高校受験。

滑り止めを受けると、安心してしまうからと言って受けず。

この辺りでは、1番の進学校を受験。

塾では、模試で1番になったこともあり、やれば出来るのでは無いか、と思ってしまっていた。

(学校で一位なったことはなかった)

部活も頑張って、そこそこやれたりしていた。

友達はいたけれも、親友と呼べるくらいの子はいたのだろうか?!と思う。


受験が終わり、卒業して震災に遭った。

家族全員無事で良かった。

その時の息子は、たくましかった。

頼りになった。

その後、高校の合格発表。

無事合格していた。

娘と同じ高校に行くことになった。

私はとても誇らしい気持ちになっていた。

まさか、ここから苦しい日々が始まるとは、思いもせず。。。


 息子の事ではなく、今回は夫の家族について。


義父 絶対ADHD。しょっちゅう車で事故っていた。永遠の少年と言った感じ(言い方をよく言えば)。大人げない。孫の指を玄関ドアに挟めても、大して悪びれない。義母を怒鳴り散らす。でも、普段は温厚。私には、害はなかった。


義母 自分の話を一方的に言うので、辟易。世間体を気にする。ひとの悪口を言うのが大好き。整理整頓、掃除が嫌い。冷蔵庫に入れなくてはいけないものがわからない(ソースとか開封しても常温)。冷蔵庫に同じものが何個か入っていた(わさびとか),


上の義弟 多分真っ黒。精神入院歴もあるらしいが、詳しい事は義父母は言わずじまい(何で入院したのかわかっていなかったのか?)多分人格障がいもある。通院はしていない。

独り言多い。お金に執着。家にも執着。このせいで、相続がうまくいかず、裁判まで行った。

が、裁判所にも現れず審判で決着。(土地家屋は全て義弟に。)

うちの車にぶつけて、一言ごめん!だけで出かけてしまった事も。何かあると、連絡なく我が家に泊まりに来た(呼ばれたから行ってやったと)。

中学生の頃、下の義弟に勉強を教えながら鉛筆で下の義弟の頭を刺していたらしい。

仕事は長続きせず。今は、家督?のつもりでいるのか、とにかく田んぼを守るとコメ作りをしている。

(もう、付き合いは勿論していない)


。。息子の障がいは、遺伝だと思っています。


 中学2年

公文をやめる。ピアノもやめる。

卓球部で、かなり頑張っていた。

成績は、まあまあ良かった。


 中学3年

うちで落ち着きが無いと感じ始めた。

部屋から出たり入ったりの繰り返しをしていたから。勉強に身が入らないんだろうかと。

ノートをとっていない事にも気がついた。

それでも、この成績ならトップ高に入れるし、

入って何とかなるだろうと軽く考えてた私。

本人にも、それとなく高校はプッシュしてしまっていた。

この時に、もっと緩い選択をしていたら良かったのだろうか?何処の高校に行っても同じだろうか?

今となってはわからないけど。

もっと彼のことを、きちんと見てあげれば良かったと悔やまれる。

分岐点は15歳なのだと、とても感じている。


勉強が出来れば、大丈夫などと思ってはいけない。

大切なのは、生きる力なのだと。