27代木村庄之助の熊谷宗吉氏が亡くなった。97歳で大往生だった。これだけ生きれば角界最高齢かと思いきや22代庄之助の泉林八氏が104歳まで健在。この記録は抜かれることはないのではないか。

 

力士では元十両桐ノ花の97歳、幕内では桂川(96歳)、定年退職した年寄では天城山(東関で昭和46年退職、平成9年91歳没)である。元年寄も90歳越えは長寿社会でいくつか達成されると思いきやなかなかでない。羽嶋山の89歳、安念山の86歳等惜しいものはあるのだが。豊山は今年86歳、廃業では明武谷86歳、北の富士81歳である。

 

昭和10年に木村庄三郎(ひげの伊之助)に入門し11年1月初土俵、25年に十両格と角界関係者では群を抜いて古い人だった。おそらく戦前の相撲界を知る最後の存命者だったのではないか。

 

立行司を17年務めたのも史上最長で今後も更新されないだろう。過去の取り組みではかなりの確率で熊谷氏が登場する。立行司としては北の富士、琴桜、輪島、北の湖、若乃花、三重ノ海、千代の富士、隆の里、双羽黒、北勝海、大乃国、旭富士と12人の横綱を合わせた。輪湖時代、千代の富士時代と行司トップだったことでその長さが分かる。後の横綱を含めると千代の山~玉の海も裁いているだろう。しかし曙以降は全く合わせた経験もなく(最終場所で曙貴乃花若乃花は幕内2場所目)この点は異例である。如何に千代の富士~若貴時代へ急速に時代が変化したか伺える。

 

エピソードも凄い。豆行司時代取組中に催し、我慢が出来なくなったため待ったをかけてトイレに駆け込んだとか。兄弟子から叱られ辞めたくなったが、その話の聞いた横綱玉錦に「機転が利くな。しっかりやれ」と励まされ小遣いをもらったというもの。横綱の気配りにも驚くが玉錦と直接接した人間はもう皆無だろう。歴史を感じる。28代庄之助にも同じような話があるが我慢できず漏らしてしまったとか。さすが兄弟子と感嘆していた。

 

雑誌相撲の企画で双葉山との思い出も語っていたがもう双葉山と接点のある人も少ないはず。立浪部屋所属ということで立浪の開祖である元緑島は師匠であるがこちらとのつながりも安念山亡き後最後の存命者だったか。

 

若羽黒、双羽黒が付け人としてついていたがどちらも先立った。力士は短命とはいえ早すぎる。弟子である37代庄之助も先立ち落胆もあったのではないか。

 

定年時まだ幕下格だった弟子の木村玉治郎は次席まで昇進したが立行司姿は見られなかった。伊之助の土俵に問題あるのが大なのだがそれは心残りだったのではないか。玉治郎も師匠の土俵を見て入門しただけに落胆だろう。

 

戦前戦後すぐの角界は遠くなってしまった。