【今は亡き父に「福の神」がついていた話し】

 

今年の7月、私の父は他界しました。


私は父の創業した会社でいっしょに働いていたこともあり、
男親子だからと言いますか、何かと衝突することも多かったのです。

そんな父が死んでから、まるで「福の神」がついているかのようなエピソードがありましたので、これを読んでくださるあなた様と共有したいと思います。




父が亡くなってからすぐ、今年の8月、

私は家族で箱根に行きました。
今思えば傷心を癒す目的があったのかも知れません。

一泊だけして、帰る前の食事は決まって立ち寄る場所があります。
それは、箱根の知る人ぞ知る郷土料理店「たきの家(たきのや)」さん。

 

もともとは亡きご主人が有名ホテルの料理人であったらしく。かつてはご夫婦で。
そして今は母・娘さんお二人でやっておられる、素朴でありながら美味しいお店。

まさに、箱根の家庭の味といった処です。
https://www.takinoya-hakone.com/


うちの父と母は、たきの家さんの、いわゆる常連客でした。
箱根に行く機会あれば、必ずそこに食べに行く、泊りで行った日には昼と夜、一日二回も食べに行くぐらいお気に入りのお店だったのです。


食べに行くと私の父はアレヤコレヤ気さくにおしゃべりをするので、息子ながらに“また余計なことを言ってご迷惑でも掛けていないか”ぐらいに思っていました。

そして父が他界する2か月前にも、母を連れて、たきの家さんに「山菜の天ぷら」を食べるためだけに箱根に行ったというのです。


箱根で採れた「山菜の天ぷら」とは、春4~5月になると、すぐ近くの箱根山で山菜を取ってきて、それを旬のまま揚げてくれる、まさに季節の郷土料理。そして父にとっては、それがたきの家さんでの最後の食事となったのです。

「こんにちは。

いつもお邪魔しています。

 

鈴木の息子、家族です。

 

あのー、実は、

先日、父が亡くなりまして、、、」


お店のお母様はその場で立ち竦んだようにしばらく動きませんでした。

 

そして対照的に奥から出てきた娘さんは、何も言わずボロボロと涙を流したのです。
 

何かもの言いたそうな顔をしながらも、その日は少しだけ思い出話しをしながら、食事を終えて帰りました。
「ぜひまたお母様も連れて来てくださいネ。」


「はい。今度は母を連れてきます。」そう言って別れました。


それから2か月後、今年の10月、

日帰りで私の家族と母を連れて箱根に行く予定が立ったので、
当然、皆でたきの家さんに食べに行こうということになりました。

一応、お店がやっている時間の確認も含め、私の母が電話をすると、こちらが名のりもしないのにお店の方は心よく応対してくださるのでした。


午前中に温泉やプールなどそれぞれ気ままに楽しんだ後、いよいよ食事をしにお店に行きます。父が亡くなってから初めて母を連れて行ったわけです。

お店のなかに入るなり、

 

なにも言わず、私の母とお店の娘さんは、じっと抱き合い、しばらく二人で涙を流していました。
 

他界してから3か月。未だにこうして偲んでくださる方が居ることは家族としてもありがたいこと。
私も久しぶりに目頭が熱くなり、そして母を連れて来れて良かった。そう感じたのでした。

少しまた思い出話しをしているとお店の娘さんは、こう言い始めました。

「鈴木さんは、お客さんを呼んでくださるお客さんなんです!」

 

「ん??」

 

「お客さんを呼んでくださる、お客さん。」

私はこう思ったのです。

確かに父はこれだけ長年の常連だから、友人を連れてきたことだってあるだろう、
きっと、そのご友人たちがまた食べに来てくれたりするのだろうか、

そんな風に思いを巡らせていると、娘さんは続けてこう言いました。

「鈴木さんが来た日は必ずと言っていいほど、

新しいお客さんも来てくれて、

店が忙しくなるんです。」

「えっ!!

 

父が友人を連れてくるとかじゃなくて、

 

知らないお客さんが来るってことですか??」



「そう、ほとんど毎回。
 

あっ、鈴木さん来る!


じゃあ今日忙しくなるね!って。
 

 

上客のなかでも一番なんです。」


「 ・ ・ ・ ・ ・」



私はてっきり、父はいつも冗談を言ったり、余計なことばかり言って、煙たがられたりはしてないかと勝手に思っていました。


まさか、お店の方が

 

お客さんを呼んでくれるお客さん、上客のなかでも一番

 

そんな風に思っていてくれたとは、私も母も夢にも思っていませんでした。

私は以前から「福の神」のエピソードが好きで。

自分が来たお店のお客が、急に増えたり、行列ができたりすると
 

「おっ!福の神、ついてるな!」

 

と冗談っぽく想ったりはするのですが、

まさか自分の父のエピソードから、そんな話しを聞けるとは予想だにしていなかったのです。

なぜだかその時、私は父を心から誇らしく感じたのでした。

時代も違う、性格も違う、何かと衝突することも多かった父と子の関係ではあったのですが、

その時ばかりは素直に「継承しなくては!」そう思ったのです。

 

「じゃあ、私たちもいっぱい来るようにして、お客さん増やせるようにならないとね!」
 

そう言いながら、また来ることを誓い、お店を後にしたのでした。



箱根はいつも自然と神がかったストーリーを提供してくれる。神聖な場所。

 

すべてを終え、横浜に帰ったその日、

私は一人その日を思いかえしていると、

なにか父が天国から

 

「お母さんを連れて行ってくれてありがとな!」

 

そう言っている気がして、

 

気がつくと頬に涙がつたっているのでした。

 

 

これからも「福の神」を連れて来れるような存在でありたい。

 

そんなことを継承していきたい、

 

そう想うのでした。

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

 

 

これを読んでくださったあなた様にも「福の神」のご加護がありますように。


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