こんにちは、滝太です。

 

 

自分の感情や考えを誰かに伝えようとした時、
結局、私たちはそれを「言葉」にしないといけないんだな、と考えていました。

 

私はあまり語彙力がある方ではありません。

 

だから、自分の中にある気持ちをうまく言葉にできなくて、

 

「なんか違うんだけどな」

 

と思いながら話すことがあります。

 

たとえば「楽しい」という感情。

 

私たちは「楽しい」という言葉があるから、
自分の気持ちを相手に伝えることができます。

 

でも逆に、

「楽しい」という言葉があることで、
本当はもっと複雑な感情まで、

全部「楽しい」の中に入れてしまっているのかもしれません。

 

嬉しい。

心が軽い。

なんとなく安心する。

ずっとこの時間が続けばいいと思う。

ここにいていいんだと思える。

 

同じ「楽しい」でも、
その中に入っているものは、人によって全然違う。

 

どれだけ言葉を重ねても、
自分の感情を100%そのまま相手に渡すことは、できないのかもしれません。

 

もしテレパシーみたいなもので、
今感じているものをそのまま相手に渡せたら、

その時はじめて100%伝わるのかな。

 

そんなことを考えていました。

 

 

感情って、液体みたいなものなのかもしれません。

 

液体だけを手渡そうとしても、
相手に渡すことはできない。

 

だから私たちは、

 

「言葉」というグラスに
「感情」という液体を注いで、

 

相手に渡している。

 

でも、そのグラスには大きさがあります。

 

言葉にできた分だけ、
感情をなみなみと注いで相手に渡す。

 

入りきらなかった感情は、

こぼしてしまうか、
自分の中に飲み込むしかない。

 

そして、言葉というグラスの丈夫さも、人によって違うのかもしれません。

 

ジャムの瓶みたいに厚い人もいれば、


ワイングラスみたいに薄い人もいる。

 

勇気を出して自分の気持ちを伝えた時、

 

「それは違うよ」

「考えすぎじゃない?」

 

そんなふうに否定されたり、批判されたりすると、

差し出したグラスを
手で払われたように感じることがあります。

 

厚い瓶なら、落ちても割れないかもしれない。

 

でも、薄いワイングラスだったら、

地面に落ちて割れてしまう。

 

そして、その中に入っていた感情も
一緒に地面へこぼれてしまう。

 

こぼれた感情を、

 

「こんなこと思わなければよかった」

 

と拭いて、無かったことにする人もいるかもしれない。

 

誰にも見つからないように、
もう一度自分の中へ飲み込んでしまう人もいるかもしれない。

 

一度飲み込んだ感情は、
次に外へ出すのが少し怖くなる。

 

だから私は、

誰かが言葉というグラスを差し出してくれた時、
すぐに中身を評価するのではなく、

まずは、そのグラスを受け取りたいと思っています。

 

受け止めることは、
相手の考えに全部賛成することではありません。

 

ただ、

「そう感じたんだね」

と、まず両手で受け取ること。

 

それだけで、

その人は自分の感情を
慌てて飲み込まなくてもいいのかもしれません。

 

人の心の中にあるものを
100%理解することは、たぶんできない。

 

それでも、

勇気を出して差し出してくれたグラスを
落とさない人ではいたい。

 

「ここなら、もう少し話してもいいかな」

そう思ってもらえる人でありたいなと思います。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。