照ノ富士が昨年名古屋以来の出場。若干ブランクは感じさせたが白星。今場所次第では進退もかかるがどうなのか。

大関3人とも勝利。しかし貴景勝、霧島はあっさり決まった。本調子かはまだ分からない。琴ノ若が力強く勝利した。今場所父の佐渡ヶ嶽が休場だが、あるいは憶測を呼ぶためあえて引っ込んだ?  新入幕2人は勝利。幕下の伯桜鵬は長い相撲となったが投げて仕留めた。矢後の腰も重いが、慎重に行ったのかまだ調子が今一つなのか。

 

59年前の昭和40年初場所。部屋別総当たり制が開始した。読売大相撲40年3月号には「審判部独立への苦もん」、「悲喜こもごもの新取組」と題して特集を組んでいる。「悲喜こもごもの新取組」では新取組の分析がされているがこの場所新取組は391番あったようだ。そのうち独立で新興部屋が多くあった二所ノ関系が多く223番という。

 

現在でみると一門は5つある。出羽海系は14部屋、二所ノ関系は15部屋、時津風は6部屋、高砂は4部屋、伊勢ヶ濱は6部屋。出羽海と二所ノ関が系統別で有利となりそうだ。

 

仮に初場所番付で系統別総当たりを適用するとどうなるか。横綱大関を対戦圏内の5枚目以内で見ると

 

  • 照ノ富士→系統別でも変わらず
  • 貴景勝→琴ノ若、高安、阿炎
  • 霧島→大栄翔、若元春、正代、錦木
  • 豊昇龍→宇良、豪ノ山

思ったより少ない。特に照ノ富士は伊勢ヶ濱の2力士がいるのみで後の5部屋(安治川、大島、宮城野、浅香山、朝日山)は上位にいない。同部屋以外は全て他門となる。このあたり柏戸が伊勢ノ海で孤軍奮闘したのと被るところ。時津風は6部屋の割に関取が多く9人。上位に偏っているだけ有利に働くのではないか。

 

系統別時代は部屋で有利不利が大きいだけ、現代と単純に比較できないと考えるが、照ノ富士は系統別と同じ状況ということを考えても最後の名横綱となり得るのではないか。