中学〜高校 | ありのままにあるがままに

ありのままにあるがままに

ママは虐待サバイバー。
旦那は超マイペースなポジティブ野郎。
息子は情緒不安なADD。
娘は明るく活発だけどADD?
誰の遺伝?ママ?
イヤ違う、きっと旦那だ(笑)
小さな空手家2名と弓引き、子どもLoveだけど仕事人間な旦那との日々の出来事を書き残しています。

私は将来の事なんて何も考えられなかった。

毎日、継母から謂れなき事で責め続けられ勉強なんかに集中できない状態。

そして夕飯作りの当番。
部活から帰りながらメニューを考える。
帰宅してすぐスーパーに走り食材を買って夕飯作り。
時には妹を迎えに父の店へ行く。

そんな私に自分の未来像なんて思い浮かべる余裕は全くなかった。

中学2年の夏、父がおもむろに言った。
「お前、大学に進学するつもりはあるのか?あるのなら資金を貯めるが行く気がないのなら貯めない」

勉強なんかどうでもいいと思っていた私は
「別に、行く気ないし」
と答えた。

それから4年後の高校3年生。
文系に進んだ私は英語にハマる。
英語の先生が推薦枠をくれた。
その大学は都内の外語大。

父に話すと学歴が大好物の父は大喜び。
是非受けてみろと言う。
受かったらお金を出してやると言った。

そして、合格通知が届く。
私の目の前に夢が広がった。
父も喜んでいたが…その夜、父の店に呼び出された私。

「進学は諦めてくれ、金が無い」
「そんな訳でないじゃん!今の店の状況がどんなか私にだって分かるよ!」
「無い物は無いんだ!それにお前、中学の時進学しないって言っただろ!お前の進学資金は無い!」

何も言えなくなった。
確かに私は行かないって言った。

だから、私は担任に相談して奨学金制度の募集を探した。でも時すでに遅し。何処ももう締め切っていた。朝日新聞や養老乃瀧…働きながら通わせてくれる所ももう無かった。

だから、私は進学を諦めて就職した。

でも、後になって分かった事なんだけど、結局継母が私を進学させたくなかったらしい。

「もうあの子とは一分一秒も一緒に居たくない」
「進学⁉︎とんでもない!最低でもあと4年間も一緒に暮らさなくちゃいけないの⁉︎冗談じゃないわ!」
と喚いていたんだって。

それなのに私には
「お姉ちゃんが居なくなってポッカリと心に穴が開いたようで…お姉ちゃんの分のご飯とか作っちゃったりするんだよね」と白々しい事を言っていたんだ。

当時、虐待を受けてる自覚が無かった私なので、その言葉をまんま信じて、お母さんドジだね〜なんて一緒に笑ったりしていたんだ。

洗脳って本当に怖い。
私が基本人間不信なのは育った家の中心人物(継母)が嘘つきだったから。父も、弟も、妹も、誰も信じられない人間関係。拗れっぱなしの家族。

継母がおかしいと分かり始めたのは旦那と出会ってから。
旦那が、私の話を整理しながら聴いてくれて、紐解いてくれた。
だから18年くらいか。
洗脳が解け始めて。
継母と暮らしたのは10年間。
旦那と出会うまでにあと7年あるから、17年間洗脳下にあったわけだ。

白々しい言葉は他にも沢山あった。
そして、私にはこう言ってたのに、父には私の事をグチったりして、私は父から覚えのない事で夜中に叩き起こされて説教くらう。
玄関に立たされる、立ったままで眠ろうとすると水を頭からかけられる…なんてザラ。
掃除機のエ(棒?)が折れるまで叩かれる。
終いには父が牛刀持ち出してくる。

でも、何で怒られているのか私には分からないんだ。毎回。
でも、私が悪い事をしたからなんだろうな…って思いながら謝る。

話がだいぶ逸れてしまった。

私は進学させて貰えなかったけど、妹はバッチリ行きました。
高校は私立。その間にホームステイと留学。
そして6大学の名門校へ。
私の夢だった外国語の路へ進みました。

う〜ん…いいんだけどね。
妹は私より出来が良かったし。
なにせ2人の間の子だからね。
継母はさぞ嬉しかった事でしょう。
優越感に浸っていたんじゃないかな。

私は、今が幸せなので恨んでも妬んでもいません。 

ただ、我が子たちには私と同じ思いはさせたくないのでしっかりと貯めてますよ〜