霧馬山改め霧島が大関昇進。平成以降30人目、253代の大関となる。

 

このところの大関が再大関の照ノ富士を除き、豪栄道から連続で陥落経験者である(豪栄道は陥落決定で引退)。霧島には陥落せず奮闘してもらいたい。

 

大関が2場所連続負け越しで陥落、関脇で10勝以上で復帰の規定となった昭和44年7月以降で大関陥落は47夏の前の山に始まり27例とみられる。

 

47夏 前の山

49名 大受

51春 魁傑

51名 三重ノ海

53春 魁傑
60名 琴風

5初 霧島

6初 小錦

12初 貴ノ浪

12名 貴ノ浪
12秋 武双山

13秋 出島

13九州 雅山

16名 栃東

17初 栃東
22初 千代大海

26春 琴欧洲

25初 把瑠都

29春 琴奨菊
29九州 照ノ富士

1夏 栃ノ心

1秋 貴景勝

1九州 栃ノ心

2春 高安
3秋 朝乃山

4九州 御嶽海

5初 正代

 

やはりここ数年の多さが目立つ。豪栄道以降の新大関が全員陥落を味わっているだけに当然ではある。2度経験は魁傑・貴ノ浪・栃東・栃ノ心の4人。栃ノ心は7場所在位で2場所の勝ち越しだが貴ノ浪のような再大関から2場所落ちとめまぐるしかった。

 

これほどあっさり陥落するのでは大関の地位や陥落規定含めて議論されてもおかしくないが規定は54年も変化なし。どうなのか。

 

ちなみに昭和33年から44年の大関3場所負け越し陥落時代に2場所連続負け越しの大関も調査してみた。

 

松登 33名 6勝9敗 →33秋 1勝5敗9休 (33九州 6勝9敗・陥落)
琴ヶ濱 35秋 6勝9敗 →35九州 1勝6敗8休 (36初 12勝3敗)
琴ヶ濱 36夏 5勝10敗→36名 0勝5敗10休 (36秋 9勝6敗)
若羽黒 36名 5勝10敗→36秋 全休 (36九州 5勝10敗・陥落)
琴ヶ濱 37春 4勝7敗4休 →37夏 全休 (37名 10勝5敗)
琴ヶ濱 37秋 2勝8敗5休 →37九州 全休 引退
栃光 40秋 6勝9敗 →40九州 5勝10敗 (41初 5勝10敗・引退)
北葉山 41春 7勝8敗 →41夏 6勝9敗 引退
豊山 42春 5勝10敗 →42夏 1勝6敗8休 (42名 10勝5敗)
北の富士 42夏 5勝10敗 →42名 7勝8敗 (42秋 10勝5敗)
豊山 43名 7勝8敗 →43秋 4勝11敗 引退

11例のようだ。3場所目負け越しで陥落決定は松登、若羽黒、栃光の3名。うち栃光はそのまま引退した。栃光同様負け越しで陥落決定したが千秋楽まで出場し引退はその後豪栄道までなかったようだ。意外。

 

琴ヶ濱は4度もある。当時の誌上でも非難されてるがそれ以上に制度が問題とも言われていた。結局制度が存在しそれを行使できる以上、力士を責めることは酷なのだろう。年間勝利も35年は37勝(負け越し3場所)、36年は38勝(3場所)、37年は25勝(4場所)で、37名の10勝を除くと4場所連続負け越しとなり引退に踏み切ったようだ。晩年の不調で評価が下がったのは残念なこと。

 

貴景勝も夏場所はギリギリの8勝だった。ケガの状況を見れば今後も茨の道だろう。遮二無二の相撲でようやくという印象である。終盤はやけっぱちのビンタ相撲まで連発していた。

 

大関の昇進はともかくとしても陥落基準は最低24勝で維持可能な現行制度ではなく年間成績や勝率といったものも考慮すべきと愚考する。関脇に毛の生えた名ばかり大関は盛り下がるだけ。