なんだかんだ。 -27ページ目

なんだかんだ。

映画や感じたことなど。
残していきます。
いまんとこ大学生。

filmarks ID:ryothat

不朽の名作をスクリーンで観る機会を与えてくれる 午前10時の映画祭 なるもので鑑賞。

スクリーンでも観たい!と意気込み観てきました。

「ショーシャンクの空に」



おそらくこの作品自体は2度目の鑑賞。
言わなくてもわかると思うけど名作でした 笑
やっぱ映画館で観るのはいいなぁ。
時間を忘れてのめり込める。

とりあえず「ショーシャンクの空に」を鑑賞すれば、映画ならではの感動が体感できると思います(^-^)



以下ネタバレあります。
そして、感想というよりは考察が続きます。



話は変わって、名作とはどんなものだろう。



そもそも名作(映画に限らず)に必要なのは圧倒的に

共感

であると思う。
個人に愛されようが世界に愛されようが、規模の違いはあれど必要なのは共感だと思う。

この「ショーシャンクの空に」という映画、いろいろなカテゴリーに分けられると思うが、ひとつ”脱獄物”というカテゴリーにも分けられる。
脱獄物というのは、かなり普遍的な映画になりやすい。
というのも、囲まれた塀の中の不自由から脱獄して自由になるという話であるからだ。
脱獄とまではいかないまでも、誰もが閉塞感から抜け出したいと思ったことはあるだろう。
そういう意味で脱獄物は人生と重ね合わせやすい。
そのため"脱獄物"というだけで、すべての人に共通する普遍的なテーマを描きやすく、描かれやすい。


そして「ショーシャンクの空に」も、脱獄物というカテゴリーを生かした普遍的なテーマを描いているのだ。
(図書館で本を仕分けする場面があるのだが、そこでアレクサンドル・デュマという人物が書いた「巌窟王」という脱獄物の本を仕分ける場面がある。そこでレッドは冗談半分で「教育のカテゴリーに分けるか」というのだが、あながち笑い話ではないかもしれない。
つまり「ショーシャンクの空に」という映画を通して、1つの"教訓"を与えてくれるのではないかという期待を込めても良いのではないかということである。)

この映画のテーマをもっとも感じさせる名台詞がある。

必死に生きるか、必死に死ぬかしかない。

(Get busy living or get busy dying)


というセリフだ。
どちらにしても"必死"なのが面白いところだと思う。
このセリフだけ見ると「どうせ必死なら、生きようよ( ´ ▽ ` )」というメッセージに見える(?)けど、映画の文脈で見ると解釈は変わる。



まず、「ショーシャンクの空に」における、"必死に生きる"とはなんだろう。
これを体現しているのがアンディというキャラクターだ。
観た人なら誰もが心に残っているだろうシーンで、ビールを分け合うシーンや刑務所中に音楽を流すシーンがある。
このシーンが刑務所に入って以降のアンディというキャラを象徴しているように思う。
音楽を流す場面の後にアンディは罰を受けるし、ビールのシーンでも一歩間違えば死んでいただろう。
一体何のためにここまでのリスクを犯してアンディは行為に及ぶのか。
レッドが言うには「少しの自由のために」らしい。
そして、アンディ自信がこう語る場面もある


世界には石でできていない場所もある。そしてそのなかに誰もたどり着けない、誰も触れない何かがある。
希望だよ。


つまり、アンディは刑務所という塀に囲まれた場所で自由という希望を獲得するために罰も恐れず戦い(能動的であり)続けるのだ。
そして自由とは心の豊かさのことである。
これは上と同じ場面で、アンディが昔吹いていたハーモニカをやめたレッドに言うセリフでわかる。
誰にも奪えない音楽というのは、この映画内での豊かな心=希望を表しているのかもしれない。
脱獄や図書館の資金を求める場面にも、アンディが戦い続けている事が象徴されている。
さらに脱獄に約20年、図書館の資金援助に6年かけて、なおかつアンディは「以外と早かったな( ´ ▽ ` )」というようなことを言い、ラストでは戦い続けることがアンディの正気を保たせたことも明かされる。
ここから、毎日少しづつでも戦い続けることの重要性や"戦うこと"それ自体が豊かな心を保つために必要なのかと考えさせられる。
これがこの作品内で言う"必死に生きる"ということである。

これに対して、モーガンフリーマン演じるレッドが"必死に死ぬ"ということを体現している。

それを表しているのが、上に挙げたアンディのセリフに対してレッドが放った


希望は危険だ。希望は人を狂わせる。


というセリフだ。
さらにレッドは劇中で


刑務所の壁はおかしなものだ。最初はそれを憎み、次にそれに馴れてゆく。
時間が経つにつれ、それに依存するようになってしまうんだ



という。
つまり、レッドは長い刑務所暮らしから、その不自由さに目を瞑り、妥協することによって、その生活を肯定する。
しかしそこには我慢があり、葛藤があるべきだ。
劇中で、ブルックスというおじいちゃんの囚人が仮釈放される。しかし、このおじいちゃん。約50年という年月を刑務所内で過ごしたため、外の世界ではやっていくことができず、自殺してしまうのだ。こんな事実を目の当たりにしたレッドが「希望は危険だ」と語る。
レッドは自分にそう言い聞かせて希望を押し殺す。そして刑務所内の生活に目を瞑るのだ。
これが"必死に死ぬ"ということではないだろうか。


これが「ショーシャンクの空に」のテーマ

必死に生きるか、必死に死ぬか。

である
ラストでレッドは、必死に生きること・必死に死ぬこと、どちらを選ぶのだろうか。

それは、仮釈放することができるかどうかを試す面接での、レッドの受け答えを見ればわかるようになっているのだ。

前半の面接でレッドは面接官の「更生したか?」という質問に対して「更生した」と述べる。
このやり取りの投げやりな感は否めない。まるで怒られている中学生が、先生の「反省しているか?」という質問に対して、その場を何とかやり過ごそうとする「反省してます」という発言に似ている。そんな無意味な感がこの前半のシーンには漂う。
しかし、後半の同じ質問でレッドは



更生? 全く意味のない言葉だ。(仮釈放)不可の判を押せ。これは時間のムダだ。正直言って仮釈放などどうでもいい。



と答えるのだ。これによってレッドは仮釈放されることになる。
この後半のセリフと比較してみても、同じ質問に対する前半のセリフは妥協が感じられる。
そして、後半のそれは明らかに戦うことを決めたもののセリフなのである。

そして、レッドは自由な心(=希望)を得て

自由な人間だけが味わえる興奮だ。
何にも縛られず、長い旅に出る自由な人間の。

と、アンディに会いに行くことに心躍らせるのである。


どうだろうか。
こう考えると、どんな人にも当てはまるテーマを扱った映画ではないだろうか。
これが「ショーシャンクの空に」が多くの人に愛される理由だと思う。
(写真:二人の昔と今)
{032286BE-5EDB-4D1D-B7E8-FFEFFCF0E886:01}

{37DF4D7F-667F-4F6A-B912-5FC9C1E3901A:01}

この二枚の写真だけで、なんだかジンときます。

この映画からわかることは、作品が誰かにとって名作であるためには"共感"が必要であるということだ。

あの名作「マッドマックス 怒りのデスロード」のジョージミラー監督もキネマ旬報2015年7月上旬号でこう述べている。

映画の成功の印の一つに、それがどこのものであれ、映画がその文化に浸透しているかどうかという点があると思う。「マッドマックス」の人気が増していくにつれ、そういう手ごたえが感じられるようになったんだ。日本ではマックスはまるで浪人の侍のようだと言われたし、フランスでは車の西部劇と言われ、マックスはガンマンと言われた。スカンジナビアでは荒野を彷徨う孤独なヴァイキングという人もいた。
 
~中略~

 結果として私は意図せずして、ユングやジョゼフ・キャンベルなどが言うところの集合的無意識に訴えかけるものを作ったんだと思う。
(ユングやフロイトのことはよくわからないけど、ジョーゼフキャンベルの事は、授業で少しお世話になったのでわかります!神話学の人で、神話の中に普遍性と人が幸福に生きる術を求めた人ですね!ふふん(*‘∀‘)ドヤァ)
「マッドマックス 怒りのデスロード」を観た人ならわかるだろうが、あの作品も「戦い」を描いている。
また、漫画 進撃の巨人が各国で人気である理由として"普遍的であるから"というのをどこかで読んだことがある。
つまり、ジョージミラーが語る「マッドマックス」と同じように壁が何かに例えられ、それと戦う人々を自分たちと重ね合わせるのだ。(何に書いてあったかは完全に忘れました(´_ゝ`))


これらの要素から考えても、自分の数少ない経験から考えても、
ある作品が個人にとって名作になるには"共感"が必要なのだ。

当たり前だとか言わないでください(´_ゝ`)


そして言いたい。

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンドオブザワールド  よ。

何故、同じような要素(壁に囚われていて…)や、同じようなテーマ(戦うということ)を扱っていて、こうも違うんだよ!!!
(結局ここに落ち着く)