~プロフィール~

福岡出身。現在38

2010大阪システムインテグレータ就職。

2020222倒れ、高次脳機能障害に。

失語症・失行・注意障害・記憶障害など。

身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。

麻痺の為、杖持ち。詳細はコチラ。

 

妻と小4長男・小2次男の4人暮らし。

7月末まで休職中。8月から復職予定。

 

こんばんは。

 

私は癲癇(てんかん)がある。

数ヶ月前に、抗てんかん薬を飲むことを勝手に辞めていた話を書いていた。

 

 

元々私が抗てんかん薬を飲み始めたのは、急性期病院の食事を食べられるようになってからだった。

それまでは、点滴に複合されていたのだと思う。

 

毎回食事のときに看護師が薬を持って来てくれて、安全に飲み込めているかを見られていたから、飲まない選択肢はなかった。

回復期病院を退院するころからだと思うが、頭痛もないのに毎回薬を飲む必要があるのか、だんだん不満を感じるようになってきた。

本当に抗てんかん薬を飲む意味があるのか、私には分からないし実感もない。

後遺症としても、痛みを感じるようなことがなかったから、私としては足が悪いだけだと思っていた。

 

そもそも、私に癲癇があるのかも知らない。

もしかしたら、医師も必要かどうかは分からないが念のために処方されているのかもしれないと思っていた。

 

すると、薬を飲まなくなって数ヶ月後、ソワソワし始めて落ち着かなくなってきた。

更に、私が倒れてろくに意識も無かった頃に、癲癇発作が実際に起きたのだと知った。

 

このソワソワ感が、癲癇の前兆なのか、単なる自分の気持ちの問題なのかは、まだ私には分からない。

きっと、倒れてみないと分からない。

でも、倒れたら妻などが困るから、抗てんかん薬を飲んでいる。

 

 


ところが、ここ数ヶ月前から、頭が痛いことがある。

抗てんかん薬は、毎回飲んでいるのに。

 

3年半前、私が倒れる1~2ヶ月前、私は頭が痛いと周りの人に言っていたそうだ。残念ながら私は覚えていない。

その頃は仕事が楽しかった。邪魔されたくなくて、病院にも行かなかった。

結果的に倒れて、脳の障害者になった。

 

その手術では、頭蓋骨を外すときに皮膚を大きく切った。

その切れ目の頭蓋骨のテッペンの辺りに、ときどき軽い痛みを感じる。
それが、癲癇の前兆なのかもしれないと感じていた。

 

急性期病院にいるときの主治医からは、癲癇だけではなく、脳の感染症の話も聞いていた。

稀な例ではないようで、「今後の感染症なら全然有り得ますよ」とハッキリ言われていた。

そのときの私は、失語症が今よりも酷かったが、それくらいは分かった。

「頭をしっかり洗うように」とも言われていた。

 

頭蓋骨がないのでヘッドギア

外した状態

 

人工頭蓋骨を入れた後

 

もし感染症になると、人工頭蓋骨をまた外して、半年間ヘッドギアを付けていなければならなくなる。

おそらく、仕事にもしばらく行けなくなるだろう。


正直なところ、感染症や癲癇に対して怖いとはあまり思わない。

でも、それによって仕事に穴をあけてしまうと、また迷惑を掛けてしまう。

倒れるときにも迷惑を掛けるだろう。

それが怖い。

 

 

 

目の前の日常作業でちょっと疲れることはある。おそらく誰にでもある疲労だろう。

私はそれを辞めるようなことはないが、それがいいことなのか、さっさと諦めて体を休めた方が良いのかも分からない。

そういう“障害者”になったのだ。


私は無意識に、人生の面白さは仕事だと思っていた。

仕事で沢山の経験をして、世界が広がっていくことが人間の楽しみだと思っていた。
だから仕事時間が長くなっても、長くなることを嬉しく思っていた。

 

自分の業務で上司や役員に叱られることも沢山あったが、それは自分の成長に繋がると思って嬉しく感じていた。

逆に叱られないことも、まだまだ任してくれないんだと悔しく思い、もっと頑張ろうと思っていた。

要は、仕事大好き人間だった。
 

 

 

今考えると、それが間違いだったかもしれない。だから私は障害者になった。

私は小説やマンガ、ドラマなどの登場人物みたいな、タフな人間ではなかったということだ。


今後は、そんなフィールドは任してもらえないだろう。

自分がやりたくても、いろんな人の責任問題になってしまう。
 

先日、抗てんかん薬を処方してもらいに、自宅近所の脳外科病院に行った。

その診察で、私は医師に、頭の痛みの話をした。

その医師は「特に問題ないでしょう」と、こっちが恥ずかしくなるくらいあっさりと言われてしまった。

 

別に頭がどうなったって構わないのだが、私が社会人として働けるのかということを聞きたかったのだ。


 

 

こうしてブログを読んでいても、いろんな脳の障害になった人の話を聞く。

それを読んで、「易疲労」や「倦怠感」などの体験を知った。

 

私もそうかも知れないし、そうじゃないのかもしれない。

私には、その境目が分からない。
 

だから、会社も私に無理なことはさせないだろう。

障害者雇用になっている。そんな人間に無理をさせる会社なんて、存在しないだろう。

それが不満だったら、さっさと辞めてもらったらいい話になってしまう。


有難いことに、職場は変わらない。

考えてみれば、倒れる前の私は、時間を沢山使って仕事をしていたのだ。

ここからは、定時までに仕事を終わらせることになった。

新入社員からの一般的な掟を、今更難しいと云っている時点で問題だ。

 

自分の状態も考えながら、無理のない適切な生活をして、少しずつでもいいから業務を熟していく。

その、一般的には当たり前なこと、私には元々難しいことを目指して、頑張っていこう。

 

 

 

実は、書きながらようやく感づいてきたが…、

これは睡眠時間が少なくなっている影響なのかも知れない。

 

倒れる前は、夜遅くまで起きていた。

その習慣なのか、今でも寝る時間は24時を過ぎてからが多い。

 

というか、3月にはこのブログで復職に向けて体調管理を注意しようと書いていたのに、完全に放置している。

この1ヶ月は、失語症回復と装いを付けて映画やドラマを夜遅くまで観まくっていた。

 

要は、単に寝不足なだけかもしれない。

もう四十路が近い。もう若くはないのだ。

 

もしかしたら、私が障害者になったのもそういう自分の体力を考えずに働いていたせいなのかもしれない。

もう一度同じミスを侵してしまう。

 

さらに、お酒を飲むことも多い。

私の主治医は、お酒はダメだと言っていたのに、癲癇とアルコールに関係はないという記事を見て、勝手に飲んでいる。

 

まずは、早く寝るように頑張ろう。