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なんだかんだ。

映画や感じたことなど。
残していきます。
いまんとこ大学生。

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前作「チョコレート・ファイター」で(一部で)一世を風靡したジージャー。

そんなジージャー主演作2作目の「チョコレート・ソルジャー」




正直観る前は


久々の酔拳だぁーーーー!(*‘∀‘)


という具合にテンションがすさまじかったのですが、

鑑賞後の感想はというと、、、期待外れでした。すごく残念(´_ゝ`)


そんな残念な「チョコレート・ソルジャー」を観て、

小さいころに観た記憶なども相まってマイベストムービーである「酔拳2」





ひいては、ジャッキーの酔拳の良さが浮き彫りになったのでした。


例えば「チョコレート・ソルジャー」における酔拳の欠点には


・演舞感=プロレス感が否めない。

・酔拳というよりカポエラ

・ところどころ酔拳という武術の複雑な動きによって、アクションのスピード感が失われてしまう。

・ジャッキーの酔拳にはある、しなやかさが足りていない。


などなど、重要なものがいくつかある。

特に最後のしなやかさが欠けるというのは致命的であると個人的には思う。

時には女性になりきって戦う酔拳という武術において、このしなやかさは失われてはいけないし、しなやかに相手の攻撃をかわし、トリッキーな攻撃で相手を翻弄するジャッキーの動きは最高としかいいようがない。

また、そのしなやかさを演出しているジャッキーの膝や腰の使い方ったら、もうね。


これらの要素からわかるように、酔拳とはまさに 柔よく剛を制す な武術なのだ。

もちろん全国の男子諸君が目指しているのは 柔よく剛を制す なのは周知の通りなので(ごめんなさい)、酔拳という武術が男子の憧れの的であるのは必然と言えるだろう(ごめんなさい)。


しかーーーーし!


もっと重要な欠点があったのだ。

(まだ続きます 笑)


それは


「チョコレート・ソルジャー」の酔拳が諸刃の剣ではないということ



だ。


ジャッキーの酔拳は「酔えば酔うほど強くなる」という性質上、危険であり、その危険性故にジャッキー演じるフェイフォンの父によって酔拳の使用は固く禁じられている。

しかし、その禁を破ってしまうフェイフォン。

その行いによって父に勘当されたフェイフォンは、居酒屋で飲んだくれていた。

そこに敵が現れ、襲われるフェイフォンであったが、父の言いつけを守り酔拳を使用しなかったフェイフォンは、柱に裸で括りつけられ醜態をさらすことになってしまうのだ。

こんな背景があった上でのラストバトル。

すべてを守るために戦うフェイフォン。強く、卑劣である相手との戦闘では、酔わなければ勝てないと判断したフェイフォンは、危険であるアルコールに手を出し、無敵の力で相手を翻弄する。


ラストバトルで酔いまくったフェイフォンは、痛みも感じず、酔いに任せて気持ちよく、軽やかに、しなやかに相手を打ちのめす。

しかしそのしなやかな戦いの中にも、どこか悲しみが漂うのだ。

これは酔拳が諸刃の剣であることから生まれる悲壮感だろう。

禁を破りつつ、命をすり減らしながら戦うフェイフォンの姿に心打たれるのだ。

つまりこの諸刃の剣という性質が、酔拳という武術にドラマを生み出し、深みを与えているのである。

ちなみにジャッキー自身も


「酔って強くなるなんて、教育上よくないよね。だから続編作れないや(*‘∀‘)」


と軽やかに語っている。

ここからもわかるように、酔拳という武術には危険が付きまとわなければならないのである。

しかし「チョコレート・ソルジャー」の酔拳の設定は


悲しみが強ければ強いほど酔いが強くなる=悲しくなればなるほど強くなる


である。

そのため「チョコレート・ソルジャー」のラストバトルでは、ジージャーの顔事態に悲壮感が漂っている。

すごく悲しい顔で戦うのだ。悲しいからだ。すごく悲しい出来事があったからだ。

このラストバトル、かんっっっっっぜんに!!!酔拳の深みが失われている。

酔拳は、酔いに任せ、すべてを忘れて気持ちよく戦うからこそ、その奥にある悲しみを想像することができ、深みが増すのだ。


だから、この「チョコレート・ソルジャー」の設定を聞いた時は


はぁ?(´_ゝ`)


となったものである。


こうして僕は


あっ

俺はジャッキーの酔拳が好きなんだ。

いや、シンプルにジャッキーが好きなのかもしれない。


と、悟ったのである(´_ゝ`)

(結論が最初と若干違う気がするけど、どうにでもなれ。)