「胎教」と「書」の関係 | 書家 龍和 公式ブログ 

書家 龍和 公式ブログ 

臨在主義・臨在アートを提唱する 
書家・龍和のオフィシャルブログです。

胎教協会®発起人のわたしですが、

以前から「胎教」と「書」の関係について着目してきました。

 

胎教はその歴史を紐解けば、かつては王侯貴族というように

いわゆる特権階級のみに伝えられた秘儀のようなもので、

一般庶民は知る由もありませんでした。

それもそのはず、古来より特権階級は

「知識」「教養」が大変重要なものだと考えていました。

権力の頂点に君臨する人となればいわずもがな。

自分の娘を将来、帝の妃にしようとありとあらゆる教育を施しました。

 

 

 

 貴族社会の周辺から

 

わたしが拠点を構えているここ京都は、千年王城と呼ばれます。

その名の通り、千年の都。

すなわち千年以上にわたり天皇がおわした

日本の中心地であったのです。

 

都において貴族文化は大いに隆盛しました。

したがって、日本における「胎教」の中心地は

京都であるといえます。

 

先般、国士舘大学教授 

細貝宗弘氏の記事を拝見しました。

 

”当時の貴族社会は、母方の親が、

女子の教養に力を注いでおりました。

妃の地位にある女子、

あるいは将来妃の地位につくような女子には、

優雅な筆跡で書かれた

美しい和歌・漢詩の写本を与えることが

日常よく行われていたのです。”

 

「書」は古代にあっては単なる

情報伝達の記号から芸術の域に高められたものでした。

 

わたしたちの祖先は、

日常を芸術に昇華せしめることでその身を、

その心を清廉に保ち美の感性と英知を

神に通じるものとして重要視していたのです。

 

”藤原道長は中宮彰子(道長の娘であり第66代後一条天皇の后)

が実家から内裏に帰る際に、

藤原行成や行成に次ぐ書の名人に命じて、

名家の歌集の新写本を中宮に献上しています。

「胎教」という考えは、

人間形成の第一歩として古くから重要視されていました。

「道長が中宮の胎教にふさわしいテキストを

書かせるとしたら、誰に書かせるだろう・・・」

と考えてみました。

藤原行成という人の名が、直ぐに浮かんできます。

それは、行成は当時第一の書の名人として尊重された人で、

道長のためによくつくしておりますし、

また、行成は道長にかわいがられ、

何かにつけ道長に命ぜられて

いろいろなものを書写しているからです。​”

 

※藤原道長

 

藤原ばかりでややこしいので・・・。

藤原道長といえば、日本史の教科書でおなじみ、時の権力者です。

 

藤原行成というと、書をたしなむ人にとってはおなじみの人物です。

三蹟に数えられる日本の歴史上屈指の書の名人ですね。

その人物が中宮彰子の胎教テキストの文字

書いていたかもしれないというわけです。

 

ちなみに中宮彰子の胎教のテキストは、「新楽府」の第二巻であり、

詩よりも音楽的要素が強く、平坦なメロディーのごく歌いやすいもので、

胎教の実用的効果があるものといわれています。

中宮彰子の教育係は紫式部ですから、

このテキストを選んだのも

おそらく紫式部だったのでしょう。

 

 

 祖先たちから学ぶもの

 

このように、日本では古くから「胎教」を重んじていました。

そして、その内容の1つは、おなかのあかちゃんに歌を聴かせるということだったのです。

 

※かつて紀子さまが「胎教にクラシックコンサートに行かれている」

ということがニュースで紹介されましたが、その原型がこんな昔にすでにみられるわけですね。

 

しかも歌うことにとどまらず、

そこに書かれている文字の優雅さにまでこだわった。

文字は視覚的な情報であるといえますが、

これにはどのような意味があるのでしょうか。

 

1つは、おなかに向けて雅な文字を見せて

あかちゃんの感性を刺激したのでしょう。

胎教を施すということは将来の帝位につく胎児を

1人の人間としてみなしているわけですから、

当時の人たちが

「胎児はおなかの中から外界を見ている」

と考えていてもなんら不思議ではありません。

 

もう1つは、中宮が雅な文字にふれることで

リラックスことをねらったのでしょう。

 

胎教協会®によると

”胎教とは、おなかのあかちゃんに

よい環境づくりをすることであり、

妊婦がリラックスすることは最高の胎教”

であるということです。

 

 

               胎教協会認定 胎教の資格

 

長い歴史と確かな蓄積のある「胎教」と「書」

 

実に興味深いですね。

 

そしてその関連性も、「リラックス」というキーワードでつながり、

当時の文化(印刷ではなく書道の手書き)を

絡めて殿上人の優雅な日常が垣間見られます。

 

あわただしい現代を生きるわたしたちにとって、

余裕ある豊かな生活を送ることは

よほど意識を向けなければ困難かもしれません。

 

古代の人々の日常が現代人に

忘れかけている大事なことを示唆してくれます。

連綿と受け継がれてきた

日本独自の古代からの英知と文化を

私たちはしっかり受け継ぎ、

次の世代に伝えていかなくてはなりません。

 

2016年11月