武蔵丸の毎場所後の講評は面白い。なぜかというと協会員でありながら全く忌憚ないもので、かつての読売大相撲を思い出す。読売誌が健在ならば連載を持っていたとも愚考。

 

今場所もバッサリ。錦木は 「何も考えてない」のが良かった、邪念がない、今は中トロでこれから大トロと珍しくベタ褒め。基本的に力をつけたベテラン力士には好意的のようだ。やはり白鵬はじめスピード出世力士の問題を見ているからか。

 

豊昇龍には辛口。「キレがなかった。勝ってはいても強いという相撲じゃなくて、ピンと来ない。今の彼に大関の力はない、先が厳しい」。新大関でここまで批判するのは難しいだろうし勇気もいる。霧島が早々にこけただけに説得力はある。良くも悪くも誰が優勝するかわからないレベルの相撲界と付け加えているが、団子レースであることも禁句になっているイメージだ。

 

「体が大きくないし、当たったり押していったりの圧力――「力」と「型」がない。ハッキリした勝ち方を持っていなくて、なんとなく勝っている感じなんだ。もちろん足腰はいいんだけれど、豊昇龍の相撲ってケガしそうで一番怖いの。見ているこっちがヒヤヒヤしちゃうんだ」

叔父さんの朝青龍とは全然違うという。無理な体勢での逆転や粘りも多くいつ怪我をするかとも見える。今の力士はケガの時期の運不運が大きい。豊昇龍は「いつ」ケガするか。

 

思い起こすが朝青龍は武蔵丸の現役があと1年でも伸びていれば土俵態度も変わってきたのではないか。昇進早々武蔵丸は休場でほぼ一人横綱。振り返っても同様の例はほとんどない。先輩横綱がいればあれほど傍若無人にはならなかっただろう。武蔵丸の手首の負傷が朝青龍にもマイナスに作用したように思える。ちなみに三役~横綱初期の朝青龍は一発の重い突き押しメインで先手を取ることが多かった。やはり押しが基本で四つはあとからというのよくわかる。小技に頼るとのびしろがない。

 

大栄翔、若元春にはまだまだとの評。 若元春が左四つの方を持ってることを褒めている。北の富士も動き回って勝機を見出す若隆景より、型を持つ若元春の方に注目していた。四つ相撲が少ないだけにというのもあるだろう。

 

北勝富士にはたまたま良かったというのみ。舞の海も北勝富士にはもうチャンスがないと言っていたが似たようなものだろう。毎場所1人はいる平幕絶好調力士の1人か。伯桜鵬には馬力のある相手になかなか押せないと推測しつつ期待を込めている。

 

廻し待ったには空気を読んでほしいと批判。昔の行司はタイミングが絶妙だった。伊之助はじめ上位行司は動きも緩慢になりがちで廻し待ったはなるべく避けたいのが分かる。 なかなか締め直せないのもしょうがない。軍配より重いもの持ったことないと皮肉っているが今後は呼出が補助(というよりメイン)するのが慣例になりそうだ。