空が暗い間 第19話
肩をつかまれた程度なら無視しようと思ったが、残念ながらフルネームで呼ばれてしまった。そうなっては振り向かざるをえない。
「あっ。あんたは……」
振り向くと、少し年上と思われる女が俺を鋭く睨みつけていた。
どこかで見たことのある顔だ。ビー玉みたいな丸くて大きい瞳、日本人らしい低い鼻。誰だっけ? いや、それよりも呼びかけといてその顔はないだろ。失礼極まりない。
「その顔を見る限りあたしのこと覚えてないようね」
「いや、覚えてることは覚えてるけど、名前が出てこない」
「そんなの覚えてないのと一緒よ」
確かにこの人の言う通りだ。
「誰でしたっけ?」
女は溜め息を吐くとまた鋭く睨みつけて、面倒そうに言った。
「あんた彼氏なのに顔見て気付かないなんて中々の強者ね、鈍いもいいところだ」
彼氏? 俺に彼女なんていないはずだが。
ますます悩む俺を女は見つめ、深い溜め息をつく。
「はー。……あたしは羽田美奈。恵那の姉よ」
道理で見たことあるわけだ。UFO探しのとき羽田を送った際に会ったな、そういえば。それに言われてみれば顔も似ている。特に目と鼻筋が。
「で、俺に何かようですか? あと、ちなみに羽田は彼女じゃないですよ」
羽田との関係を否定すると、羽田姉は悪戯な笑みを浮かべた。
「またそんなこと言っちゃって。まあいいか、隠したがるお年頃なんでしょ。それはいいとして用だよね。これは結構大事だからしっかり聞きなさい、なんなら二回言ってあげるけど」
「いや、しっかり聞き取るので一回で」
わかった、と羽田姉は手の平を俺の目の前に向けてジェスチャーをする。
「あんた明里の弟でしょ? 合ってる?」
明里?
どうして羽田姉が明里のことを知ってるのだろう? それに俺が弟という事実も。もしかして友達なのだろうか? いや、そんなことはどうだっていい、大事なこととは何だ? あいつは二年前に死んだ。そのことについてだろうか? ……皆目見当がつかない。
「ちょっと聞いてる? 合ってるでしょ」
困った表情で俺の顔を下からのぞくとかまわず話しを続ける。
「やっぱり間違いないよ。お通夜で見た顔だ」
「お通夜って明里のですか?」
「それ以外何があるのよ? あんたとあたしの過去を繋ぐものなんて明里以外ないのよ」
明里の通夜に来ていたということは同級生か部活の先輩以外いないはずだ。ということは、羽田姉はそのどちらかなのだろう。
「ちょっと話しそれちゃったね。大事な用ってのは、……恵那と関わらないで欲しいのよ」
「どういうことですか?」
「どうもこうもないわよ。じゃあ聞くけど、何であんたは恵那と仲良くしてるわけ?」
「それは……」
羽田が多重人格者だからとは言えないよな、羽田のことを考えると。それに自分の妹がそういう症状なんて知るのも嫌だし。病院送りになって多重人格の恵那と会えなくなるのも困る……。
「クリスマスイブのお礼。あいつにUFO探すの手伝ってもらったから」
そう言った俺に対し、羽田姉はあからさまに疑惑の目を向けてくる。
いや、わかってますよ。自分がとてつもなく馬鹿なこと言ってるというのは。でもここで変に嘘をついてややこしくなるのも面倒だ。それに羽田姉は俺に相当な不信感を募らせているようだし。
「マジで野外じゃなかったんだ……。いや、それはいいとして。あんた本当に明里の弟なの? あの子もっと真面目でそういうことには疎い子だったでしょ」
確かに明里は真面目で、気品があって運動も出来る、と三拍子そろった優等生な奴だったから疑われても仕方がない。でも姉弟だから性格や性質が似るとは限らない。というよりか、似る方が珍しいだろう。何の影響かわからないけど、姉弟は反対の性格や性質を持っている場合が多い。
「まあ、本人が言うなら間違いないだろうし、信じてあげる」
勝手に疑って、勝手に信用して……忙しい人だな。
「あとこれ。帰りはタクシーで帰って」
羽田姉はかばんから財布を取り出すと、一万円札を抜き取り、俺の手に握らせた。
何故タクシーで帰らなくてはいけないのか、何故羽田姉からちょっとした大金を受け取らなければいけないのか。何のことか全くわからなく、唖然としている俺に、追い討ちをかけるように、俺を犯罪者か何かだと疑うような目つきで話す。
「あの子、電車がトラウマなのよ。あんたの様子だと行きは何事もなかったようだけど。だから帰りに電車はタブー。わかった?」
「はあ」
「あと、そのおつりは手切り金。そのかわりちゃんと嘘の別れる理由を作ってよね。それとこんな事あたしが言ったなんて一ミリでも言っちゃダメだから。わかった?」
「はあ」
俺が気の抜ける返事をしても、羽田姉は何も突っ込まず、満足そうな顔で頷いた。
どうやら羽田と手を切ることと帰りに電車を乗らせないことが大事な用らしい。大事どうこうよりも変な用事だ。
そういえば、今思うとホームに着いたとき、羽田は俺が声かけても気付かないくらい音楽プレーヤの音量を上げてたな。それは電車の音を気付けないようにするためだったのか。でも『電車がトラウマ』と言われてもイマイチどういうものかわからない。あいつは現に電車に乗ってここまで来たのだから。けど詳しい理由を聞く程の仲でもないし、聞くと関係を疑われそうだ。面倒だからこの辺りで話しを切り上げるか。
「もう用はすみましたよね? じゃあ、俺はこの辺で」
「ああ、時間取らせて悪かった。大事だからもう一回言うけど明日から恵那と会っちゃダメだからな、危険だから」
と不機嫌に言うと大股で気怠そうに歩いていった。
羽田姉の姿が視界から消えて気付いたが、羽田姉はもしかして羽田が多重人格と気付いているのかもしれない。だから『危険』なんて言葉を使って俺と羽田を別れさそうとしたのだろう。なら本当のことを言えばよかったかな、それならあんな疑いの目で見られる事はなかったのに。……いや、これでよかったのかもしれないな。
そう自問自答しながら俺は心を躍らせていた。これは仕方のない事だ。これから鮫を見に行くのだから胸が高鳴らずにいられない。だってジンベイザメだし。
なんて、無理矢理童心に戻って、明里という言葉を必死に忘れようとした
肩をつかまれた程度なら無視しようと思ったが、残念ながらフルネームで呼ばれてしまった。そうなっては振り向かざるをえない。
「あっ。あんたは……」
振り向くと、少し年上と思われる女が俺を鋭く睨みつけていた。
どこかで見たことのある顔だ。ビー玉みたいな丸くて大きい瞳、日本人らしい低い鼻。誰だっけ? いや、それよりも呼びかけといてその顔はないだろ。失礼極まりない。
「その顔を見る限りあたしのこと覚えてないようね」
「いや、覚えてることは覚えてるけど、名前が出てこない」
「そんなの覚えてないのと一緒よ」
確かにこの人の言う通りだ。
「誰でしたっけ?」
女は溜め息を吐くとまた鋭く睨みつけて、面倒そうに言った。
「あんた彼氏なのに顔見て気付かないなんて中々の強者ね、鈍いもいいところだ」
彼氏? 俺に彼女なんていないはずだが。
ますます悩む俺を女は見つめ、深い溜め息をつく。
「はー。……あたしは羽田美奈。恵那の姉よ」
道理で見たことあるわけだ。UFO探しのとき羽田を送った際に会ったな、そういえば。それに言われてみれば顔も似ている。特に目と鼻筋が。
「で、俺に何かようですか? あと、ちなみに羽田は彼女じゃないですよ」
羽田との関係を否定すると、羽田姉は悪戯な笑みを浮かべた。
「またそんなこと言っちゃって。まあいいか、隠したがるお年頃なんでしょ。それはいいとして用だよね。これは結構大事だからしっかり聞きなさい、なんなら二回言ってあげるけど」
「いや、しっかり聞き取るので一回で」
わかった、と羽田姉は手の平を俺の目の前に向けてジェスチャーをする。
「あんた明里の弟でしょ? 合ってる?」
明里?
どうして羽田姉が明里のことを知ってるのだろう? それに俺が弟という事実も。もしかして友達なのだろうか? いや、そんなことはどうだっていい、大事なこととは何だ? あいつは二年前に死んだ。そのことについてだろうか? ……皆目見当がつかない。
「ちょっと聞いてる? 合ってるでしょ」
困った表情で俺の顔を下からのぞくとかまわず話しを続ける。
「やっぱり間違いないよ。お通夜で見た顔だ」
「お通夜って明里のですか?」
「それ以外何があるのよ? あんたとあたしの過去を繋ぐものなんて明里以外ないのよ」
明里の通夜に来ていたということは同級生か部活の先輩以外いないはずだ。ということは、羽田姉はそのどちらかなのだろう。
「ちょっと話しそれちゃったね。大事な用ってのは、……恵那と関わらないで欲しいのよ」
「どういうことですか?」
「どうもこうもないわよ。じゃあ聞くけど、何であんたは恵那と仲良くしてるわけ?」
「それは……」
羽田が多重人格者だからとは言えないよな、羽田のことを考えると。それに自分の妹がそういう症状なんて知るのも嫌だし。病院送りになって多重人格の恵那と会えなくなるのも困る……。
「クリスマスイブのお礼。あいつにUFO探すの手伝ってもらったから」
そう言った俺に対し、羽田姉はあからさまに疑惑の目を向けてくる。
いや、わかってますよ。自分がとてつもなく馬鹿なこと言ってるというのは。でもここで変に嘘をついてややこしくなるのも面倒だ。それに羽田姉は俺に相当な不信感を募らせているようだし。
「マジで野外じゃなかったんだ……。いや、それはいいとして。あんた本当に明里の弟なの? あの子もっと真面目でそういうことには疎い子だったでしょ」
確かに明里は真面目で、気品があって運動も出来る、と三拍子そろった優等生な奴だったから疑われても仕方がない。でも姉弟だから性格や性質が似るとは限らない。というよりか、似る方が珍しいだろう。何の影響かわからないけど、姉弟は反対の性格や性質を持っている場合が多い。
「まあ、本人が言うなら間違いないだろうし、信じてあげる」
勝手に疑って、勝手に信用して……忙しい人だな。
「あとこれ。帰りはタクシーで帰って」
羽田姉はかばんから財布を取り出すと、一万円札を抜き取り、俺の手に握らせた。
何故タクシーで帰らなくてはいけないのか、何故羽田姉からちょっとした大金を受け取らなければいけないのか。何のことか全くわからなく、唖然としている俺に、追い討ちをかけるように、俺を犯罪者か何かだと疑うような目つきで話す。
「あの子、電車がトラウマなのよ。あんたの様子だと行きは何事もなかったようだけど。だから帰りに電車はタブー。わかった?」
「はあ」
「あと、そのおつりは手切り金。そのかわりちゃんと嘘の別れる理由を作ってよね。それとこんな事あたしが言ったなんて一ミリでも言っちゃダメだから。わかった?」
「はあ」
俺が気の抜ける返事をしても、羽田姉は何も突っ込まず、満足そうな顔で頷いた。
どうやら羽田と手を切ることと帰りに電車を乗らせないことが大事な用らしい。大事どうこうよりも変な用事だ。
そういえば、今思うとホームに着いたとき、羽田は俺が声かけても気付かないくらい音楽プレーヤの音量を上げてたな。それは電車の音を気付けないようにするためだったのか。でも『電車がトラウマ』と言われてもイマイチどういうものかわからない。あいつは現に電車に乗ってここまで来たのだから。けど詳しい理由を聞く程の仲でもないし、聞くと関係を疑われそうだ。面倒だからこの辺りで話しを切り上げるか。
「もう用はすみましたよね? じゃあ、俺はこの辺で」
「ああ、時間取らせて悪かった。大事だからもう一回言うけど明日から恵那と会っちゃダメだからな、危険だから」
と不機嫌に言うと大股で気怠そうに歩いていった。
羽田姉の姿が視界から消えて気付いたが、羽田姉はもしかして羽田が多重人格と気付いているのかもしれない。だから『危険』なんて言葉を使って俺と羽田を別れさそうとしたのだろう。なら本当のことを言えばよかったかな、それならあんな疑いの目で見られる事はなかったのに。……いや、これでよかったのかもしれないな。
そう自問自答しながら俺は心を躍らせていた。これは仕方のない事だ。これから鮫を見に行くのだから胸が高鳴らずにいられない。だってジンベイザメだし。
なんて、無理矢理童心に戻って、明里という言葉を必死に忘れようとした