ひとりごと。 | ありのままにあるがままに

ありのままにあるがままに

ママは虐待サバイバー。
旦那は超マイペースなポジティブ野郎。
息子は情緒不安なADD。
娘は明るく活発だけどADD?
誰の遺伝?ママ?
イヤ違う、きっと旦那だ(笑)
小さな空手家2名と弓引き、子どもLoveだけど仕事人間な旦那との日々の出来事を書き残しています。

ブログを再開してもう数ヶ月。

色んなジャンルのブロガーさんちにお邪魔してはコメントを残してお返事もらって…

私は、ネットの世界とリアルな世界の区別は特にしてないから、自分が話したい人、興味を持った人、似たような悩みを持った人の所へこのままの私でお邪魔している。
多分、リアルに会ってもこのまんま。

そして記事を読ませて貰ったら「いいね」をして帰るんだけど…

私は自分の記事には「いいね」やコメントを残せないようにしてしまっているんだ。

それは、今まで頂いたコメントが嫌だったから、とかじゃなくて、私の性格の問題。

私は常に人の目を気にして生きてきた。
他人様からどんな風に見られているか、映っているか。

他人からの評価。

それは本来の私ではない。

父と継母にそう躾けられた。
要は「恥をかかせるな!」だ。

私が私らしく存在する事は「恥」なのだそうだ。

私は恥ずかしい子。

出来れば表に出したくない、昔で言えば座敷牢に閉じ込めておきたい、そんな存在だったようだ。

継母の呪縛が掛かっていた頃は、すごく強気な自分だった。まるで継母の様に立ち居振る舞い、ケンカっ早く、上司だろうと先輩だろうと「悪」だと思った人にはくってかかり、気が付けば四面楚歌。
そんな私を好んだ人も居たには居たが、人間関係が続く事は無かった。

白黒ハッキリさせないと気が済まない自分。
潔癖なくらい自分の事はクリーンに、そして正しいと認めて貰える事しかしない自分。

父の言うように、継母の言うようにやってきたが、仕事で評価はされても人間関係はボロボロだった。

22歳にしてとても疲れてしまった。

不眠でメンタルクリニックに通うようになったのはこの頃からだ。

自分が鬱だなんて信じられなかった。

それから数年して旦那に出会って、こんな私に何年間も向き合ってくれて今に至るんだけど、

性格の大部分は修正されて元の天真爛漫な自分には戻れてると思うんだけど(サインバルタのお陰もあって)

この他人からの評価だけは抜けなくて。

アクセス数が多いのに「いいね」が少ないと、
あー私ってダメなヤツなんだわー
と、落ち込み、

コメントが一つも来ないと寂しく感じたり、

人様のブログでコメントを残す時は気軽に素の自分で居られるんだけど、承認されなかったとしても気にならないんだけど、

自分のブログとなるとメッチャ怖い。

アクセス数とか知りたくないのに勝手に上がってくるからすごくイヤ。
あのページは開かんようにしとる。

これをどうにかしないと、ブログを楽しめないと思うんだよね。

だけど、実生活では多少の事は気にするものの、失敗とか平気で出来ちゃう。
課長殿の前でオナラもしちゃう。
昔の完璧主義な私はもう居ない。

この私の恐怖心は何なんだろう。

皆んなはどうして平気なんだろう。