としていると、やっと白井くんがジンベエザメから目を離した。
 「もう行くか、全部周ったし」
 全部周ったの? いつの間に! えっ、でも私オーストラリアと太平洋と稚魚コーナくらいしか見てな……くもない気がする。なんとなくうっすらだけど他の海の魚達も見た気がする。でもこれは今日の出来事。気がする、なんて表現は間違ってるんだけど、私はそんな状態。ついさっきの事なのに、三日前の夕食なんだっけ? を思い出すくらいの曖昧さだ、もやっとする。これなら海洋館に入るまでの方がまだ記憶がハッキリとしてるよ。
 と、一人でぶつくさ考えてる間に白井くんは出口に足を進めていた。私は慌てて白井くんを追いかける。
 「ねね、白井くん。帰りにお土産コーナー寄っていい?」
 「うん? 別にいいけど」
 おっしゃ! やっと恩返しが出来る。今日は、というか今日も白井くんに何もいい行いを出来てないから、ここが挽回のチャンスだ。
 「ありがと。ところで白井くんはどの魚が気に入った?」
 「ジンベエザメ」
 やっぱり。訊くまでもなかったか。でもあまりに予想通り過ぎて私は思わず笑ってしまった。ちょっとだけ。
 「何だお前? ジンベエザメを馬鹿にする気か?」
 いや、全然。滅相もございません。と言おうと思ったけど、目の前に白井くんのパーカーのプリントが目に映って、余計笑ってしまう。そんなかわいいウサギなのに殺すって意味わかんない、殺せるなら殺してみろって感じだよ。
 「腹立つな。じゃあ羽田が気に入った魚言ってみろよ」
 「名前見てないけど、かわいい! と思ったのは稚魚コーナーにいたオレンジの魚」
 言うと白井くんはうんともすんとも言わず、表情もさっきまではちょっと怒ってたのに無に変わった。どうしたんだろ? 何か言ってはいけない感が漂ってるけど。
 「お、お前。その魚いつ見た?」
 「いつって、白井くんとはぐれてからだから一五分くらい前かな?」
 「そうか。ならいい」
 変なの。はぐれてからならよくって、はぐれる前にあのオレンジの魚を見ちゃダメだったってこと? よくわからないな。まあ、白井くんの言動が変なのは、異星人と自分で言うところから始まってるから、これくらいじゃあまり驚かないや。
 でも変な空気になったのは確かなこと。さっきの会話のどこかに地雷があったのはず、けどそれがどこなんてわかるほど私の推理力はよくない。次は空気を変えないような話題をふらないとね……。
 なんて思いながらも結局その次の会話が見つからず、とうとうお土産コーナーの目の前まで来てしまった。さっきの会話の地雷探知ができない私にとって、自称異星人との会話は徳川埋蔵金を見つけるくらいに難しいことなのかもしれない。
 でも目の前には心待ちにしていたお土産コーナーだ。ここで頭を切り替えなくては。自分勝手な名誉挽回だけど、これが今日、最後の機会かもしれない。海洋館関連の色々な種類のお土産を見ていると、白井くんを楽しませれる自信が湧いて来た。入り口手前でこの多さ、中に入ればきっともっとすごい事になってるはず。なんだか小さい頃のおもちゃ屋さんに行く様な気分になってきた。
 「白井くんは何か欲しいものある?」
 「いや、ないよ。というかちょっと疲れたからそこのベンチで座っとく。用がすんだら呼んでくれ」
 「わ……わかった。すぐ買い終わるから待っててね」
 最悪だよ。せっかく一緒にお土産見れると思ったのに、これいいね! あっ、これなんてどう? なんて、いかにもデートって感じの会話をしてみたかったのに全部おじゃんだよ。それに一人でお土産見るのって、なんか凄く切ない気がする。
 憂鬱な気分を抱えながら入るお土産コーナは、お土産コーナー以外の何物でもなくて、色んなお土産を見ているうちにだんだんとテンションを上げてくれた。
 でもそんな楽しさに浸っているほどの時間の余裕はない。さっさと選んでさっさと会計を済まさないと待ってくれている白井くんに迷惑がかかる。そうなっては恩返しもあったものじゃない。
 でも少ない時間で白井くんが気に入りそうなお土産なんて選べるかな? 会話さえ思いつかない私にとって、それはヴォイニッチ写本を解読するくらい難しい……って何でここでオーパーツ? 明らかに混乱してるよね、私。さっきも埋蔵金がどうやらこうやら考えてたし。よし、ここは一旦和まなくては。
 そう思った私はキーホルダーコーナーに行って、もこもこした感触と造形の海洋生物のキーホルダーを眺めた。そのキーホルダーに付いている海洋生物はぬいぐるみみたいで凄く愛らしい姿と形をしていて、赤ちゃんのような感じがする。
 棚の上隅から順に見ていった。ゴマアザラシの赤ちゃん、ペンギン、さっき見た人食いっぽいサメも可愛くなっている。
 そして、棚の真ん中でいい物を見つけた。
 「ジンベエザメだ」
 さすがこの水族館の名物。しっかりキーホルダー化されている。しかも人気商品らしく、ラスト二個しか残っていない。これは買いだと判断して、私は人食いっぽいサメとジンベエザメのキーホルダーを持ってレジに向かった。

 会計が終わって、白井くんが待つベンチに向かうと、白井くんは誰かと通話をしていた。
 「思ったよりも早くてよかった。いっつも遅いからさ」
 心無しか白井君の声がいつもの声よりも明るく聞こえる。一体誰だろ? 
 通話はすぐ終わって、どこか満足そうに電話を切って白井くんは私の方を見て少しだけ笑いかけた。
 「おっ、思ったより早かったな。じゃあ行くか」
 「で、電話誰だったの?」 
 これくらい訊いてもいいよね? ちょっとだけ待ったんだし権利はあるはず。
 「相手か? ……そんなに気になる」
 白井くんは笑顔で私に問いかける。
 こんな表情を向けられた事なんてほとんどなかったのにどうしてだろ……。
 考えるまでもないか。きっと電話の相手は白井くんの彼女だったんだよ。
 きっとその彼女がこの時間に電話をしてくるとわかってたから、白井くんは私と一緒にお土産コーナーに入らなかったんだ。
 きっと電車の中で「待てよ」って言ったのも、彼女がたまたま電車にいて、私と一緒にいる誤解を解く為、咄嗟に出た言葉なのかもしれない。で、彼女は怒って隣の車両に行ったから、私が電車を渡した時にはもういなかったってわけか。そして今の機嫌良さそうな白井くんの笑顔はその誤解が解けたから……。
 じゃあ何で白井くんは彼女がいるのに私と海洋館に行ったり、山に行ったりしたんだろ。……それも考えるまでもないか。
 白井くんはきっと、私が白井くんを好きな事に気付いてたんだよ。でも、いきなり付き合えない、なんて事も言えないし、それじゃあんまりだからって私に思い出をくれる為にこうやって色々付き合ってくれたんだよ。
 なら最後まで楽しまなくちゃ、白井君の気持ちに応えるために。たとえそれが偽りでも。
 「いや、別に白井くんが言いたくないなら。……これあげるよ」
 私は白井くんにさっき買ったジンベエザメのキーホルダーを差し出した。
 「ん? なにこれ」
 「今日のお礼。ありがとうございました」
 もしかしたら貰えないと言われるかもしれないけど、これが私の精一杯の恩返しです。
 「ふーん。もっとリアルなのがいいけど、これくらい可愛かったらアリだな。ありがと」
 まさか貰ってくれると思わなかった、なんていい人なんだろ。私は流れそうになる涙を必死にこらえた。
 すると白井くんが、
 「帰りはタクシーで帰るからな」
 と、またよくわからない事を言い出すとエレベーターに向かって歩き出した。
 「どうし…」
  どうして電車じゃなくてタクシーなの? と訊こうと思ったけれどよく考えれば簡単な事だ。多分、早く帰りたいんだと思う、彼女の元へ。仲直りしたならすぐ会いたいに決まっている。
 エレベーターの下ボタンを白井くんが押すと、タイミングよくドアが開いた。それに乗って、私たちは地下三階にある駐車場に向かった。
 タイミングがいいのか悪いのか、エレベーターには私と白井くん二人きりで、なんだか心が窮屈になりながらも奥底ではうれしかった。きっと私はもうあの旧図書室に行く事もないし、山へ行く事もない、白井くんの彼女の存在を知ったから。だから二人だけの空間はこれで最後だと思う。
 そう思うと、割れそうで割れない水風船のような感触が胸の辺りでして、それを抑えようと、私は心臓辺りをぐっと握った。美那に借りた服だからシワとか付けてはダメだと思っても、その手を離せなかった。
 エレベーターの階数表示が、徐々に昇順していくのを見ると思ったよりも時間が長いと思ってしまった。ということはやっぱりこの二人だけの空間は私にとって苦痛だったのかもしれないと思い込む事にして、開いたドアに足を踏み入れた。
 駐車場には車が余りなくて、半分以上が空いてる状態だった。
 白井くんは駐車場の案内図を見て、タクシー乗り場の場所を確認すると、思ったよりも近いな、と呟いて足を進めた。
 車の通りがない駐車場は、外の冷たい空気とはまた違う冷たさが漂い、音がよく響いて、私と白井くんの足音だけが駐車場に鳴った。
 今のうちに覚えておこう、白井くんの後ろ姿、足音のリズム、雰囲気、そしてその目を。
 声はもういらない。四六時中嫌ってほど、耳の奥に響いてるから。
 「俺は異星人だ」って馬鹿みたいな言葉がずっと響いてるから。
  きっとこれで私の恋は終わるのだから。